第42話
「……なるほど…」とりあえずの見積書には、まだ会食に関する事項は入っていません。見積書の総額は今のところ、最初にご提示頂いた金額を下回ってはいます。
「…この、会食室というのは、お部屋代とお食事代でどのくらいの予算が必要ですか?」
「お部屋代に関しましては、ご葬儀をされたお客様は無料とさせて頂いておりますので、お食事代と、当日のお飲み物代のみでご利用頂けます。」通常の会席で使用するパンフレットを拡げて価格帯とメニューをお見せします。
「…うーん…写真だと、なかなか美味しそうですねぇ……」
「皆様にご好評頂いてますよ。」残念ながら私は食べたことはありませんがね。食材や出汁の産地にまでこだわった“無添加”の“国産”百パーセントのお料理というのが当社の社長の方針です。調理も系列流通センターのシェフがしていますから、アツアツではありませんが評判は上々です。
「じゃあ、この一人四千円のお料理で予定してみます。」
「あくまでも仮ですが、予定人数を決めて頂くと、お見積もりに反映することができますので…」先ほどの故人様の同僚が確か合わせて19名、喪主様を加えて20名が最低限ですかね。
「……じゃあとりあえず20人で計算して下さい。また、皆さんに参加して頂けるか連絡してみます。」
「人数の変更はご葬儀前日の夜9時まで可能ですので、またご連絡下さい。」見積書の下の空欄に手書きで『四千円×20名』と記入しておきましょう。
「…では、あとは各所ご連絡等を済ませて頂いてからその他の参列者などの概算人数をお知らせ下さい。また、他にも何かご不明な点や、ご質問などがありましたら、こちらの名刺の番号か、代表番号のほうにお心置きなくお問い合わせ下さい。本日はお疲れのところご足労頂き、有り難うございました。」とりあえず必要な書類の記入や決定事項などの打ち合わせが終了しましたので、立ち上がって一礼します。K島氏も慌てて立ち上がって一礼した拍子に、先刻の一筆箋がハラリと床に落ちました。
「…宜しければ、大切な遺品ですので、こちらで袋に入れて保管、お預かりしましょうか?」
「……そうですね。バタバタしているうちに紛失しても母に申し訳ないので、お願いしておこうかな…」 そぉっと慎重な手つきで落ちた紙を拾いながら、K島氏は頷きます。私は打ち合わせファイルから封筒を取り出して一筆箋をしまい、預り証にも『茶封筒(故人様関係先用紙)』と記入しておきます。
「では、このように保管いたします。」その様子を喪主様にご確認頂いて、ファイルの一番最初のページの目につく所に挟みます。
「では、気をつけてお帰りください。」ロビーから自動ドアを抜けて外へ出ると、やはり夕方というには暗い空から雨が降りだしていました。スタンバイしてあった傘立てから、お客様送迎用の社名入りの大きめな傘を出して、K島様をお車までお送りします。
「…有り難うございました。では失礼します。………母を……よろしくお願いいたします。」車に乗り込んでからわざわざ窓を開けてそう話す様子をみると、やはり、“離れがたい”のでしょうか。
「かしこまりました。たしかにお母様をお預かりいたします。明後日の午前9時より控え室の『コスモス』にて納棺の儀を執り行います。それに間に合うように御来館下さい。」先ほど渡した書類にも記入してある事柄ですが、念のため口頭でもお伝えしておきましょう。決める事柄や目を通す書類も沢山ありましたからね。人間は“ミス”をする生き物ですからね。まぁ、アヤカシが“失敗しない”という訳ではありませんが。車を見送りながら一礼して、私も事務所に戻ります。
「お疲れー。よかったらコーヒーどうぞ。」
事務の小鳥さんが、丁度自分のコーヒーをいれていたようで、棚から私のマグカップを出して、コーヒーを入れて持ってきてくれました。ふと時計は見ると、現在時刻は16時半過ぎです。明日からの休みに入る前にK島家の引き継ぎを完璧にしておかないと、引き継いだ側にもお客様にも迷惑がかかってしまいます。まずは先ほどの故人様関係先用紙のコピーを取って、会席の金額等を入れ込んだ新しい見積書をプリントアウトしておきます。
『これもしっかり作っておかないと……』
先刻K島氏にお渡ししたプロテスタントの葬儀タイムテーブルをファイルから呼び出しして、見出しを『音楽葬タイムテーブル』に変更、式次第や内容を総て『無宗派音楽葬』を想定したものに書き換えて新規ファイルとして保存しておきます。引き継ぎに備えて二枚プリントアウトして、一枚はK島家のファイルに挟み込みます。事務所のホワイトボードを見ると、明後日のK島家担当者の欄はまだ空いています。シフトをチェックすると、明後日の出勤は山田係長と井山さん、左橋さんの三人。左橋さんは今日のT山家の担当者をやりましたので、必然的に残りの二人のどちらかがK島家の担当者になるはずです。
『……すぐにパニクる40代か、頭の固い50代か…どっちがやっても大丈夫なくらいプランを固めておきたいなぁ……』お休みは気持ちよく心置きなく楽しみたいですからね。現在時刻は間もなく終業時間の17時です。ここは残業してでもきっちりと書類を完成させて、『猫でも杓子でも』きちんとご要望通りのご葬儀が出来るようにしていきましょう。
(どちらが猫で杓子かは、ご想像にお任せします。)幸い今回の女子会会場はK県Y市ですからね。私のいるA県からは新幹線で一時間と少しで到着します。今日帰りが遅くなっても、明日の午後に電車に乗れば充分間に合います。
「すみません、浅田店長、志水係長。今日のK島家様の打ち合わせ事項が込み入ってるので、引き継ぎするために残業してもいいですか?」浅田店長は既にすっかり帰宅モードですが、音楽葬の件を知っていますからうんうんと頷いています。
「そうですか。じゃあ折角なので、お言葉に甘えて、鶴羅さんきっちり書類作って帰って下さい。」志水係長は担当者マグネットをホワイトボードにはりながらそう言います。マグネットは“井山さん”で決定のようですね。
「では終礼します。本日施行一件T山家葬儀告別式時間通り出棺完了しました。葬儀相談及び搬入一件K島様、明日は友引のため、通夜は明後日、告別式施行は明々後日となります。K島家故人様は霊安室保冷庫にて現在安置、明後日午前9時納棺、控え室“コスモス”使用予定です。本日もお疲れ様でした。」
「お疲れ様でしたー。」帰途につく浅田店長のバイクの爆音を聞きながら、私は今日の当直の桑田さんと志水係長の分を含めてティーポットで少し良いグレードの紅茶を淹れます。机の引き出しに隠してあるとっておきの焼菓子も添えてそれぞれの机に置き、ついでにこっそり用意した小さなカップと焼菓子のセットを、電話に出るフリで廊下の“バンシー”に渡します。
『…バンシー…オカシだよー。』心配のタネは今後の搬入の有無です。忙しくなると、山田係長はパニックになって井山さんの業務に影響が出ます。
「ありがトサヤカー。……今日ハもうコナイヨー。」廊下の暗がりから手が伸びて、カップと焼菓子が消えていきます。
「…わかった。有り難うバンシー。私明日から有給休暇で『皆』と会ってくるね。留守をよろしくお願いね。」携帯電話を耳に当てながら電話のフリでバンシーに伝えます。
「三階のレンチゅうをしっかり見張れバいいね?(笑)今回はドコに集合ナノ?」カップはきれいに空になりました。
「今回はK県Y市だよ。みなとみらいとか、中華街とかの近く。お土産要るよね?」
『らくちゃん』の餌は『男性の精気』ですからね。パトロンの出資で各地の『バー』を経営して雇われ店長をして生活しています。
「……いいナー、久々に“ゲッペイ”が食べタイねー。」
「…わかった。本当に奴らを頼むね…」
暇な時こそ、危険です。前回も友引明けに施行も無いまま一週間空いた時には、様子を見に行ったら全員で『上下逆さま、裏返し』になって“遊んで”いましたからね。どうやら『誰かに見つかるまでに“元通り”になる』というルールで競っていたらしいのですが、元々自力では一度に数センチしか動けない筈なので、『裏返し』になるまでの非常に『無駄』な“涙ぐましい”努力のアホらしさに、思わず怒るよりも先に笑ってしまい、『ウケた‼️』とはしゃいだ経凛々が棚から転げ落ちて木魚達磨の“腹”に落ち、傷を付けたうえに、『ガシャーンボコォーーン』という間の抜けた音を辺りに響き渡らせ、笑いすぎた払子守が涙を流したせいで盛大に絡まるという、非常に面倒な事態におちいりましたからね。後にも先にも、『払子用リンス』なる商品を仏壇店に注文に行ったことはなかったですから、忘れませんよ。
「……あハハハ。コナイだのアレは私モおナカ痛くなるまで笑っタからネ。気をつけてオクね。」空のカップを流しに下げて事務所で『誰にでも出来るように』細心の注意を払って詳細なタイムテーブルを作成して引き継ぎの資料を完成させます。
「……ふぅー。終わったぁー。」現在時刻は19時過ぎ。引き継ぎの資料を井山さんの机に置き、自分の机周りを片付けてパソコンの電源を落とし、タイムカードを切ってようやく帰途につきます。
『明日は午前中に手土産のお菓子買いに行こう…』家から少し離れていますが、美味しい焼ドーナツのあるケーキ屋さんがあるのです。アヤカシ好みな味の小振りで上品なケーキ屋さんです。とりあえず今日は帰って荷造りをしなくては。
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