108.凱旋⑨


「よっしゃー!」

「ナイス亀山さん!」


 ——ちくしょう、してやられた……! スクイズは全く頭の中に無かった……


 防具を外しながら、亀山がファーストベース上でベンチに向かってガッツポーズする。してやったり、という表情にも見える。これで1点入って、なおもランナー1塁。


「しょうがねぇ、切り替えてこの回1点で終わろうぜ。」


 杉田が悔しさで唇を噛んでいる高橋の背中をポン、と叩く。


「ここでズルズルいかないことが大事だ。まずはこの流れ切っていこうぜ、な?」

「ウス。」


 球審から新しいボールを受け取って、マウンドに戻る。ベンチを見る限り、投手交代の素振りは無い。練習試合ということもあり、今日は勝敗よりも戦力の見極めを優先しているらしい。


「3番、ショート、増尾。背番号23。」


 割と小柄な、それでいてガッチリとした右バッターが打席に入る。


 ——増尾って、高校日本代表に選ばれてたあの増尾だよな……?


 高橋にとっては全く縁の無い世界ではあったが、自分の世代の代表は誰が選ばれるのか気になったものだ。高卒で上位指名でプロ入りしたと聞いていたけど、ネイチャーズに入団していると言うことは戦力外通告を受けたのだろう。上位指名で入団したとは言え、もう5年前のこと。新しい選手が次々と入ってくるプロの世界においては、高卒とは言え5年も結果を出せなければ戦力外通告を受ける事はそう珍しいことではない。


 ——クビになってJPB球団からネイチャーズに移ったとは言え、走攻守3拍子揃った選手ってイメージ強いなぁ……。


 マウンド上で、少しかがんで水谷のサインを確認する。出されたサインはインコースのストレート。初球からストライクを取りに行くボールだ。


 ——けど、多分ネイチャーズはここで畳み掛けてくる気がする……! 亀山さんにポーズでも良いから牽制を入れておきたい……!


 小さく頭を横に振ってから、牽制のサインを出す。それに頷いて、水谷が牽制のサインを出し直す。


 ——いや、キャッチャーが頷いたらバレちゃうでしょ、牽制のサイン出したってこと……!


 ツッコミを入れたいところだが、マウンドからではそれが出来ないのでひとまず我慢。


 セットポジションに入ってからプレートを外し、一塁へ牽制を入れる。亀山は分かってるよ、とでも言わんばかりに焦る素振りも見せずに足から悠々と帰塁。ファーストからの返球を受け取って、もう一度サイン交換。先ほどと同じ、インコースのストレートのサイン。


 サインに頷いて、もう一度セットポジションに入る。亀山を目で牽制しつつ、クイックモーションから、思いっきりサイドハンドで腕を振り抜く。


 リリースされたボールは、クロスファイアの軌道で右バッターの増尾の懐へ。


 パチーン!


「ストーライッ!」


 増尾は思わず仰け反るも、インコース一杯に決まってストライク。


 ——よし、まずは狙い通り。でも、牽制入れた直後とは言え、亀山さんが揺さぶりすらかけてこないって、おかしくないか……?


 盗塁するだけが足の速い選手の仕事ではない。盗塁するフリを繰り返してバッテリーにプレッシャーを与えたりすることもまた一つの役割である。守備・走塁を武器にプロの世界で何年もプレーしていた亀山がそれを理解していないとは思えない。まあ、何のアクションもないことで変にプレッシャーを与えているとも考えられるけれど。


 水谷からの返球を受け取って、次のサインを確認する。


 ——やっぱり気になるよね……


 出されたサインは外角高めへのストレート、大きく外せというもの。いわゆるウエストというやつで、キャッチャーが投げやすい位置に投げて盗塁を刺しにいく為の要求である。たとえランナーがスタートしなかったとしても、「盗塁を警戒してますよ」というメッセージを伝えられる。一球ボール球を投げることにはなるけれど、初球でストライクを取れていることを考えればカウントに余裕はあるからそんなに問題は無いだろう。


 サインに頷いて、セットポジションに入る。


 ——走るなら走れ!


 あえてランナーの方を一切見ないで、ササッと足を上げる。と同時に、亀山がスタートを切る。


 ——走った!


 が、3、4歩走ったところで、足を止める。思いっきり腕を振って、外角に大きく外れたところに投げ込んでいく。


 パン! ビシュッ!


 ——速っ!


 腰を浮かせて捕った水谷が、素早く体を反転させてファーストへ矢の様な送球を放つ。


「うおっ!?」


 慌てて亀山がヘッドスライディングでの帰塁を試みる。送球はファーストベースよりほんの少し内側、捕ったらそのままの流れでタッチしに行ける最高の位置に。際どいタイミングになった。


 ——「刺したんじゃない!?」


 一瞬の静寂が球場内に流れる。




「アウトォォ!」



 一塁審が右腕の拳を握る。球場内には、甲高いコールが響き渡った。



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