26.公式戦初登板③
「ファーストランナー、小山内に代わりまして、
大きな体の若いバッターだが、打ちそうな雰囲気がある。屈伸して、右打席に構えただけなのだが、オーラが半端じゃない。
——確か、さっき職員さんに貰った情報だと、2軍で三冠王を獲ったこともあるムーンズの将来の4番候補。今年も1軍では変化球に対応出来なくて苦労しているものの、2軍では無双状態、って話だったな。
サイン交換を終えて、セットポジションに入る。ファーストランナーが目に入る。代走で出てきた横江は、甲子園を俊足で沸かせた元ドラフト1位。流石に足に自信があるのだろう、かなり大きなリードをとっている。
——やっべ、このフォームだとほとんどクイックなんか練習できてねぇんだけど……。
投球モーションが速ければ速いほど、ランナーは盗塁しにくくなる。普段はゆったりとしたフォームで投げていても、ランナーがいる場面では基本的にクイックモーションという素早いフォームで投げるのが鉄則である。のだが、ここまで通常の投球フォームで安定して投げることさえままならなかったから、クイックなんてほとんど練習できていなかった。
おまけに、牽制しようにもフォームを変える前の動きしか出来ないから、牽制する時と投球する時の差が大きいはず。見分けるのが難しくないと思われてしまうと、かえってリードを大きくとられて、盗塁されやすくなるかもしれない。
——ヤバいな、どうしよう?
混乱してきたので、とりあえず一度プレートを外す。
この反応で、内山が察してくれたらしい。改めて出されたサインはウエストしろ、というもの。ウエストとは、キャッチャーが送球しやすいように大きくストライクゾーンを外して投げることで盗塁を試みたランナーを刺そうという配球である。
盗塁を防ぐのはピッチャーとキャッチャーの共同作業だとは言われるけれど、ピッチャーにその能力が無い以上、もはやキャッチャーのリードと肩になんとかして貰うしか無い。
セットポジションから、少しいつもより長めにボールを持つ。投げるタイミングをずらすことで、スタートのタイミングをずらそうと思ったのだ。
「「走ったァァ!」」
足を上げた瞬間、あっさりとスタートを切られた。ベンチからランナーの動きを教える声が聞こえる。とは言え、ロクにクイックなんて出来ないから、せめてキャッチャーが投げやすいところに投げるしかない。
——内山さん、すいません!
中腰の状態で捕球した内山が素早くボールを持ち替えて、矢の様な送球をセカンドへ。ベースカバーに入ったセカンドの亀山の体よりややファーストベース寄り、最もタッチしやすい完璧な位置への送球になった。
ランナーの横江が、ほとんどスピードを落とさずにスライディング! 亀山もその足を狙って懸命にタッチする。
——かなり際どいタイミング! どうだ!?
「セーフ、セーフ!」
二塁の塁審が、大きく両手を広げる。
——うわ、マジか!
JPB6年間の通算盗塁阻止率.386の強肩を持つ内山の完璧なスローイングを持ってしても刺せないとなれば、もはや打つ手は無い。言ってしまえばフリーパス状態だ。
——まずい。非常にまずい。クイックの練習はしていないとは言え、多少モーションの速さを意識して投げないと、三盗までされちゃうんじゃないか?
ストレートのサインに頷き、セットポジションに入る。セカンドランナーを目で牽制して、クイックでの投球を試みる。
「「走ったァァ!」」
——何だって!?
左ピッチャーからはセカンドランナーの動きは見えないのだが、どうやらスタートを切ったらしい。
——そんなことさせてたまるか!
できるだけ早くリリース、を意識したのが仇になった。
リリースのタイミングがずれた。典型的な抜け球になってしまった。
「うわぁっ!」
左のバッターボックスよりもさらにキャッチャーから遠い方向、とんでもないコースへの投球になった。要するに、大暴投。
内山が懸命に飛びつくが、伸ばしたミットのその先をボールが通過する。
——やっべぇぇぇぇ!
慌てて内山が起き上がり、バックネットまで到達したボールを追いかける。
高橋もまた、ベースカバーのためにホームまでダッシュする。
スタートを切っていたランナーが、躊躇無くサードを回ってホームへ突っ込んでくる。
「ホーム!」
手を挙げて、内山にアピール。スライディングしながらボールを抑えた内山が、膝をつきながら懸命に反転スロー。半身になって、スライディングしてくるランナーに正対する姿勢で送球を捕る。
間一髪のタイミング。ランナーの横江が、ヘッドスライディング!
——間に合えぇ!
必死に右手を伸ばす。ヘッドスライディングしてきた横江の左手にタッチ……出来なかった。
タッチしに行った瞬間に、横江は左手を引っ込めて、右手を回り込ませる様にしてホームベースに触れていった。
「セ、セーフ、セーフ!」
主審が横に手を広げながらコールする。タイミング的にはギリギリだったが、上手くタッチをかわされた。
——う、上手っ! そんなスライディングの仕方ある!?
思わず呆然と立ち尽くす。
「おい、高橋!」
内山の声が、耳に届く。
内山が主審からボールを受け取って、ボールをグラブに入れてくる。そのまま一緒にマウンドまで向かう。
「そんな顔すんなよ。今のはしょうがねぇ、ランナーを褒めるプレーだ。」
「いや、でも明らかに俺が暴投したのが……」
「ピッチングの反省は後で良い。とりあえず、ランナー出しても焦るな。やってもいないクイックとか、今はどうしようもないしさ。」
「でも、それじゃフリーパス状態じゃないっすか。」
「まあ、それはそうだけど。それよりはさ、一個のアウトを取ることに集中しようぜ。」
「は、はあ……」
「おい、長いぞ!」
主審からの注意が入り、すみません、と手で合図しながら内山が駆け足でキャッチャーズボックスに戻る。
既にカウントは2ボールノーストライク。絶好のバッティングカウント。かといって、甘いボールが行ったりしたら……。
——下手に甘く入って長打にされる位なら、いっそ……。
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