168.初めてのマウンド①


「行くぞ、高橋!」


 木山の一言で、一気に心拍数が上がって、世界から音と色が消える。


「行ってこい、高橋。お前なら大丈夫だ、楽しんでこいよ!」


 音が無かった世界に、急に青原の声が割り込んでくる。


「ありがとうございます。行って、きます!」


 差し出された紙コップの水を飲み干すと、高橋はベンチとブルペンを繋ぐ通路を通って、グラウンドへと飛び出した。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※


「さあ6回の裏、フライヤーズの攻撃ですが——、あー、やはりムーンズはピッチャー代えてくるようですね」

「まあ、ここまでのピッチング見ても妥当な判断かなと思いますけどねぇ。プロ初登板ということで緊張とかもあったとは思うんですけど、それにしても捉えられた当たりが多かったですから」

「今年の高卒ナンバーワンピッチャー、松本裕樹の注目の初登板でしたが、5回6失点という悔しい結果となりました!」

「そして出てきたピッチャーは……、左利き? あれ、このピッチャーもルーキーじゃないですか?」

「そうですね、ムーンズのベンチに左はルーキーの高橋しか居ませんが……、あーそうですね、2番手はこれまたルーキー、高橋龍平が起用されるようです!」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※


「おう、緊張してるな?」


 マウンドでは、マスクを被る儀間が球審からボールを受け取って待ってくれていた。


「どうよ、こんなにお客さんが入っている球場で、自分の名前がコールされた気分は?」


 ——あれ、もう名前呼ばれたっけ……?


 名前がコールされた記憶が無い。そう言えば、歓声が球場中を包んでいるはずなのに、それもほとんど聞こえてこないし、何なら視界も白飛びした写真の様に見えて、なんだか現実感が無い。


「おい、高橋? 聞こえてるか?」

「あ、え、えぇ」


 まるで世界から孤立したかの様な状態になっている高橋を、儀間が現実世界に引き戻す。


「高橋、目ぇ瞑ってみ?」

「は、はい……」


 言われた通りに目を閉じる。


「大きく息吸ってー、吐いてー。」


 大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。


「耳を澄ませてー……」


 ——あぁ、こんなにお客さん入ってたんだ……


「最後に目を開けてー……」


 ——あぁ、照明が眩しいな……


 目の前が色付いて、無音の世界に音が戻ってくる。


「どうだ、少しはほぐれたか?」

「はい、ありがとうございます!」

「おし、じゃあ頼むぞ! 焦らなくて良いから、しっかり自分のボールを投げ込んで来な!」

「うす!」


 高橋の引き締まった表情に安心したらしい儀間は、持っていた新品のボールを手渡すと、そのまま振り返ること無くキャッチャーズボックスへと向かっていった。


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