10.ぶつかった壁、下した決断

 「ちょっと、海でも見ながら話さねえか?」


 試合後、クールダウン中にそう言われて、寺田に球団事務所のすぐ近くのビーチに呼び出された。寺田より先に来たらしく、姿が見えない。仕方ないので、人もまばらなビーチの隅っこに座り込んで、沈んでいく夕日を眺めることにした。



 ——決して調子は悪くなかった。変化球が抜けたりしてた訳でもなかったし、ストレートも指に掛かってた。それなのに……、打者7人に対して被安打5、四球2。1つのアウトも取れず、自責点は6。防御率は計算不可能、いや無限とは言えるか。空振りどころかまともにストライクすら取れなかったし、何よりどのヒットも芯で捉えられてた。そして、あのどうしようもない感覚……。

 思わず自分の左手を見つめる。打たれた時の、いや打たれこまれた時のあの感覚がよみがえってくる。


 簡単な話、打たれたのは完全な力不足だった。相手が2枚も3枚も上手だったのである。指に掛かったと思ったボールがいとも簡単に捉えられる。良い曲がり方したと思った変化球が、あっさりと見切られる。抑えようが無い。調子が悪いわけじゃないのに、太刀打ちできない。




「すまねぇ、遅れた。だいぶ待ったか?」


 ——聞き覚えのあるハスキーボイス。寺田だ。


「ちょっと話をしようじゃねぇか」


 そう言いながら、高橋の隣に腰を下ろす。


「今日、投げてみてどうだったよ?」


「……初めてです。あんなマウンドでどうすれば良いか分からなくなったのって」

「何もできない感覚か?」

「そう……、ですね。自分の感覚的には良いボールが行ってるのに、相手には全く効いてないなさそうだったし……」


「実際、良いボールは行ってたぞ?」

「え?」

「感覚だけじゃなくってちゃんとデータにもそれが出てたぞ。ブルペンの時より球速も出てたし、回転数も上がってた。見てる限りではコントロールが荒れてるって感じもしなかったしな。キャンプの成果は出てたんじゃねぇかな」


 ——ということは、俺のボールが通用しないというより、やっぱり今のフォームじゃ通用しないってことなのか……?




「なあ、お前が守ろうとしているのって、何なんだ?」


 いきなり、遠くを見ながら寺田が問いかけてきた。


「フォームを変えるの、怖いんだろ? お前の表情見てりゃ、新しいフォームに挑むのが怖いからフォーム変えるのを嫌がったんだろう、ってことは察しがつくさ」 


 ——全部見透かされてたのか……。


「なあ、一体お前は何を怖がる必要があるんだ? 何を守る必要があるんだ?」


「今までやってきたこと、無駄になるんじゃないかと思って……。だって、もしフォーム変えて上手くいかなかったら、俺、何の為に野球続けたのか分からなくなっちゃうし……」


 寺田が口を尖らせる。

「お前がそれで後悔しないんだったら、まあそれでも良いんだけどさ……」


 少し間が空く。サラサラ、という波が砂を洗う音だけが繰り返される。


「寺田さん、もし今のフォームで投げ続けたとして、俺、どこまで行けると思いますか?」


「そうだな……。10キロくらいスピードがアップするとか、新しく武器になる変化球をもう一つ覚えられるとかがあれば別だが、今の持ってるもののレベルアップだけだったら多分、既に完成形に近いんじゃねえかな」


「既に……ですか?」


「コントロールもつくし、球のキレも変化球の曲がりもプロの平均以上。別にクイックが下手だとか、そういう訳でもないしな。数字だけ見りゃ、ここからもの凄い進化はなかなか難しい、と思うけどな。」


 ——じゃあ、何で指名されないんだよ! 

 内心毒づく。


「じゃあ、お前は何で指名されなかったんだと思う?」


 ——あれ、まさか今、声に出てたか!?

 心を覗かれていた様な気がして、思わず動揺。


「あ、えっ、いや……、あの……」


「——何でそんなに焦ってんだよ、落ち着け。」



 まあ、落ち着いて考えれば答えは明白である。良いボールなのに打たれる、ということはバッターからすれば打ちやすいフォームで投げているのだということである。


「お前の今のフォームじゃ、ここより上に行くのは正直難しい。少なくとも、フォームを変えた方がJPBに近いのは間違いないと思う」


 ——事実として、感覚が良かった今日のマウンドでも打ち込まれた。良いボールだったはずなのに、誰一人として抑えられなかった。いや、全員に完璧に捉えられた。やっぱり、フォームを変えなければ厳しいのか? でも……。



 無言の時間が流れる。日が沈みかけ、薄暗くなった海に寄せるササーっというさざ波の音だけが耳に届く。







「なあ、もう一回言うぞ。一体お前は何を怖がる必要があるんだ? 何を守る必要があるんだ? フォーム変えることにビビってて、この先プロ選手としてやっていけると思うのか?」

 決して大声ではなかった。が、それは強い言葉だった。


「良いか、今の俺の仕事は——、お前をJPB球団に認めさせることだよ。せっかくお前は良いモノを持ってるのに、ビビって明らかな弱点を放置しようとしてる。確かにフォーム改造にはリスクはあるさ。そしてそれはやってみないと吉と出るか凶と出るかは分からない。でもな、リスクを避けた先にお前に残るモノは何だ?」




 ——俺に残るモノは……、所詮ノンプロレベルのピッチング……。失敗したところで、結局はノンプロ、か。俺にとって、『後悔しない選択』ってどっちなんだろうな……。




「サイドにしたら、俺、JPBに行けると思いますか?」

「そう思ってなかったら、そもそもこんな提案なんかしてねぇよ」



 間髪入れずにそう答えられたから、信じてみることにした。









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