218.空気⑥
「あー、白石監督が出てきましたね。どうやら高橋は降板ということになるようです。今、3番手として青原がコールされました。里巻さん、ツーアウト1、2塁のこの場面で緊急登板ということになりましたね」
「まぁ、そうですねぇ。ただ、青原君はもう何年も難しい場面で投げ続けてきたベテランですし、彼なら大丈夫じゃないですかねぇ。それに、たった2人にしか投げれなかったですけど高橋君が鬼気迫るというか、そんなピッチングでしたからちょっとチームの空気感が変わったような気がしますよ」
——青原さん、頼みます……
高橋はトレーナールームで応急処置をしてもらいながら、傍らに置いてあるテレビで戦況を見守る。本当なら降板後もベンチに残ってチームメイトたちと試合終了まで戦いたいところなのだけれど、明日以降のことを考えれば一刻も早く治療して貰わなければならない。少しでも良い状態で試合に臨める様にするのがプロとしての責任だし、今日の試合もあくまで長いシーズンのたった1試合に過ぎない。これが優勝が懸かった試合だとかであれば話は別だが、ここで無理するような場面ではない。
「打席には、4番・
——さすが青原さん。落ち着いてるなぁ……
マウンド上の青原は、岡森のフルスイングにも動じず表情を全く変えない。青原はプレーする時はポーカーフェイスを崩さないタイプの選手ではあるが、恐らくロクに準備も出来ていなかったであろう緊急登板でもそれを貫けるのは流石ベテラン、といったところだろうか。
「第二球、投げました! これは内角際どいコースだがボール!」
「いやー、今の良いボールでしたね。ボールにはなりましたけど、ああいう風に厳しいコースに躊躇なく投げられると思い切って踏み込んでいくことが難しくなるんですよねぇ」
——頼む、頼む……
インコースのボールに岡森が腰を引いたのを受けて客席がどよめくが、それでも青原は顔色一つ変えない。
「ピッチャー青原、セットポジションから第三球を——投げました!」
カァァン!
——あっ……!
「捉えた当たりー!」
外に曲げたボールを、岡森が腕を伸ばして巧みにバットの芯で拾う。弾き返されたボールは、ショートの頭の上を通過し、左中間へ。
——捕れ! 捕れ! 捕ってくれ!
「打球はセンターの前! 田口が突っ込んでくるー!」
——捕ってくれー!
全速力でボールを追いかける田口が、速度を落とさずに頭からスライディング、地面スレスレ、バウンドしようかという打球に向かって手を伸ばす。
「捕った!? 捕っている! 捕っています! センター田口、スーパープレー!」
「よっしゃぁ! ——痛っててて……」
「あああ! ちょっと、落ち着いて! 足首痛めてんだから、急に立ち上がったりしちゃダメだって!」
思わず立ち上がった高橋が、足首を押さえてうずくまる。固定具と松葉杖を取りに行っていたトレーナーさんが、それらを投げ出して高橋の体を支える。
「ったく、自分が怪我してるんだってことさえ忘れちゃうなんてさ……」
「す、すいません……」
「ま、良いんじゃない? それだけ気持ちが入ってたってことなんだろうし。俺の立場としては、もうちょっと体を痛めてるって自覚を持って欲しいところだけどね」
「すいません……」
トレーナーさんがやれやれ、と溜め息を吐きながら地面に散乱する医療器具を拾い上げるのを、高橋は平謝りしながら見ているしかなかった。
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