220.ウイニングボール

「代打で行くぞ! 藤谷!」

「はい!」


 同点に追いついて、なおも1アウトランナー1、3塁。9番・小濃の打順を迎えるところで、ムーンズの監督、白石が主審に代打を告げに行くためにベンチを出る。


「打ってくるぜ」


 ベンチ裏で準備していた藤谷が、ヘルメットを被りながらベンチを出て行く。そのすれ違いざまに、高橋の背中をポン、と叩いていく。


 ——藤谷さん……!


 ネクストバッターズサークルに置いてある滑り止め用の松ヤニスプレーをバットに吹きかけて、その場で数回素振りしてから打席に向かう。追いつかれたもののどうやらピッチャーは続投するらしい。左対左の対戦になるが、藤谷は投手の左右で打率は大して変わらない選手だからあまりそこは問題にはならないだろう。


 アーバンズの内野陣が、じりじりと前に出てきて前進守備の陣形をとる。内野ゴロならホームで刺しにいく、という守備シフト。ランナー1、3塁ということはダブルプレーを狙いに行くという手もあるだろうが、ここは何が何でもホームでのアウトを狙いに行くということらしい。


「ストライク!」


 初球、高めのストレートを見逃してストライク。ベンチだと真横から見ることになるからコースはイマイチ分からないけれど、藤谷の反応を見る限り内角の厳しいボールだったらしい。


「行けー!」

「良いよ、見えてる見えてる!」


 ——打ってくれ!



「頑張れー!」

「かっ飛ばせ藤谷―!」


 ベンチからはもちろん、スタンドからも声援が飛んでくる。レフトスタンドのムーンズ応援団はチャンステーマを演奏し、選手と共に藤谷のバットに願いを託す。


 マウンドの中澤が腕をしならせると同時に、左打席の藤谷が右足を踏み込む。藤谷がバットを出しかけた瞬間、ボールがストン、と縦に変化する。


 カツンッ!


 ——うわっ!


 縦に変化したボールに対し、藤谷は上から叩きつけるようにしてバットをぶつける。高く弾んだボールはピッチャーの頭の上を越え、前に出てきていたセカンドが後ろに下がりながら回り込んで、セカンドベースの少し後ろでそれを捕球する。


 三塁ランナーの小山内はホームベース目掛けてスライディングするが、セカンドはそれに見向きもせずに体を反転させてファーストへ送球。


 ——勝ち越しだ……!



「ホームには投げられない! ムーンズ勝ち越しー! 藤谷のセカンドゴロの間にランナー小山内がホームイン! 4対3、4対3! ムーンズなんとこの回一挙4得点で逆転です!」

「今、あえて低めの変化球を叩きつけましたね。あれだけ高いバウンドだとホームはセーフになるし、ダブルプレーもとれませんからねぇ。いやー、ベテランらしい嫌らしいバッティングで確実に1点を取りに来ましたねぇ」



 大歓声を受けながら、ホームインした小山内をファーストでアウトになった藤谷が三塁側のムーンズベンチに帰って来る。


「ナイスラン!」

「渋すぎでしょ!」


 ベンチは戻ってきた2人をハイタッチと喝采で迎え入れる。


「流石っす!」

「ま、打ってくるっつってコレだとカッコつかねぇ気もするけどな!」


 高橋が差し出した手に、藤谷が笑ってハイタッチで返した。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「打ちました! が、これはセカンド正面! 赤村が丁寧に捌いて一塁へ送球! アウトー! 4対3、ムーンズが終盤の大逆転で接戦をモノにしました!」


 ——よっしゃ勝ったー!


 一塁審のコールを聞いた瞬間、球場に響いた歓声と共にムーンズの選手達がベンチ前へと飛び出す。その流れに乗ろうと高橋も腰掛けていたベンチから腰を——上げようとしたところで、右肩に手を置かれてそれを静止させられる。


「……」

「——す、すいません……」


 振り向くと、そこには無言かつ無表情で圧をかけてくるトレーナーさんの姿があった。反射的に高橋は頭を下げる。


「言いたいこと、分かるよね?」

「ご、ごめんなさい……」


 言いたいことは分かる。さっき勝ち越した時に無意識で立ち上がって、帰ってきたチームメートを出迎えにベンチ最前列に飛び出してしまったのを見られていたのだ。ベンチに戻る代わりに急に立ち上がるなと言われていたのに、ベンチに戻ってものの数分でそれをあっさり破ってしまったのだ。無意識だったとは言え、そして反射的だったとは言え、トレーナーさんの厚意を踏みにじったと言われても否定出来ない行いである。


 一度上げかけた腰を、もう一度ベンチに下ろす。


「別に、立ち上がるなとは言ってないよ?」

「え?」

「ほら、皆のところに行って来な」


 顎をしゃくって指し示した先には、ベンチ前で勝利を分かち合うチームメイトの姿が。


「でも、言いたいことは分かるよね?」


 トレーナーさんのにこやかな圧に苦笑いで返してから、ゆっくり高橋もその輪の中に入る。


「Hey, Takahashi! Here you go!」


 高橋に気付いたヘルマンが、ニコニコしながらボールを手渡してくる。


 ——え、これって……


 9回のマウンドを守り抜いたヘルマンが手渡してくるボールは、今日のウイニングボールに違いない。プロ初勝利だったり、何か記録を達成した試合の時にはその選手にウイニングボールを渡すこともあるけれど、基本的にはウイニングボールというのは監督に渡すものである。


「いやいや貰えないですって! 久しぶりの勝ちなんだし、ウイニングボールは白石さんに……」

「Please accept this ball for you!」


 ——えーと……


「『このボール、受け取ってくれ』だってさ。今日勝てたのは高橋君のおかげだって、そういう風に思ってるんだよ」


 ——……マジで?


「そうだぜ高橋、今日のウイニングボールはお前が持ってけよー!」

「んだよ、お前が連敗ストップの立役者なんだからよ!」


 ——えっと……


「良いからお前が持っときな。復帰祝いってやつだ」


 チームメイトたちに、そして最後は白石に背中を押されて、高橋はウイニングボールを受け取った。


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