61.最後のアピールチャンス⑦



 ——ちくしょう、ランナー3塁でクリーンアップかよ……。



「3番、ファースト、赤村あかむら。背番号3。」


 昨シーズン、FAでムーンズに移籍してきた日本を代表する右バッターで、打点王3回、3割30本以上を3年連続で達成している長打力もミート力も兼ね備えた、ムーンズ打線の要とも言える存在だ。


 ——どうするかな。ここは無理に勝負しないで、最悪フォアボールでも良いのか? でも、ランナーを溜めたくはないし……。


 本来ならここでタイムを取って内山やコーチとどうするか相談したいところなのだが、さっきポカをやらかした時にタイムは使ってしまったからそれが出来ない。ピッチャーの交代でない限り、1イニングにタイムは1度しか取れないのである。



 足下を平しながら、赤村が右の打席に入る。高い位置にグリップを置く、いかにもパワーヒッターらしいどっしりとした構え。マウンド上でも打ちそうなオーラがガンガン伝わってくる。これを威圧感、というのだろうか。


 初球は外角に逃げていくスクリューのサイン。内山がミットで地面を叩いて、『バウンドしても良いから低く投げろ』というメッセージを送ってくる。ホームスチールは極めて稀なプレーだし、しかも2アウトでクリーンアップという場面だから、3塁ランナーはあまり気にせずに投げて良い場面。だが、万が一暴投にでもなったら失点になってしまうから、バウンドし得る変化球を投げるのはなかなか勇気が要る。


 ——頼みますよ、内山さん。


 例えバウンドしたとしても、きっと内山が止めてくれるはず。それを信じて、思いっきり腕を振って投げ込む。


 カァァン!


 赤村が合わせた様なスイングで捉えたボールが、一塁線を襲う。


 ——ヤバっ!


 ファーストが飛び付く。が、ボールはそのミットの先を抜けていった。


 ——くっ!


「ふぁ、ファール! ファール!」


 一塁審が大きく腕を広げながら叫ぶ。


「うわー、マジかー!」

「惜っしー!」

 三塁側のムーンズベンチが一気に湧き上がる。打った赤村も口を尖らせて悔しそうにしている。


 ——あっぶねー! 抜かれたかと思った……。いつもあんなフルスイングしてるのに、あんな打ち方してくる事もあるのかよ。


 赤村がもう一度打席に入り直す。高橋も球審から新しいボールを受け取って、もう一度マウンドに戻る。ロジンをひょいっと拾い上げて、左手の上で何度かポンポンとバウンドさせた。


 ふー、と息を吐いて、内山のサインを確認する。今度は内側にストレートのサイン。セットポジションから、クイックで投げ込む。構えたところの近くに、しっかり指に掛かったボールがいった。




 パァァァァァァァン!


 赤村のフルスイングしたバットの真芯に当たったボールが、高々とレフト線へ舞い上がる。レフトポールよりも高い位置を通過して、スタンドを超えていった。


「ファール、ファール!」

 今度は三塁審が大きく手を広げてファールのジェスチャー。

「マジかよー!」

「ポール巻いてんじゃないの?」

 ムーンズベンチがさらに熱を帯びる。こういう打球は公式戦ならリプレー検証になるところだが、今日は練習試合でカメラも回っていないために審判の判定が覆ることはない。


 ——も、持って行かれたかと思った……。何なんだよ、あの打球は!?


 150m近くは飛んだだろうか。あんな打球を飛ばされて動揺せずにいられる訳がない。もう一度ロジンをつまみ上げて、左手でバウンドさせる。別にボールが滑ったりする訳じゃないけれど、あんな打球を打たれたのに間を取ることもせずにぽんぽん投げ込める度量は持っていなかった。


 また内山のサイン交換。出されたサインは内角、ストライクになるかボールになるかギリギリのコースに切り込むスライダー。


 ——えぇ、3球勝負ってこと? ちょ、ちょっと待ってくれ内山さん、さすがに見せ球も無しにこのバッターは打ち取れないって!


 首を横に振る。が、内山もサインを変えてこない。慌ててプレートを外して、仕切り直す。もう一度サイン交換。またしても内角にスライダーのサイン。


 ——無理だよ、内山さん……。

 もう一度、首を横に振る。しかし、内山はサインを変えない。




 その時、内山が大きく頷いて、右手で『来い』というジェスチャーをしてきた。さらに、右手を振って、『思いっきり腕を振れ』というジェスチャーも。マスク越しの内山の表情から、その決意の固さが伝わってくる。


 ——内山さんは、俺のボールを信じてくれてるのか? 


 もう一度、内山が頷く。


 ——なら、俺が自分を信じなくてどうするよ!


 キャッチャーからのサインというものは、ピッチャーへの期待に似た様なものだ。どうすれば打ち取れるのか。ピッチャーの持っているものをどう使えば抑えられるのか。キャッチャーはそれが投げられると思ってサインを出す。キャッチャーなりに出した、どうすれば抑えられるかの答えをピッチャーに伝えるものがサインなのだ。



 クロスステップで踏み出して、体に巻き付く様に鋭く、コンパクトに、思いっきり腕を振る。


 リリースされたボールは、外から大きく、右バッターである赤村の膝元を抉る。


 スパァァァァン!



 赤村のバットが、空を切った。







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