第16話4
僕の父には口癖があると母からいつも聞かされていた。
「しょうことなしに生きとる」
生きる目的もなく、日々の生活にも喜びを見いだせず。かといって、自ら死を選択することも出来ず。ただ生きるために食事をとり、睡眠をとり、これまで国に支払ってきた年金を毎月受け取りながら、母に金銭面で迷惑をかけずに生きている。唯一、心の拠り所であった犬も死んでしまった。父は今、なんのために生きているのだろう?
僕は父の生い立ち、それも幼少時からの。どのように生きてきたらそんな考え方をする人間になってしまうのであろうかと知りたい気持ちになった。その思いはどんどん僕の頭の中で、心の中で加速した。それから僕は母に電話をするようになった。答えはきっと母の心や記憶の中に存在するはずだと。結果は母でも父のことはよく分からないとのことだった。僕は母の言葉を電話越しに聞きながら「母は気を遣って知らないふりをしているのではないか?」との考えも持った。
母が僕に手渡してくれた『三十年の往復切符』。僕は質問の言葉を変えたり、母の当時の考え方を聞いたりしてみた。意外なことがどんどん分かってきた。
・父と母は当時、大手メーカーである企業で知り合い、結婚をしたこと
・父と母が結婚をしたのは父が二十九歳で母が二十二歳の時であったこと
・『あの電話』で僕の父の下の名前を呼び捨てにした男は血の繋がっていない父の弟であったこと
「え?血が繋がっていないってどういうこと?」
僕の質問に母は一瞬、間を空ける。そして電話越しに言葉を発する。
「あの人は継母に育てられたんよ」
僕の頭の中で点と点が線になる。
「そんなことを父さんが?父さんの口からそれを聞いたの?」
「いや。あの人は何を聞いても全部『忘れた』で済ます人だから。なんとなく『昔、辛いことがあったからなのかな?』と思って聞かないようにしてた」
「じゃあ、そのことはどうやって知ったの?」
また母がしばらく無言になる。そして電話越しに母の言葉が。
「このことを誰かに話すのはいつ以来だろうね。多分、当事者だけしか知らないし、私も言ってないと思う」
僕は母が言う『このこと』をとても知りたいと思った。ただ、僕の中の何かがそれを無理に聞き出そうとする僕を止める。母は話を続けた。恐らく先ほどの無言の時間に『ある覚悟』を決めたのだろう。そしてそれを聞く『権利』が僕にはあると判断してくれたのだろうと僕は思った。
「私の実家が教育者の家庭なのは知ってるでしょ?」
母の実家は皆、学校の先生だとか教頭だとか校長だとかと何かと教育に携わっている人が多い。
「うん。知ってる」
「だからね。縁談かな、お見合いの話はいくらでもあったのね。昔は結婚する時に相手をしっかり確認するのが当たり前だったんよ。当時の言葉で『聞き合わせ』っていってね。どんな家系で育ったかとか、学歴や職業とか。あの人とは当時働いていた会社で出会ってお付き合いすることになって。私の母、あんたのおばあちゃんは覚えとるやろ?」
「うん。いつもお年玉をくれてたからね。よく覚えてるよ」
「ばあちゃんが持ってきた縁談を断ってまでの結婚だったからあの人のことをばあちゃんが調べようとしたんな。でもあの人は大阪で生まれ育ったことしか分からなかったから。私は田舎の人間やから。地元の相手や縁談の相手なら『聞き合わせ』も出来たんだけど、当時はそれが出来んかったんよ。遠かったから」
「それでその『聞き合わせ』は出来なかったんでしょ?ならどうやって?」
母が誇らしげに続ける。
「ばあちゃんは頭がよかったから。探偵に依頼したんよ。興信所かな。十四万円って言ってたのを覚えてる」
今の十四万円と昔の十四万円では価値が倍以上違うことぐらい僕でも分かる。そして『三十年の往復切符』で少しずつ明かされていく真実。
「それで継母に育てられたってことを知ったの?」
「そう」
「父さんの本当の母親はどうしたの?」
「早くに亡くなってしまったらしい」
「それは父さんがいくつぐらいの時に?」
「六つの時かな。興信所の報告書に残ってたからそれは確かだと思うよ」
実の母親を六歳の時に亡くした父。そして継母に育てられた父。血の繋がっていない弟から呼び捨てにされた父。僕は頭の中での想像を確認するように聞いた。
「『あの電話』の男は継母の連れ子なの?」
「違う。あの人のお父さんが継母と再婚してから出来た子やで。『あの電話』の人間を入れて三人の子がいたよ。上から長女、長男、次男の三人。『あの電話』の人間は長男」
僕は頭の中で聞いたことを整理している。忘れないように手元のメモ帳にペンも走らせている。
「その人たちは父さんがいくつぐらいの時に生まれたん?」
「さあ。そこまでは分からん。報告書にも載ってなかったと思う。ただ、長女と次男の人はいい人だったよ。あんたは覚えてないんか?昔、腕を骨折して入院した時に超合金のロボットをお見舞いに持ってきてくれた女の人がおったやろ」
僕はその人を覚えている。僕が幼稚園の時だったか、小学校低学年の時だったかまでは思い出せないけれど、確かに僕は腕を骨折して入院したことがあり、そこに知らない女の人が当時欲しかった超合金のロボットを病院に持ってきてくれてプレゼントしてくれたことがあった。でも名前が思い出せない。
「うん。覚えてる。『ゴライオン』の超合金だった」
そして僕は夜遅かったこともあり、電話を切った。幼かった頃の僕に『ゴライオン』をプレゼントしてくれた人はそんな立場の人だったのだ。
「探偵かあ…」
僕は選択肢の一つに新しいものを加えた。母が手渡してくれた『三十年の往復切符』が少しずつ僕を真実へ導いてくれている。これが個人的好奇心の旅であることを僕は自覚していた。ただ、それをしなければ僕は『大切な真実』を知ることなく人生を終えてしまう。それは確実な事実であり、どうしてもそれだけは嫌だった。
これは母が認めてくれた僕の『権利』でもある。誰かのためにとかではない。そしてその『権利』はこの世で僕しか持つことを許されていないのだ。それから僕の旅は続いた。
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