73.新人合同自主トレ②
——やばい、もう眠い……。
始まってまだ15分程度だろうか。机の上に置いたノートにはもはや何て書いてあるか解読困難なほどにふにゃふにゃの文字が羅列されている。パイプ椅子の上で、高橋は必死に迫り来る睡魔と戦っていた。
新人合同自主トレも終わりが見えてきた頃のとある一日。二軍本拠地のベンチ裏、普段は審判控え室となっている部屋に新人選手が集められ、特別講義が行われていた。いわゆる、「研修会」である。
実はJPB主催でも同じ様なことを既に行ってはいるのであるが、球団主催でやる今回はより細かいところまで掘り下げて話をされる。話の内容は「税について」や「薬物乱用防止」、「暴力団の実態と手口」、「SNS上でのモラルと危険性」、さらには脳しんとう処置についてなど多岐にわたる。高校や大学を出たばかりの選手も多く、野球選手である前にまずは社会人としてのいろはを学ぶのがその狙いだ。それに、野球選手は人気商売であるだけで無く社会的な影響も大きな立場であるから、球界全体がこういった諸々の教育を重視している。繰り返し研修が行われるのも、そういった姿勢の表れと言えるだろう。
こういうのが大事なのだということは分かっている。分かってはいるのだが、正直興味が無い内容である。おまけに、新人合同自主トレも終盤に入りつつあって疲労も溜まってきており、もはや眠気と戦わずにはいられなかったのである。
「……えー、という訳で、君たちは『注目される立場』である、つまりは『周囲に及ぼす影響力を持つ立場』である訳ですから、よりモラルのある行動が求められる訳ですし、そしてまた……」
講師の先生の単調な話に、まぶたが垂れてくるのを必死に堪えている同期の選手達は多い。隣に座っている松本も、頭をゆらゆらと揺らしながらも必死に起きようと頑張っている。
「はい、それじゃあ私の話はここまでです。お疲れの中だったと思いますが、懸命に堪えて下さってありがとうございました。皆さんの活躍をお祈り申し上げます。」
——やっぱり眠気に襲われてるの、バレてたか。
というか、松本に至ってはもう完全に落ちてるし。話が終わったことにすら気付いていない。
「おい、松ちゃん、起きろ。講義終わったぞ。」
松本の肩を叩く。
「ふえっ? えっ、俺いつから寝てました?」
「んーと、多分10分くらい前から。俺もうつらうつらしてたから、正確には分からんけど。」
ビクッと飛び起きた松本が、周囲をキョロキョロと見回す。
「おう、松ちゃんおはよう。」
すぐ後ろに座っていた木原翔平と
「翔平は眠くならんの?」
「俺は散々会社でつまらない会議に出続けてきたからな、その耐性はあるはずだぜ。」
さすが、社会人で5年間やってきた人は色々なスキルを持っているらしい。
「大学の必修の興味ない話聞いてる気分でしたよ。もう眠くて眠くて……。」
大きなあくびをしながら桑原がもごもごとしゃべる。
「へー、大学って興味ある講義だけ聴くんじゃないんだ?」
「いやー、必修で取らなきゃいけない科目があるもんなんすよ。そういう授業はこんな感じっす。」
寮の部屋割りは基本的にポジションごとに決められるので、ピッチャー陣は部屋が近くて仲も良い。高橋と同い年の木原、高橋、そして高卒の松本、大卒の桑原の4人が今年指名されたピッチャーであった。同じ年に同じチームに入った同じポジションの選手だけれど、そこに至る経歴は人それぞれである。ここまで経歴がバラバラなのも珍しいかもしれない。
——これからずっと、こいつらと戦っていく事になるんだよな……
何があったという訳ではないけれど、不思議な縁を感じた一日だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます