3.職探しの果てに


「——あんな監督の表情初めて見たわ。」

「面食らってたなー! まさか声裏返るとは思ってなかったわ。」

 監督室を出て、とりあえずグラウンドに戻ってきた2人は、もう一度キャッチボールを始めた。

 ——燃え尽きて、ないんじゃないか。

 さっき言われたこの一言が、頭の中でリピート再生される。


 ——野球、俺に諦められんのかな……。


 小学校で地元のスポーツ少年団のチームで野球を始め、中学では硬式野球がやりたくてボーイズリーグのチームに入団。高校も、県内有数の強豪私立で甲子園を目指した。決勝で敗れて甲子園に行けなかったから、大学では全国区のチームでプレーしたいという理由で東都六大学の名門、戸山大学に進学。いつでも野球が生活の中心にあった。その野球が無くなる生活は、正直なところ全く想像できなかった。



 ——今までまともに勉強してこなかったからな……。とりあえず、職探し、しないといけないよな……。


 キャッチボールを終えた後、特にやれることも無いのでとりあえずハローワークに行ってみることにした。もしかしたら良い求人があるかもしれないし、まずそもそもそれ以外にどうやって仕事を探していいのかも分からなかった。




「どうぞ、お掛け下さい。」

 ハローワークで対応してくれたのは、感じの良い年配の女性だった。首から下げているネームプレートには、「谷口たにぐち」と書いてある。


「ええと、まず私が単に疑問に思った事を聞きたいんだけど、高橋君は何でここに来たのかしら?」

「えっ?」

「だって戸山大学って言ったら日本有数の名門私立じゃない。なのに何でハローワークなんかに? しかもこの時期に。」

「あっ、えっと、その……、今まで就活とかしてなくて、だから……」


 ここでそんな事聞かれると思っていなかった。しどろもどろにしか答えられなかった。谷口はあきれた、と言うような表情を浮かべる。


「そっか。じゃあ希望する職種は?」

「とりあえず何でも……、生活していけるなら。」

「まあ、いくつか紹介できるのはあるんだけど。」


 そう言うといくつかの書類を持ってきてくれた。営業、清掃員、介護関係、などなどとにかく職種の幅は広かった。が、当然ほとんどは既に就職先が決まった友人達に聞いていた待遇よりも悪く、かつ契約社員かバイトという形態がほとんどだった。


「ちょっと、考えさせてもらっても良いですか?」

 じゃあこれで、と思えるものは正直見つけられなかった。一番いい待遇のものを選んだとしても、暮らしていくにはなかなか厳しいと思える条件だった。


「もしかしたら、単なるおせっかいでしかないかもしれないけど……。日本全国どこでもいいっていうんなら、『採用情報』ってインターネットで検索してみるといいかもしれないわよ。全ての企業がハローワークに募集を持ってくる訳じゃないからね。」



 ——そうか、企業のサイトからも求人って調べられるのか。それが分かっただけでもハローワークに来てみた意味はあったかな。どうせ時間あるし、ちょっと調べてみるか。


 そう思って着ていたウインドブレーカーのポケットから取り出したスマホの画面を見て驚いた。

「着信17件⁉」

 監督の小澤から6件、知らない番号から2件、あとは全部加藤から。


 ——一体、何があったっていうんだ⁉知らない番号にかけるのも怖いし、故意ではないといっても監督の電話を無視してしまった手前、監督に掛けるのも気が引ける。とりあえず、加藤に電話するか…。


「——もしもし?何かあっ……」

「——やっとつながった! どこで何してたんだよ、まったく!」

 加藤がこちらに喋る隙も与えずに続ける。

「今どこにいる? こっちに来るまでどれくらい掛かる?」

「どこって……、」

 ——いや、ハローワークに行っていたとはなんか言いたくないな……、なんて言おう?

「あー、もうどこでも良いわ、いいから急いでこっち来い! 早く!」

「こっち、ってどこだよ?」

「大学のグラウンド! 監督室!」

「お、おう、すぐ向かうわ」


 なんであんなに加藤が焦っていたのかは分からなかったが、とりあえず何かあったのだろうということだけは伝わった。


 さすがに首都だけあって、交通の便は良い。地下鉄を使えばグラウンドまでは10分もかからなかった。とりあえず急いで監督室へ向かうと、扉の前に加藤が落ち着きなく立っていた。

「やっと来た! 俺は入れないけど、しっかり話して来いよ!」

「いや、待って、何があったのさ?」

「スカウトだよ、お前に。」


 ——マジで?

 にわかには信じ難いことだが、でも事実なのだろう。


 コンコン、とドアをノックすると、『おう、入れよ』と小澤の声がした。

「失礼します。」

 ドアを開けると、いつも通りの小澤の横に、見慣れないガタイの良い男が立っていた。年齢は30代半ば、といったところだろうか。なかなか爽やかな印象である。


「はじめまして、高橋選手。私は、琉球ネイチャーズのはやしと申します。」

 そう言って、彼は薄い青色の名刺を差し出してきた。


 ——琉球ネイチャーズ? 聞いたこと無いぞ、そんな名前の球団。そこが俺をスカウト、ってどういうことだ……?



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