106.凱旋⑦
「走れ浅井!」
「振り逃げだぁ!」
慌てて水谷がボールを追って走り出す。浅井もバットを投げ出してファーストへ駆け出す。水谷がボールを拾い上げて、反転する。既に浅井はファーストベースまで2、3歩。
——間に合わない……!
「投げるな、みずた……」
水谷が思いっきり腕を振り抜く。
「どわっ!」
大きく逸れた送球にファーストが思いっきり手を伸ばす。が、そのさらに先を通過し、今度は一塁側のファールグラウンドを転々。それを見た浅井が慌てて方向転換して、今度はセカンドベースを目指して走り出す。
バックアップの為に走っていたセカンドがワンクッションでボールを押さえようとフェンスの方に体を向ける。が、運の悪いことにボールはファールグラウンドの隅に設けられた記者席に飛び込んでしまった。インプレー中に記者席やベンチにボールが入った場合、ボールダッドとなって、ランナーには進塁権が与えられる。今回はホームベースから2つの塁の進塁権が与えられるケースである。
これでノーアウトランナー2塁。いきなり得点圏にランナーを背負うこととなってしまった。
——やべぇな、どうしよ……
こんな時には投手コーチがマウンドまで来て一旦落ち着かせることが多いのだが、つまらないことで既にそれは不可能になっている。とりあえず、マウンドに内野陣がわらわらと集まってくる。
「す、すいません……」
マウンドに来た水谷は、青ざめた顔でうつむいたまま、一言謝るのだけで一杯一杯という様子。
「おい、しっかりしろ水谷! ミスを引きずるなよ、次どうするか考えようぜ!」
サードを守る杉田が水谷の背中をバシッと叩いて活を入れる。今は内野手としてプレーしているものの、キャッチャーとして高校日本代表に選ばれたこともあるプレーヤーだけあって、こういう場面ではどんどん引っ張ってくれる存在だ。
「で、どうします? ここから上位打線ですし、バント警戒しても良いかも……」
「ランナー2塁だし、出来れば三振、そうじゃなくても、ショートとかサードに打たせて進塁させない様にしたいっすね」
「じゃあ、右バッター相手にはインコース中心、左バッター相手にはアウトコース中心の配球、ですかね?」
「うん、セオリー通りにそれで良いんじゃないか?」
話がまとまりつつある中、水谷はうつむいたまま、一言も発さない。
「おい、水谷、シャキッとしろ! 細かい指示出すのお前だぞ!」
「え、あ、はい、すいません……」
ひと通りの確認が済み、それぞれのポジションに散っていく。顔を上げられないまま、水谷もくるりとキャッチャーズボックスに戻ろうと体を反転させる。
——これで良いのか? こんな時、仲村さんならどうする? 内山さんなら? 亀山さんなら? 青原さんや福原さんなら……?
「み、水谷君……」
「は、はい……」
——怖がってる……?
何となく、水谷の声が震えている様な気がした。
「あ、あのさ、その……、気にしなくて良いから、エラーしたこと。まずはこの回ゼロで抑えようぜ」
「は、はい……」
——あ、これ、引きずってる……
「なあ、今引きずってどうすんの? 今は次どうするかを考えようぜ。」
水谷は無言で頷いて、小走りに守備位置へと戻っていった。
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