第37話

『ごはんー。ごはんー。おナカ空いたー。』内心の声ですよ、もちろん。車に乗り込むまで、表情を抑えるのに苦労しましたけどね。身体が栄養不足を訴えています。腹ペコです。道路状況は、多少渋滞もありましたが、朝の通勤渋滞の時間帯からは外れていますので、大丈夫です。

「失礼します。H葬祭鶴羅です。」T市F病院裏口駐車場に車を停めて、受付で来院者名簿に記入します。事務所内には先日の三人娘のうちの小娘Cがいるのが見えますね。一応会釈してみましたが、目を逸らされました。『りょう』の姿は…事務所内には見えませんね。

「すみません、K島家様は、どちらにいらっしゃいますか?」入口の事務員の男性に確認します。

「あ、もう先程御遺体は霊安室に入られました。ご遺族はまだ、病室のほうでお医者様の説明と、御精算がありますので………」

「では、先に御遺体搬送の準備にかからせて頂きます。」一旦車に戻って搬送セットをストレッチャーの上に乗せて、ストレッチャーごと霊安室へ向かいます。

「……失礼します。」一応ノックしてから、霊安室の扉を開けます。

「……あ、オツカレー。」やはり中にいましたね。ストレッチャーを運び込んで、素早く扉の鍵を閉めます。りょうは枕元で線香を手向けて、合掌一礼してから振り返ります。

「お先にイタダキましたー。」毎度の事ですが、本当に身体に傷が残っていません。一体どうやって『食べて』いるのでしょうか『死者の肝』。謎の多い所はまぁ、お互い様です。ご遺族が到着する前に、私も“魄”をイタダキます。

『……ぷはー。ご馳走様でしたー。』合掌したままで、身体の色が元通りになるのを待ちます。やっぱりごはんは身体に元気が戻って来ます。

「…あ、エレベーター来たな。」りょうが気配を察知して素早く入口の鍵を開けます。確かに足音が近付いて来ますね。私も先手を打って扉を開けて、廊下でK島さんをお出迎えすることにしましょう。

「…本日はよろしくお願いいたします。搬送を担当させていただきます、H葬祭の鶴羅と申します。」名刺を手渡しして、ご挨拶します。K島氏は40代半ばとおぼしき男性で、急な話だったのが見た目でわかる程度には服装が乱れています。分かりやすく言うと、髪はボサボサ、服は昼間の仕事から病院へ直行したというのがよくわかるようなシワの寄ったスーツという格好です。それでも反射的に名刺を受け取る際に荷物をソファーに置いて両手を出すあたり、普段はきちんと社会人として生活しているんだというのが伺い知れますね。

「……こちらこそ、よろしくお願いいたします。今病院の精算も済みましたので、このまま出発してもいいんですが……」たぶん危篤状態の母親に、ずっと徹夜して付き添ってみえたのでしょう。目の下にもうっすらとクマが出来ています。長く入院していたわけではないので、手荷物も女性物の手提げひとつと、自分のものらしき革の鞄だけですね。

「では、早速取り掛からせて頂きます。故人様は、このまま直接H葬祭の霊安室へ御搬送

いたしますが、ご遺族のかたは、差し支えなければ一旦お荷物などをご自宅に置かれてからの御集合でもよろしいですよ?」

「……はい。ありがとうございます。…そうですね、確かにせめて顔だけでも洗いたいので、申し訳ないですが、そうさせて頂きます。」K島氏も、ようやく自分の格好に意識が向いた様子で、少し恥ずかしそうに髪を撫で付けます。

「来社予定時間だけは、今お決めになられたほうがよろしいかと思います。…13時ごろでは如何でしょうか?」おそらく朝食はおろか、昨夜の夕食すら採られてないのではないかと思いますので、せめてご自宅で着替えついでに何か食べられるように、少し長めに時間を設定してみます。人もアヤカシも『食事』は大切ですからね。飢餓感というのは判断力を鈍らせます。

「…あぁ…そうですね、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、母はそちらにお任せして、私は一旦家に帰って支度して、……13時ごろにそちらに伺います。」

「はい。それではその時にお持ち頂く書類等の持ち物がございます。こちらの用紙にそのリストがありますので、ご自宅にて必ずご確認下さい。…まずはこちらの『搬送依頼書』にご記入をお願いします。」霊安室に入ってから、端にある椅子に座って頂いて、書類の記入を済ませてもらいます。これを持たずに勝手にご遺族を搬送すると、万一検問などで警察に確認されたときに、法令違反になりますからね。まぁ、今まで一度もそういう事態になったことはありませんけどね。

「あ、はい。ここの“依頼者名”は、私の名前でいいんですよね?」

「そうですね。こちらの“被搬送者”名を故人様、依頼者様としてK島様のお名前をご記入ください。あと、こちらに当社の基本的な祭壇のプラン等の掲載されたパンフレットもありますので、ご自宅でご覧下さい。」用意は周到に。です。後の来社しての打ち合わせに備えて、私は『事前に情報を与える』派です。事前にお客様の想定していた価格帯と、当社のプランの価格帯を引き比べておいてもらうことによって、それぞれの“譲れないライン”がどこに設定されているのかをはっきりさせる効果が期待出来ますからね。例えば、ぼんやりと昨今流行りの『家族葬』が良いな……と思っていたとしても、『家族葬』という言葉の中には実際には大きな幅があり、“親族”まで含めた家族葬か、本当に同居している“家族”単位にするのかで、葬儀のプランとしても金額差が20万以上の開きがあるのです。ふわっとしたイメージを現実の着地点へと導いておくと、お客様のプランがはっきりしてきますので、こちらも話がしやすく、打ち合わせの時間も短くすみますからね。もちろんご遺族の負担も軽くなるのです。良心的なやり方の典型例です。

もうひとつの方法論としてあるのが、『事前情報を与えない』派です。わりと他社(“やり手”で知られる)や、当社でも男性陣が好む、『売り上げ重視』の方法です。こちらは要するに、ご遺族の判断力が鈍っているのを見越して、『一般的には』とか、『通常ですと』とか、『他の方は』などの台詞によって誘導して、畳み掛けるように葬儀の内容を決めていく方式です。パターン化した質問に“イエス”か“ノー”で答えていくと、自動的に『ではこちらのプランですね』というふうに定型的な従来型の葬儀プランへと導かれていくように“仕向けて”あります。

『ご葬儀』の相談というのは、短時間で(長くても2~3日中には)決定事項が山ほどあるものを、端から片付けていくという形になりがちですので、だんだん思考回路が麻痺して、後日思い返すと“あれ?”という事態も発生することになるのです。以前のA野家様の他社での“ご相談”と、葬儀の方法。あれなどはまさしく、その『典型』のようなものでしたね。社の売り上げには貢献しますが、余り強引に過ぎると、訴訟問題や不払いなどの原因となります。私は本性がアヤカシですから、ついつい、その場しのぎの売り上げ増よりも“長期的視点”でみて、よりその“人間として”の生活の向上に気持ちが動いてしまいます。『葬儀』は“故人様の為”というよりも、あくまでも“ご遺族”のためのものだというのが、長年この『仕事』を生業としてきた経験上からの考えです。別に人間に感情移入して同情しているという訳ではありませんよ。だって故人様は『死体』で『餌』でしかないんですから。前にもいいましたが、死後の世界なんてものは存在しません。一度きりの“人生”です。どんなに立派なご葬儀でも、死者には関係ありません。単なる自己満足です。見も蓋もないようですが、事実です。

ですから毎回私は、必ず搬送時には価格帯の入った葬儀プランのパンフレットを持参することにしているのです。楽ですからね。正直。人間を追い詰めることに快楽を見いだすタイプでもないので。

「では、後ほどお待ちしております。何かありましたら先ほどの名刺の連絡先にいつでもご連絡ください。」書類の記入が済みましたので、私は何故か霊安室の中に立ったままニコニコしているりょうに手伝わせて、霊安室の備え付けストレッチャーから自社のストレッチャーに“お母様”を移しかえて、搬送車へと移動を開始します。病院裏口の扉を開けると、いつの間にか空に雲が広がっていて、今にも雨が降りだしそうな雲行きになっています。

「……あの、すみません。」後ろからK島氏の声が聞こえたので振り返ると、K島氏は女性用の手提げの中から一枚のストールを出して手渡ししてくれます。

「…母の愛用のストールです。……ちょっと外が寒そうなので……」亡くなった人が“寒さ”を感じる筈もありませんが、そこは、『お気持ち』として受け取り、御遺体の上に広げさせて頂きましょう。

「……すごく綺麗な色のストールですね。」藤色から淡桜色へのグラデーションと、所々に桜の花びらの刺繍が施された大判のストールです。ちらっと『食事』の際に見ただけでしたが、故人様も生前は華やかな雰囲気の方だったんでしょうね。良く似合っている気がします。

「……僕からの初任給のプレゼントだったんです。」男性ながらセンスの良い息子さんだったんですね。人は見た目によらないものです。

「では、失礼します。お気をつけてお戻り下さいね。」搬送車まで、結局K島氏は同行されて、ストレッチャーの積み込みまで手伝って下さいました。車後部ハッチバックを閉めて一礼すると、

「……よろしくお願いいたします。」と、うっすら涙ぐみながら外来駐車場の方に歩いていきました。

『…………独身……なんだろうな。…多分。』奥様と家庭がある男性ならば、このタイミングで涙ぐむという行動パターンは発生しないでしょう。K島氏の行く末を若干案じながらも、私は帰社の途につきます。

『……四十代独身男性って……最近よく聞くなぁ………』だれのこととは言いませんけどね。人生の分岐点って到る所にあるものなんですよね。

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