89.右手

「多分、高橋はかなり右肩を開かない様に意識して投げてるだろ?」

「ええ、まあ。サイドスローにしたのもクロスステップで踏み出す様にしてるのも体が開かない様にする為ですし。」

「やっぱりね。だからなんだと思うけど、かなり早い段階で右手で壁を作ってるんだけど、それがあまりにも早すぎると思うんだよな。」


 よくピッチングフォームの表現には、「壁を作る」という表現がよく使われる。これは利き手と逆の手や軸足と逆の足などで壁を作ることを意識することで体が早く開くのを抑えて、球の出所を見にくくするフォームで投げよう、ということを端的に表現したものである。


「壁を作るのが早すぎる……?」

「うん、右手で壁を作ろうとしてるんだと思うんだけど、あまりにもそれが早すぎるんじゃねぇかな。テイクバックに入る前にその動きに入っちゃってるから、そのタイミングで一瞬、角度によっては握りが見えちゃってるんじゃねぇかと思うんだよね。」


 ——そういや右手のタイミングなんて気にしたこと無かったな……


「でも、多分右手の使い方変えるだけで良いはずだよ、これは。手で投げるタイミングとってる様なピッチャーだとなかなか大変かもしれねぇけど、高橋は足の振りでタイミングとってるだろ?」

「ええ、あんま右手はタイミングには関係無いっす。」

「んじゃ大丈夫だ。フォーム改造っつてもそこまで苦労しないはずだ。じゃあ、今日のメニュー終わったらブルペンに来な。」


 ※ ※ ※



「おう、来たか高橋! じゃあ、早速やろうか。」

「お願いします!」


 まずは軽くキャッチボールしながら、右手の使い方を確認する。この為だけにわざわざ来てくれたブルペンキャッチャーの球団職員さんに挨拶してから、軽めにボールを投げていく。


 セットポジションから足を上げて……

「ほらここ!」


 慌てて足をそのまま下ろす。


「右手、今どうなってた?」


「え? えっと……」


 はっとして右手を見る。既に親指が下になる様な腕の向きで、体の前に突き出されている。


「もう壁作る動きに入ってるだろ?」

「は、はい……」

「じゃあ左手は?」


 視線を左手に移す。こちらは左のみぞおちのちょっと下、セットポジションで構えた時よりも少しだけ左下の位置でボールを持っている。この位置にある、ということはまだテイクバックには入っていない、ということである。


「確かに、まだテイクバックには……。」

「でしょ? んで、ボール隠れてないっしょ?」

「ホントだ……。」


 なるほど、これなら気付く人は気付くだろう。そして、気付かれたら相手チームにあっという間に「アイツ、球種分かるぞ」という情報は広まって、最初は独特な軌道のボールだから打ち取れるかもしれないけれど、いずれ攻略されるのは目に見えている。


「これ、どうすれば……。」

「さっき右手の使い方、って言ったけど、修正方法は2つあるね。まず1つは右手を動かすの遅くしてボールを隠す方法、もう一つは早くテークバックに入って体でボールを隠す方法。」


 ——テイクバックのタイミング変わるのは嫌だなぁ……


「右手の動かし方変える方が良いですね……。」

「まあテイクバック変えると何となくタイミング変わっちゃいそうだし、俺もその方が良いと思うわ。じゃあ、右手の動きを変えようか。ちょっとセットポジションから足上げるとこまでやってみてくれ。」

「はい。」


 言われた通りに、セットポジションから足を上げてみる。


「ほれ、ここで右手を我慢! そこから動かさない! この位置でキープ!」

 齋藤が高橋の右手の手首を押さえて「この位置だ」と示してくる。


「コレ意識してもう一回テイクバック手前までやってみ?」


 もう一度セットポジションに入る。


 ——右手で壁を作るタイミングを少し遅らせる……


 足を上げて、


「ほれ、右手を我慢!」


 テークバックに入る直前まで右手でギリギリまでボールを隠して、それから左手を突き出す。


「あー、ちょっと長すぎるな……。そこまで我慢しちゃうと上手く壁が作れまくなっちゃってる。テークバックの前に一回体の後ろに腕が入るでしょ? そこまでいけばもうバッターからはもう見えないから、そこから壁を作っていく感じだな。」



 ——うぅ、難しい……。でもやらなくちゃ、せっかくここまで来たんだから。しっかし、今年のキャンプもまたフォームで悩むことになるとはね……。


 皮肉にも、2月の半ば。去年フォーム変更を打診されたのと全く同じ時期に、フォーム改造に着手することとなった。




















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