第36話


朝です。今日もいつものように出勤です。着替えてから通りすがりに霊安室の扉の中を覗き込みましたが、中には昨日と同じT山家の御遺体のみ。昨夜の搬送はなかったようで、『食事』にありつくのは、今日はどうやらむりそうです。そのまま通過も何なので、線香を一本、手向けて手を合わせます。

『……おなか…空いたなあ……』

「おはようございますー。」事務所に入ってアルコールチェッカーの“ご機嫌”をとり、体調チェックシートに記入して、タイムカードをきる一連のルーティンをこなします。

「…本日の朝礼を始めます。本日搬送0件、葬儀相談等ありません。12時より、T山家告別式開式、親族葬につき寺院なし。12時半出棺、そのまま収骨後ご帰宅されますので、式場の片付けのみお願いします。本日司令塔は浅田です。よろしくお願いいたします。」昨夜もやはり平和な夜だったと見えて、井山さん小池さんは眠そうですね。本日の出勤は、私と、担当の左橋さん、浅田店長です。夜勤組が顔を洗って帰路についたころに電話が鳴りました。

「…はい、H葬祭鶴羅です。」

「あもしもし、もんちゃん?」この馴れ馴れしいしゃべり方は『りょう』ですね。名前くらいきちんと名乗れ、社会人何年間やってんだ。若干イラッとしながらも、何とか口元がひきつる程度でこらえます。

「……何?」勤務先に私用電話だったらどうしてやろうかと思いながら短く返答を返します。

「…まぁ、そんなにオコらなくてもー。今ウチの病院の救急に来た人がさぁー、危篤状態だからー、またご紹介しようと思ったんだよん。」『仕事』ですね。仕事。気持ちを切り替えます。

「……ご葬儀のご相談ですね。承りました。とりあえずご家族の方から直接のご連絡をお願い致します。お名前と、ご連絡先だけ先にお知らせ願えますでしょうか?」あまりぶっきらぼうでは周囲の人に不審に思われますので、きちんとした応対に切り替えます。

「うわぁ。社会人モードだぁ。気色悪ー。」これだから古馴染みは嫌なんですよね。イラッとしつつも仕事モードは崩さずにかろうじてこらえます。ごはんごはんごはん………。

「…失礼ですが、先方のお客様のお名前と連絡先、ご危篤のかたの性別年齢をお願いします。」

「はいはーい。わかってますー。えーとねぇ……、ご家族の方はK島様、電話番号は***-****。患者さんはK島さんのお母様で、歳は77歳、昨夜から体調不良を訴えてたのが、今朝さらに悪化して意識不明で救急搬送です。ご自宅はT市内だけど、K島さんの仕事先がS市だから、S市内の式場が希望ってことみたいだから、あとよろしくー。んじゃ。」『りょう』の独特な軽い口調の中に埋もれそうになる情報を拾い集めながら、手元の“ご相談用紙”に必要事項を記入していきます。ふと足元に気配を感じて目をやると、バンシーがぶつぶつと呟きながら走り回っています。

「…くるよー…くるよー…そろそろくるよー……」案の定、りょうからの電話を切って三分も経たないうちに再び電話が鳴り響きました。

「はい。お電話ありがとうございます。H葬祭鶴羅と申します。」すかさず電話機を取ると相手は若い感じの男性の声です。

「K島と申します。先程、母が亡くなりまして……あの、病院の方からご紹介を受けたんですが………」少し疲れの滲んだ声ですが、比較的落ち着いて、言葉を選んで話している印象を受けますね。

「…そうですか。それは御愁傷様でございました。それでは、お手数ですが、『お亡くなり』になられたかたのお名前とお年、それから、お迎えに上がる際のご希望の時間帯などがありましたら、お願いいたします。」とりあえず先刻の『りょう』からもらった事前情報とのすりあわせをします。

「……はい、えー…母はK島N代です。年齢は…77歳になりました。まだ、病室のほうにいるんですが、これから看護師さんが清拭をしてくださるそうなので、……どのくらいかかるもんなんですかね?」

「大抵一時間もあればお着替えまで終了するかと思われます。他にご家族などがそちらに集合されるようでしたら、そのお時間も加味されるとよろしいかと思いますが……」

「あの、家族は僕だけですので、……じゃあ、一時間後に、そちらに搬送をお願いします。」

「では、一時間後…十時にそちらの病院の霊安室にお伺い致します。H葬祭担当はカクラと申します。では、失礼致します。」通話を切って、店長に確認します。ごはんごはん。

「行ってらっしゃーい。」アイドルのようなウィンクとGoサインが出ましたね。とりあえず電話からの顧客情報を事務所のホワイトボードに記入して、搬送のための準備を始めます。現在時刻は9時15分。T市のF病院までは日中ならば軽く30分くらいはかかります。搬送用のドライアイスやストレッチャーなどを準備して、説明時に必要な各種書類やパンフレットを鞄に入れて、用意を整えて居る間に9時半近くなりましたので、上着を持って、事務所のキーボックスから搬送車両の鍵を取って、店長と左橋さんに声を掛けて出発します。

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