176.信頼

「高橋、急いで準備してくれ! もしこの回、これ以上崩れる様なら、左が続くところで行くぞ!」

「はい!」


 試合は2対3とムーンズぼ1点ビハインドで迎える6回の裏、フライヤーズの攻撃。ここまでホームラン1本による失点だけで抑えていたムーンズ先発の古村が突如制球を乱し、何とか2アウトまで漕ぎ着けたもののフォアボールとデッドボールでランナー1、2塁。1点差ということを考えれば、ここで失点するのは何としても避けたいところ。


「次、スライダー行きます!」

「オッケーイ!」


「次、スクリューで!」

「はいよ!」


 ブルペンキャッチャーを務める球団職員さんに合図して、持っている3つの球種を順番に投げ込んでいく。


「「ヤバっ!」」


 ——え、何?



「あーっと、後ろに逸らした! ランナーそれぞれ進塁! これでツーアウトランナー2、3塁! これでヒット1本で2点という大チャンス! あー、そしてここでムーンズベンチ、齋藤コーチが出てきました」


「おい、高橋、用意は良いか? 多分、このバッター歩かせて満塁にして、お前を投げさせることになる。」

「はい、行けます!」


 その時、ベンチとブルペンとを繋ぐ電話が鳴った。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※


「そして、またしてもムーンズ、齋藤コーチがベンチ出てきました! 球からボールを受け取って、マウンドへと向かいます。ピッチャー交代です! 白石監督も出てきて、主審にピッチャー交代を告げます!」

「ここで出すなら——、高橋ですかね? 確か、ムーンズは左ピッチャーは1人しかベンチに入れてなかったですよね?」

「そうですね、左ピッチャーは高橋だけですね。あ、出てきました! 背番号53、やはり高橋ですね。左バッターが続くこの場面、ムーンズベンチは昨日初勝利を挙げたばかりのルーキー、高橋龍平をマウンドに送りました!」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※



 6回の裏、2アウトランナー満塁。左バッターが2人続く打順でマウンドに送り出された。


「頼む、タフな場面だが何とか乗り切ってくれ。2アウトだし、どんな形のアウトでも良い。何とか切ってくれ」

「は、はあ……」


 ——あれ、何かもうちょっと具体的なアドバイス的なものは無いもんなの?


 何とかしてくれ、というどうにも具体性に欠ける指示に、肩すかしを食らった様な感覚を受ける。とは言え、求められていることは至って単純。フォアボールもヒットも駄目だけれど、アウトが取れるのであればどんな形でも構わない。


「基本的にはストライク先行で行こう。ただ、何としても長打は避けなきゃいけない場面だから、甘く入る位ならボール球でも良いや、って感じで投げて来な。大丈夫、困ったらスライダー投げときゃそうは打たれねぇよ。お前のスライダー、凄ぇ良いボールだからな。まぁ、思いっきり腕振って投げてこい!」

「は、はい!」


 ——信頼、して貰えてる……


 この大ピンチで出てきて、チームメイトからの信頼の言葉を聞いて燃えないピッチャーなど居るのだろうか。マウンド上で夜空を一度見上げてゆっくり息を吐いた後、バッターと正対した高橋の顔には、うっすらと笑みが浮かんでいた。


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