107.凱旋⑧


「バッターは、1番、ライト、岸川きしかわ。背番号9。」


 左打席に、スラッとした長身のバッターが入る。事前にスコアラーさんに貰ったデータによれば、去年まで北海道ベアーズに所属していた選手で、3年前には2軍で最多安打も獲った事があるのだとか。怪我が原因で守れなくなって戦力外通告を受けたらしいが、1番ライトでスタメンということは、もうそれなりに治っているのだろう。


 ——簡単には空振りしてくれないんだろうな……。


 こちらからは何のサインも出さずに、水谷のサインを待つ。水谷が頷いてから、サインを出す。出されたサインは真ん中低めにスクリュー。地面をポンポン、っとミットで軽く叩いてバウンドさせろというジェスチャーをしたということは、低めにボールになる様に投げろ、ということだろう。


 ——なるほど、ボール球から入るのか。


 こくん、とサインに頷いて、セットポジションに入る。目でセカンドランナーの浅井を牽制してから、斜めに素早く足を上げる。


「走ったァ!」


 ベンチから、ランナーが走ったと叫ぶ声が。それと同時に、バッターボックスの岸川がバットを寝かせる。


 ——バント!? もう球種は変えられねぇ!


 そのまま思いっきり腕を振って、低めにスクリューを投げ込む。そして、投げ終わると同時にバント処理の為にダッシュ。手元で曲がり落ちていくボールに慌てる様子も無く、覆い被さる様にして地面スレスレのボールを手元で捌く。


 コツッ。


 勢いを殺した良いバントが、足元に転がってくる。


「ファースト!」

 水谷がファーストを指差して指示を出す。ボールを拾い上げて、その指示通りにファーストへ送球。


「アウト!」


 送りバント成功。これでピンチが拡大して、1アウトランナー3塁。外野フライでも1点という場面になってしまった。


「捕ったらホームで!」


 水谷が指示を出すと、内野陣が前進守備の守備体系をとろうと、各々数歩前に出てくる。


 ——ここで1番嫌なバッターに回ってきちゃったな……


「2番、セカンド、亀山。背番号2。」


 左打席を平しながら、亀山が左のバッターボックスに入る。


 ——良い表情してんだよなぁ……


 楽しくて仕方ない、という様な表情。ヘラヘラしているのとはまた違った、やる気に満ちあふれているというか、良い感じに集中できているというか、そんな表情だ。


 ——これ、空振り取るのしんどいぞ……


 ただでさえボールをバットに当てるのが上手い亀山が良い精神状態で打席に入れているのであれば、ボテボテの内野ゴロを転がすのはそう難しいことではないだろう。それなりに強い打球でのゴロならば良いのだが、球足の遅いゴロだとタッチプレーとなるホームはセーフになってしまう可能性が高い。そしてまた、亀山はあえてそういうゴロを狙って転がして来る様なタイプの選手である。


 ——どうしようか、初球はストライク欲しいけど……。簡単に当てられそうだな、一球高めで釣ってみるか? 打ち気にはやってるなら手を出してくれそうだし……


 水谷に高め、ストレートのサインを出して、それを返してきたのを確認してからセットポジションに入る。ちょっとボールを長めにとって背中越しにランナーを目で牽制してから、ササッと足を上げて、クイックで投げ込んでいく。


「「走った!」」


 ——何だって!?


 足を踏み出して、ボールをリリースしようとしたその瞬間、亀山がサッと体を開いてバットを寝かせる。


 ——スクイズ……! やばっ!


 スクイズだと気付いた時にはもう遅い。咄嗟にバットに当たらないところに外して投げるにはもう遅すぎて、外して投げることは出来なかった。


 コンッ。


 高めに浮いたボールに合わせる様に、亀山が体を伸ばしてバットを上から当てに行く。流石チーム屈指のバント成功率を誇る亀山だ、三塁線にボテボテとボールが転がった。


 ——無理! 間に合わない!


 投げ終わってすぐにダッシュするも、ホームは間に合わないタイミング。それどころか、一塁もアウトに出来るかどうかのギリギリのタイミングだ。


「触るな!」


 水谷の声に、同じくサードからダッシュしてきた杉田がその足を止める。高橋も出しかけていたグラブを引っ込めて、ボールの行方をただ見守る。


 ——切れろ、切れろ……!


 野手がボールに触れる事無くラインの外側に転がればファールになるのだが……。無情にもボールはライン上、やや内側でピタリと止まった。

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