2.お先真っ暗


 大学の練習場には、連日マスコミが押し寄せた。誰もが、こぞってドラフト1位指名を受けた高倉を追っかけた。今まであんなに話しかけてきていた記者達は、ただの1人ももう高橋には見向きもしなかった。


 とりあえずグラウンドに来て、キャッチボールを始めてみた。大学入学時から欠かさぬ、毎日のルーティーンである。が、もはや集中力など皆無の高橋はただ体が覚えているままに捕球と送球を惰性で繰り返すことしかできなかった。


「お前、この先どうするつもりなんだ?」

 キャッチボールの相手をしてくれていた、同学年のキャッチャー加藤雅史かとう まさしが聞いてきた。


「この先?」

 言葉に詰まった。


 ——俺、この後どうすれば良い?

 今まで指名されるとばかり思っていた事もあってロクに就活などしておらず、今後のことは考えたことも無かった。


「俺は色々悩んだけど、やっぱまだ野球続けるわ。ちょっとでも可能性があるんなら、プロ野球選手になる夢、諦められねえもん。とりあえず、独立リーグとか社会人チームのトライアウト受けることにするわ。で、お前はどうすんだ? やっぱ野球で生きていくのか?」

「うーん……」

「迷ってるんなら、野球続けたら良いんじゃねえか?お前良いボール持ってんのに、ここで辞めるなんて勿体ないと思うけど。」

「でも、野球続けたところで多分プロにはなれないだろ……」

「なんて悲しいことを」

「だってもう俺ら22、来年23になるんだぜ?プロ入りするには大卒がラストチャンスだったんじゃねえかな。」

「確かに確率は高くないけど、社会人とか独立リーグからの指名ならあり得るだろ。」

「でも……」

「じゃあ野球辞めて、どっかに就職する気か?」

「——そう、するしかなくね?」

 

 どうしよう……? どうすれば良い?

 急に冷静になって考えてみれば、自分の置かれている状況のマズさに気付かない訳はなかった。プロに行けるとばかり思っていたから、ロクに就活なんてしてこなかった。もちろん、院への進学だって全く考えていなかったし、社会人チームからの誘いも『プロに行きたいので』、とドラフト前に断りを入れてしまっていた。大学4年の冬になって、就職先も無ければ大学院の入試も受けていない。大学を出たら、もう行くアテは無いのだ。


 その時、着ていたパーカーのポケットに入れていたスマホが鳴った。

「なんでキャッチボールすんのにポケットにスマホ入れたままにしてんだよ? 画面、割っちまうぞ。」

 加藤が驚いてるのかあきれているのか分からないような顔をする。

「いつもなら入れっぱになんかしてないんだけどな」

 そう言いつつ取り出したスマートフォンの画面には、「小澤裕司」の名前が表示されていた。

「高橋、ちょっと良いか?」

 戸山大学の監督、小澤裕司おざわ ゆうじの聞きなれたよく通る声が、いつも通りのどこかムスッとした様な口調で続ける。

「監督室に来てくれ」


 言われるままに、ベンチ裏の監督室へ向かう。

 「怒られるんかな」

 やけに真面目な顔になった加藤が呟く。

「なんか怒られるようなことしたっけ? 指名漏れ?」

「いや、それはひどすぎるんじゃねえか?」


 まあ、そんな思考回路になるのも無理は無かった。部員の間では監督室のことを『説教部屋』と呼んでいて、監督室に選手が呼び出されるのは怒られるときか、ピッチャーが打者転向を打診される時くらいだった。しかも、小澤は金髪に薄紫のレンズの眼鏡で小太りという、もはやその手の人にしか見えないような格好をいつもしていたのだから。


 コンコン、と監督室の茶色いドアをノックすると、ドアがスッと開いて、小澤が加藤も一緒だったんか、と言いながら部屋に招き入れてくれた。

「高橋、今後、お前、どうするつもりだ? 加藤がトライアウトを受けるっていうのは聞いたんだが。」

 開口一番、小澤の口から出てきたのは慰めでも励ましでも、怒りでもなく今後の身の振り方についての問いであった。

「何も決めてません。」

「野球、続けたいのか?」

 自らのデスクに腰を落としながら、続けて問う。

 やっぱりこれを聞かれんのか。思わずため息をついた。

「だから、本当に何もまだ決めてないです。」

と答えた。小澤の目つきが鋭くなった。


「俺は続けるかどうかを聞いてるんじゃねえよ。続けたいのかどうかを聞いているんだ。」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。


 

「どうなんだ?」

 

「大学で野球続けたの、プロになれるかもしれないと思ったからです。でも、ダメだった。だから、もう……続ける理由が、俺にはありません。」


 何故か分からないけれど、そう言い切ったら、こみ上げてくるものを押さえられなくなった。

 もう、マウンドに立つことは無い。そう思ったら、なんか泣けてきてしまった。

 

「そうか……。」

 高橋は無言で唇を噛んだ。小澤は、ゆっくりとデスクに置いてあったノートパソコンを開いた。そして、目はパソコンの画面をじっと見つめたままで、ポツリと呟いた。


「燃え尽きて、ないんじゃないか。」


小澤がゆっくりと顔を上げた。


「なんでそう思うんですか?」

「お前の表情だよ。」

「表情?」

「俺だって何人もプロになることを夢見てこの大学に入って、夢破れた人間は何人も見てきた。加藤みたいにプロになれる可能性を信じて続けたやつもいれば、もちろん辞めたやつもいる。でもな、ケガしてないのにそんな顔して『辞める』って言ったやつ、大体諦められなくて現役復帰してみたり、草野球とかでやってたりするんだよな。そりゃ事情だって人それぞれだろうし、そもそも人生の内で現役でやれるのなんて短い間なんだから、それ以外の道を重視すんのが間違ってると言いたい訳じゃないんだけどな。」


 続ける理由が無いとか言いながら、苦しいのはなんでだろう。どこかにぽっかりと穴が開いてしまったような感じがするのはなんでなんだろう。


「もしまだやりきってないと思ってるんなら、辞めなくても良いんじゃないのか?」

「でも……、将来の事を考えたら、やっぱり……、辞めなきゃ行けないと思います。」

 涙ながらに答えた。

「やっぱ生活していかないといけないんで……、野球にいつまでも拘ってられないです……。」

「そうか……、ちなみにどこに就職するつもりなんだ?」

「え?」

「まさかこの時期に決まってねぇって事はないだろ?それとも大学院まで行く気なのか?」

 高橋の顔が強ばる。ええと……、その……。口ごもっている内に、隣にいた加藤が答えた。

「監督、コイツ多分就職浪人っすよ。」

「ええ⁉ 就活失敗してたのか?」

「あ、いや、あの……、」

「いや、監督、こいつそもそも就活してないっす。」

「……してない、の?」



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