16.トレーニング


「あれだけ無理させるな、って言ったじゃないですか!」


 リハビリのために、松葉杖を突きながら球場のすぐ脇にある室内練習場に来ると、玄関のドアを開けるなり、トレーニングコーチの井田浩太郎いだこうたろうに林が怒られて、ペコペコしているのが目に入った。


 ——林さん!? 


「選手が焦るのはある意味当然なんですから! それを周りが止めなくてどうするんですか!」


 井田が怒っているのは、これまで見たことがない。基本的には、気の良い背の低い小太りの、割とどこにでも居そうなおじさん。チームジャージを着ていなければ球団関係者とは思われなさそうな容姿である。そんな井田が、耳が真っ赤になるほど怒っているなんてかなりのレアシーンである。まあ、それ以上に球団社長がコーチに怒られているなんて構図が普通ならあり得ないところなんだろうけれど。


「あの、おはようございます」

「「おう、おはよう!」」

 ちょっとオドオドしながら挨拶すると、2人ともスッと表情を普段通りに戻して、返してくれた。林さんの方はちょっとしおらしくなっていたけれども。


 自分がケガしたことで他の人が責められるのは見ていていたたまれなかったから、そこだけは一言言っておきたくて、2人の会話に割って入る。


「あ、あの……、ケガしたことは、単に俺が勝手にオーバーペースでやろうとしたのが行けなかったのであって……」

「いやいや、むしろお前はそれで良いんだ、高橋。お前はどんどん突っ走っていけ。一回失敗したヤツが言っても説得力無いだろうが、突っ走りすぎて危ない時には俺たちがブレーキを掛けるからさ。」


 思いっきり被せて言葉を発しながら、林が首を横に振る。

「ケガさせない様にするのも俺らの仕事なんだよ。今俺が怒られてたのは、単にそれが出来なかったからだよ、お前が気にすることじゃない。というか、その役目を果たせなくてすまなかった、申し訳ない。」

「は、はあ……。」

「まあ、あれだ、お前が活躍してくれることが俺らの願いなんだからさ。お前はどんどん思いっきりやってくれ!」




 さて、そんなことを言ってもらえはしたものの、そもそも投げ込むどころではなく、まずは2~3週間のリハビリ生活に突入。1ヶ月くらい先にはブルペンに入って、徐々に練習強度を上げていく予定だ。それまではトレーニングコーチの井田が付きっきりでリハビリに付き合ってくれることになった。


「しばらくは俺はブレーキ役にしかならないからな。」

 さっきまでの剣幕からは想像できない程の軽い口調で、井田がトレーニングの説明をし始めた。

「幸い、痛めたのが利き足じゃなかったからな。足回りの強化と上半身のトレーニングを中心に進めていくぞ。」


 井田が持ってきてくれたメニューは、いわゆる地味なトレーニングばかりである。チームメイトが球場やブルペンで練習しているのを横目に、室内練習場の中にあるトレーニングルームでゴムチューブなんかを使っての地道なトレーニング。


 見た目にはなかなか地味なんだろうけど、やってる側はメチャメチャしんどい。でも、これしかやれないと思ったら、やるしかない。


 ——リスト強化のあとは……、15分休憩か。じゃあその間に少しベンチプレスでも……

「おーい、あんまり上半身の筋トレはやり過ぎるなよ? 特にお前の目指してる投げ方だと、肩甲骨周りは柔らかくないと今後ケガしやすくなるからな!」


 ——今日のメニュー終了! じゃあマシン使ってもう少し背筋強化を……

「おーおー、頑張るねぇ! でも今日はそこまでにしとけ、明日もあるんだから。」



 ——ただでさえやれること限られてるんだからやれるだけやりたいのに……。


「お、なーんか不満そうな顔してんな! 言ったじゃねえか、俺はブレーキ役だって! これ以上はケガなんかさせねぇぞ? つーか、お前、感情が顔に出やすくて分かりやすいな! 」


 無意識に顔に出ていたらしい。そういや、サイドスロー転向で悩んでる時にも、考えてたことをまんま言い当てられたことがあった様な……。


「良いか、高橋。トレーニングはただがむしゃらに量をこなせば良い、ってもんじゃないんだぜ? あくまでトレーニングはトレーニングでしかなくって、試合になったらどれだけトレーニングしたかなんて関係ないからな。負荷を掛けすぎると体を痛めるだけだ、トレーニングのやり過ぎでピッチングの質が落ちるとか、本末転倒だろ?」


 所々にハハハッという笑いを挟みつつ、的確にアドバイスしてくる。かえってシリアスに話してこないから、反論してでもトレーニングしたいとか思えない。しょうがないから、今日はこれで止めておくか。




「このあと時間あるか、高橋?」


 帰ろうと、室内練習場の玄関で靴を履き替えていると、声を掛けられた。振り返ると、同じく練習を終えたところであろうラフな服装の内山が立っていた。


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