41.意識


「林さん、何度言えば分かるんですか!」


 トレーニングコーチの井出の声が、屋内練習場の玄関まで響いてきた。遠征から帰ってきて早々、林に雷を落としているらしい。


 ——絶対ビーチでヘッスラして、ギブス巻き直さなきゃいけなくなったことだよね? 林さんが怒られてるのって……。しばらく近付かないようにしておこう。前回はトレーニング中の怪我だったから俺は灸を据える程度でほとんどお咎め無し、って感じだったけれど、今回は、ね……。


 テンション上がった末に波打ち際でヘッドスライディングした結果、海水でビショビショになった挙げ句、砂まみれになってしまった。元々巻き直す予定はあったのだけれど、さすがに巻いてから1週間もしない内に巻き直すことになるとは。ギブスを巻き直してくれた外間先生にも、「こんな理由で巻き直したのは初めてだよ。はっちゃけすぎ!」なんて言われてしまった。


「いい歳して! 練習じゃないとは言え、選手はまだまだ若造なんだし我々と違って体も動くんですから! 前も言ったでしょ、我々はブレーキ役になんなきゃいけないんだって!」


 ——うん、これは今出て行ったら怒られるやつだ。集合時間より早めに着いたけれど、中に入るのはギリギリにしよう。


 一度脱ぎかけた靴をもう一度履き直して、そそくさと玄関から出ようと……した時だった。


「おい、高橋ィー……!」


 聞いたこともないような口調。思わず体が固まる。


 ——ヤバい、見つかっちゃったー……。

 脱出失敗。


「逃がさねェぞ……! お前もちょっとこっち来いやァ……!」


 ——うわぁ……。










「ふあー、おう、おはよう高橋。なんか井出さんにすげぇ怒られてたな、どうしたんだよ?」

 まだ来たばかりでリュックサックを背負ったままの仲村が、眠そうな様子で聞いてきた。


「あ、仲村さん、おはようございます。あれ、仲村さんこそ何で屋内練習場に? 遠征組は球場でコンディショニングじゃないんですか?」

「ん、まぁ俺ぐらいの歳にもなると、もっと入念に体の手入れをしてもらわないといけなくてな。特に肘を一昨年壊しちまってるから、余計にケアには気を付けなきゃいけなくてな。んで、井出さんにケアしてもらおうと思ってここに来たんだけど……。」

「僕らが怒られてた、と。」

「そう。何があったの?」


 ——えーと、何て説明したら良いかな。意識が足りない、って言われるのは目に見えてるからなぁ……。


「えっと、まあ、その……、ちょっとビーチではっちゃけちゃいまして。あ、いや、別にそれで悪化した、とかじゃないですよ。ギブスの交換が必要になっちゃっただけで。」


 やれやれ、と言いたいのが仲村の表情からにじみ出る。


「ま、お前のうろたえ具合を見てれば俺が言いたいことは何となく勘付いてるんだろうけど。でもあえて言わせて貰うぜ? じ・か・く・を・持・て! 全く……。」


 はい、ぐうの音も出ませんとも。全くもってその通りです。


「まあJPBとこのチームじゃ日程が全然違うけど、JPBに行きたいんならJPBを常に意識しておきな。JPBだったら毎日試合があるから、回復が遅れるってことはそれだけ投げるチャンスも減るってことだ。しかも、2軍でも常時15人はピッチャーいるんだし、こういうことを繰り返してると見切られちまうぞ?」


 さすがプロの世界で10年も投げてきただけあって、色々と事情には詳しい。


「まあ、社長と一緒にはっちゃけちゃったんじゃあしょうがないよなぁ。ねぇ、社長さん?」

「ひぃっ!」


 いつの間にか後ろで話を盗み聞きしていた林が、びくっとして悲鳴を上げた。


「まさかケガしてる自分のチームの選手と、ビーチではっちゃけてヘッスラする球団社長なんかいませんもんねぇ?」

「……ごめんなさい。」


 ——選手にイジられたり、スタッフに叱られたりする球団社長って他にいるんだろうか?


「まあ、スカウトさんとか、結構新人を見る時には選手としての能力だけじゃなくて人間性とか野球への意識とか、そういうところも見てるらしいからな。そういうところも一応意識しておけ、まあ社長とかスタッフさんとかと壁がないことはめちゃめちゃ良いことだけどな。」




「おーい、高橋、仲村、こっち来―い! コンディショニング始めるぞー。」

「はーい!」

「了解です!」


 井田の声が響いたら、林がこそこそと玄関へと向かっていった。







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