71.託された夢

「おお、よく来たな。プロ入りおめでとう!」

「ありがとうございます。」


 雪がちらちらと降る寒空の中、高橋は戸山大学のグラウンドのベンチ裏、「説教部屋」こと監督室にいた。入寮に向けて仙台に行く途中、あえて東京を経由して寄ったのである。


「正直なこと言うとな、今年ダメかと思ってたよ。お前の名前、ネットで調べてもさっぱり出てこねぇんだもん。っつーかお前、ほとんど試合で投げてなかったんじゃねーか? ネイチャーズのホームページから試合情報見ても、名前見つけられなかったんだけど。」


 新聞記者ですら二言三言の寸評がロクに書けない位の情報量でしかなかったみたいだから、そう思うのも無理はない。


「投げたのは……、3試合? あ、4試合ですかね、多分。今年はなかなかケガが多くて。」

「はぁー、よくそれで指名されたな! やっぱ、見てる人は見てるもんだなぁ。」

「本当に運、でしょうかね。ムーンズ相手に投げた時に偶然スカウトさんに見てもらえたみたいで。」

「ホントに人生、何があるか分かんねぇもんだな。でも、その運を活かしたのはお前の力だ、自身持ってこれからも頑張れよ!」

「はい。でもまず、お礼を言わせて下さい。ネイチャーズに紹介して頂いて、ありがとうございました。」

「おうよ。」


 ——あれ、何か感極まってる?


 なぜか下を向いたと思ったら、薄紫のレンズの眼鏡を外して目元を拭った。


 ——鬼の目にも……


「おい、何か失礼なことを考えてねぇだろうな?」

「いえ、そんなことは……」


 やっぱり鬼は鬼だったらしい。





 ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



「よう、久しぶり。まずはおめでとう、かな?」

「久しぶり! ありがとな。」



 東京に来たのはもう1人、加藤にも会いたかったからである。せっかくの機会だし、ご飯でも行こうぜと約束していたのだ。


「スマホの画面見て思わず叫んじゃったよ、『うわー! アイツ指名されやがった!』って。試合したときにフォーム変わったの見て頑張ってんだなあ、とは思ったんだけど、ドラフト前全然話題になってなかったし。」

「今年はほとんど投げてなかったからなー、今年はプロ志望届の提出とかも無いし。」

「そんなんでよく指名されたもんだな。しっかしお前がプロ野球選手かー。」


 なぜかしみじみとした口調で加藤が呟く様に話す。


「……。」

 急に口ごもる。加藤の様子がおかしい。


「急にどうしたんだよ? おい、加藤?」

「……。」

「……?」


 ——何だ、どうしたんだよ?


 なぜか表情を曇らせている。うつむいてみたり、挙動不審なのも変だ。


「誰よりも先に、お前に伝えておかなきゃいけないことがある。」

「え?」


 ——まさか、嘘だろ……?


 何となく、嫌な予感がした。今まで加藤のこんな表情は見たことがなかったから。



「俺、プロになる夢、諦めなきゃいけなくなった……。」


 ずっしりと重たい空気が2人の間に流れる。加藤の様子からそれとなく勘付いていたけれど、いざ言葉にされるとなかなかものがある。


「理由を聞いても良いか?」


「……肘、やっちまったんだよ。」

 加藤がうつむいたまま、右肘に左手を当てる。


「今のチームに入って割とすぐだったな、鈍い痛みを感じたのは。そこまで強い痛みじゃなかったし、ちょうどそのタイミングで正捕手だった先輩が骨折したから出場機会が貰えるようになったんだ。」

 相変わらず加藤はうつむいたままだが、その目には光るものが浮かんでいる。


「バッティングも調子良かったからさ、なかなか周りに言い出せなくて。注射とかで騙し騙しやってたんだけど、夏頃からはプレー中にも痛みが出始めて……。バットを強く振ることさえままならなくなってきて……。」


 ——そういうことだったのか……。


 大学では振り切る様なスタイルだったのに、練習試合では合わせる様なバッティングばかりだったからおかしいな、とに感じていたけれど、まさかそんな理由だったとは。あのときはヒットを求めてバッティングスタイルを変えたのかと思ったけれど、おそらくもうあの時点で強く振れなくなっていたのだろう。


「そんなに酷いケガ……、だったのか?」

「馬鹿だったよ、俺。最初は多分ここまでのケガでは無かったと思うんだ。けど、痛くて痛くてボールが投げられなくなった時にはもう……、靱帯断裂までいっちゃってて……」


 ピッチャーほどではないけれど、キャッチャーもかなり肘に負担が掛かるポジションである。今の時代、トミー・ジョン手術などの手術をすれば肘を壊したとしてもかなりの確率で直る。だが、大抵の場合、その治療には1年近くかかるのだ。さらに、いくら治ると言っても術前よりも弱くなっているため、負荷が掛かったときにまた同じ様なケガをしやすくなってしまう。いわゆる、「古傷」になってしまうのである。いくらでも下の世代からスター候補たちが出てくる中で、故障持ちのオールドルーキーが指名される可能性など、皆無と言って良い。


「なあ、お前に俺の夢、託しても良いか?」

「任せとけ。お前の夢見た世界で、お前の分まで戦ってやるよ。」



 必死に涙を堪えるその姿に、お世辞で「お前にもまだチャンスはあるはずだ」なんて言葉を掛ける気にはなれなかった。



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