遺書
【本編情報】
『遺書』
――そうして僕が今、巨大な地球の夜に墜ちていく理由を記そう。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054919016304
第一回神ひな川小説大賞参加作品。
ホラー
9,984文字
* * * * * *
新規書き下ろし、テーマ『ハッピーエンド』、3000~10000字、完結済、というレギュレーションで2020年8月21日~2020年9月21日に開催された自主企画『第一回神ひな川小説大賞』のために書いた作品です。
(自主企画ページ: https://kakuyomu.jp/user_events/1177354054919001060 )
この企画には他に『死月王の泉』でも参加しましたが、書いたのも公開も『遺書』のほうが先です。
いわゆるハッピーエンド的なハッピーエンドを考えるのが案外難しくて、むしろハッピーエンドになる話ではなくハッピーエンドについての話なら書けるのでは? と思ったのがきっかけです。
ただしこうした、人の感情と言動をモラル的な理由で縛る社会のディストピアものをやるとすると私の脳裏に音速で顕現するのがクリスチャン・ベール主演の映画『リベリオン』でして、ガンカタとかのほうがすごくてアクション的に有名になったかもしれませんがあれはバキバキのディストピアSFなんですよね。感情を抑制すべき社会の物語。
『リベリオン』にならずにこの路線をやるには? というのはちょっと考えました。まあ私は安直なので「バトルをしない。主人公は規制側ではない。主人公に子供とか死んだ配偶者とかはいない。身近な人を黒幕にしない」あたりで手を打ちました。
詳しくは『リベリオン』本編を観てね! あの頃のクリスチャン・ベールまじで美しい。今はお芝居モンスターのイケオジなので『フォードvsフェラーリ』観てね! 私の心は砕けました。
さて、今回の作品についてひとつ非常にヤバいポイントがありまして、私が全容を精査できていません。
作者の私が。
全容を。
理解していません。
どうだ、ヤバかろう。
とはいえ実はこれはいつものことでして(ダメだわ)、どうも私はお話全体の齟齬を隅々までちゃんとモニタできないのです。なので今回も本当にこれでノーパラドックスなのか分かってはいません。匂い的には割とデカめの破綻してる可能性があります。
ある意味では、だからこそ、カテゴリをSFではなくホラーにしたといえます。別に理屈が揃うのがSFで揃わないのがホラーと思ってるわけではありませんが(両者の境界はグラデーションだと思うし解釈モデル次第とも思う)。
まあなんか奇妙な話としてお読みいただければ幸いです。
次に、作中に引用・登場させたものたち。
まず、各話冒頭で『国芸版』として、死などを避ける表現に改悪して記載したものの元ネタを順に記します。
遺書(二)一:シェイクスピア『ロミオとジュリエット』
遺書(二)二:夏目漱石『夢十夜』
遺書(二)三:近松門左衛門『曽根崎心中』
宜仁、八月三十一日:二階堂奥歯『八本脚の蝶』
また、『遺書(二)三』ラストの一行は国芸版ではない原典からの引用で、これが作品説明にある近松門左衛門『曽根崎心中』です。
同話において、自殺を図った清家宜仁が病院で要求したという本を列挙していますが、引用・国芸版記載の元はすべてそこにあります。できたら『オイディプス王』や『ハムレット』、あと大好きな『サロメ』も使いたかったのですが全ては無理でした。
今回『国芸版』として改悪バージョンを載せた作品の原作が好きな人、本当にすみません。私も私が具合悪くなる方向で書きました。特に『八本脚の蝶』のことは本当にすまん。これは死後さばきにあうと思った、マジで。
それと、佳仁がレポートの題材として与えられたバッハ、そしてレポートに登場するメンデルスゾーンについて。この二人はもちろん実在の作曲家、バッハとメンデルスゾーンについて書いています。はいここからぬるめのオタクの早口です読み飛ばしていいよ!
後期バロック音楽の巨人、音楽の父と呼ばれる大バッハことヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750、江戸時代中期くらい)を選んだのはたまたまでしたし、その時点ではこれがどんな話なのかも自分で分かっていなかったのですが、後になってみると真に適任であって、彼は信仰心に基づいて宗教作品を書きまくり、憧れのオルガニストの演奏を聴くために休暇を勝手に伸ばして職場から怒られ、決闘騒ぎを起こし、牢にブチ込まれ、奥方は2人(ひとりめのマリアとは死別)、子供は20人、なかなかこう、アレです。実際にそういう人生なのです。面白い人ですし、作品は信じられないくらい素晴らしいです。
でも私はマタイ受難曲をフルで聴いたことないんですけどね! ごめんごめん!(笑)(笑ではない)
私はピアノ畑に転がる鍋なので、バッハというとアンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集、インヴェンションとシンフォニア、イギリス組曲、フランス組曲、イタリア協奏曲、パルティータ、平均律クラヴィーア曲集といったあたりが馴染みです。
入眠のために書かれたなんて言われるあのゴルトベルク変奏曲もバッハですね。本編八月三十一日パートにはすべてゴルトベルク変奏曲の頭をチェンバロ演奏で流したいです。
バッハで好きな曲ですか? 数限りなくありますけどパッと出てくるところではシンフォニアの14番とか好きですね~。
いい演奏? 私は古い録音を少ししか知らないのですが、平均律クラヴィーア曲集はタチアナ・ニコライエワのが好きだしインヴェンションとシンフォニアはヴェデルニコフがすき。他にもたくさんいい演奏があります。ちょっと慣れた頃にグールドを聴いてブチのめされると最高ですね、グールドは異常な天才で恐らくあれは神が地上へのリリース時期を間違ったやつです。20世紀末頃しばらくの間はシフがぶいぶい言わせててヘンレ版の校訂もシフのが出ましたよね。ゴルトベルクだけCD持ってますがモダンかつ美音で上手いって感じです。
最近はどうなってるんでしょうねえ、研究が進んで、私が習った頃とは解釈が変わっているかもしれません。しかし、解釈はどうあれ曲は常に素晴らしく常に豊かで、古びるということがありません。
その証拠にバッハの曲は今なお頻繁にあっちこっちで使われており、たとえば20世紀末にはSWEETBOXが "Everything's Gonna Be Alright" をヒットさせましたね。『G線上のアリア』をサンプリングした曲。よき!
なお今回も規定字数を大幅オーバーしてフィニッシュだったのですが、削る前の字数オーバーの原因、半分はバッハについて書きすぎてたせいなので割とサクサク削れました。楽勝単位の楽勝レポートのために平均律クラヴィーア曲集からショパンの24の前奏曲、チェンバロとモダンピアノの違い、ポリフォニーとは、とかの話は全く必要なかったんよね~!
一方フェリクス・メンデルスゾーン(1809-1847、江戸時代後期くらい)は、バッハよりずっと後にドイツロマン派の作曲家として登場する人物です。弦をやる人はメンコン(ヴァイオリン協奏曲)、ピアノをやる人は『無言歌集』などでよくご存じでしょう。
メンデルスゾーンはバッハのマタイ受難曲の歴史的復活上演を成し遂げた点でバッハ作品と後世の我々にとって大恩人であり、彼自身も偉大な作曲家でした。
バッハあたりでバロック時代が終わったあとモーツァルトのいる古典派の時代があり(バッハの息子が少年モーツァルトに会い、影響を与えています。そのくらいの時間差ですね)、やがてモーツァルトに憧れて会いに行ったりしたベートーヴェンの頃にロマン派の時代になります。メンデルスゾーン自身はさらにその後、中期(盛期っていうのか?)ロマン派の人。バッハの息子の孫弟子にあたります。
小説には全然出しませんでしたけど、『無言歌集』って名前最高じゃない? ”Lieder ohne Worte”(独語:言葉のない歌)。この名付けあまりにも天才の所業ですよね。『デュエット』『狩の歌』『紡ぎ歌』『五月のそよ風』とかが好きです。音源はNAXOSから出てるアニー・ダルコの持っててたまに聴きます。鍋は子鍋の時代に発表会で『デュエット』弾いたことがあるよ。ほんとうに美しい曲です。すき。
『現代の先鋭的なモラル規制』のためにこうした過去の作品たちに触れられなくなるの絶対に嫌ですね! という強い気持ちで書きましたが現代批判っぽくなりすぎるのもクサいのでなんとか文章をなるべく綺麗にしようと思ったものの、結構難しかったです。
美しい朝焼けが見たいよね。
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