第12話第一章最終話『僕は30年の往復切符で旅に出た』

 母が僕の目を見ながら言った。『あの電話』。僕はその言葉から連想し、自分の記憶の糸を頭の中でものすごいスピードで辿ってみた。思わず僕は「あ」と言った。昔からうちの家のしつけと言うか、母から教えられていた電話の取り方があり、黒いダイヤル式の固定電話が鳴り、それに出たものは必ず丁寧に「もしもし」と言い、その後に丁寧に名前を名乗り、最後に「どちら様ですか?」と言うようにしていた。当時幼かった僕がそんな丁寧な電話の取り方をしていたから相手の大人はよく誉めてくれたり、優しく自分の名前を名乗り、父や母を呼んで欲しいと言っていた。ただ、一度だけ、僕は怖い電話に出たことがあったのだ。その相手は電話を取っていつもと同じように対応した僕に父の下の名前を呼び捨てにし、変わるように言ってきた。僕はしっかりと相手が誰なのかを父に伝えなければならないともう一度「どちら様ですか?」と聞いたら相手はどこそこのなんとか(その呼称を今の僕は記憶していない)と言えば分かる、と言った。父の下の名前を呼び捨てにしたことと、とても偉そうだったことは今でも覚えている。僕はその時怖くなって後から母にそういうことがあったとすぐに知らせた。その時母は僕にその電話の相手は父の親戚か兄弟の誰かだと思うみたいなことを言っていた。その電話に出た父は電話の向こうの相手に敬語を使っていた。母の親戚や兄弟の人から電話がかかってくることはよくあったし、正月には毎年母の実家に帰省してお年玉を貰うことが目的だった僕はそういう人たちの顔や名前も知っていたけれど、「何故、父の実家には行かないのだろう?」だとか「父の親戚や兄弟からもお年玉を貰えればもっと欲しいものが買えたりするのに」と考えたこともあったけれど父の実家はとても遠いところにあると言われてそれで納得していた。僕は家を出るまでたまに母から聞いていた父の複雑な部分を何度か想像して父に「そういうこと」を聞いたことがあったが最後まで父は何も言わなかった。


「覚えてるよ。父さんの下の名前を呼び捨てにされたことは忘れる訳がないよ」


 母は僕に『三十年の往復切符』を手渡してくれた。

 僕はその切符で旅に出た。

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