104.凱旋⑤
——初球は釣り球かな。多分、コイツ初球から手出してくるだろ。
浅井は変に思い切りの良いところがあるし、それにあの顔から打ってやる! と打ち気にはやっている感じが読み取れる。この感じだったら、ボール球を振らせてカウントを稼ぐのはそんなに難しくなさそうな感じがする。
——えっと……直球で……。や、やばっ!
とんでもないことに気が付いてしまった。
——そういや、こっちからサイン出す方法知らねぇぞ……!? え、どうしよ、え、どうすりゃ良いんだ!?
急激に体が熱くなってきて、嫌な汗が噴き出してくる。ピッチャーが何を投げるか分からないまま投げてしまうのはあまりにも危険だから、そのまま投げる訳にはいかない。かといって、サインの出し方が分からない以上、キャッチャーに球種を伝える術もない。
——え、どうしよ、どうしよ、どうしたら良い、あの、えっと……
「タイム、タイム!」
「どうした、何かあったか?」
ちょっと焦った様な表情を浮かべて齋藤がマウンドに駆け寄ってくる。監督の白石も心配そうな顔でベンチを出てこちらの様子をうかがっている。水谷もマスクを外してマウンドへ駆け寄ってきた。
「えーと、サインの出し方分かんなくて……」
「「え?」」
マウンド上で2人が固まる。
「さ、サインの出し方ぁ?」
「何だよ、心配したじゃん! 怪我でもしたのかと思って焦ったわ、全く。なに、今日は高橋がサイン出すことになってんの?」
「あ、えっと、去年からいるバッター相手の時には……」
「で、それ以外は僕が出そう、っていう話だったんですけど……」
齋藤が一瞬で呆れ返った様な顔になって、手を振ってベンチに問題無いとジェスチャー。ほっと胸をなで下ろしながらベンチに戻る白石を見る限り、どうやら白石にも怪我したのではないかと思わせてしまったらしい。
「んじゃ、高橋がサイン出す時にはとりあえず1番最初に出したサインが球種、で2番目がコースを4分割した時にどこに投げるか、を指示すれば良いんじゃないか? ボール球でも大体のコースさえ分かりゃ何とかなるだろ。」
「あ、そうですね、そうしましょう!」
「あ、じゃ、じゃあそれで……」
よくストライクゾーンは3×3の9分割で表示されることが多く、ボールゾーンまで含めて4×4の16分割で表されることもある。だが、プロのピッチャーでも投げるコースを9分割して投げ分けられるほどのコントロールを持っているピッチャーはほとんどおらず、ほとんどのピッチャーはストライクゾーンを2×2の4分割で投げ分けるのが精一杯だと言われる。高橋も例外ではなく、変化球の曲がりが大きい為にストライクゾーンからボールゾーンに変化させることは出来るもののそこまで細かいコントロールは持っていない。
「あと高橋がサイン出す時でも、普段通りに水谷もサイン出せ。キャッチャーのサイン見て守備位置変える野手もいるからな。」
「「はい!」」
やれやれ、という表情で齋藤が小走りにベンチに戻っていく。
——い、今の恥ずかしかったなぁ。しかも、これでタイム使っちゃったし……。
プロ野球では、タイムをとってマウンドにコーチや監督がアドバイスの為に行けるのは投手交代のタイミングを除いて1イニングに1度だけと決まっている。まだ1球も投げていないというのに、そのたった1回をこんなしょうもない理由で使ってしまった。まあ、これが公式戦ではないのがせめてもの救いか。
「よっしゃ来ーい!」
ほんの少し口角を上げながら、浅井がバット越しにマウンドに目を向ける。まるで宣戦布告でもしているかの様に。
——オッケー……。仕切り直しだ!
高橋もそれに応えるかの様に口角を上げる。さらにそれに応えるかの様に、浅井が小さく頷いて、ゆっくりと構えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます