第35話

事務所に戻って時計を見ると、現在時刻は12時半過ぎ。W田家様との仮祭壇設置のお約束は13時の予定です。急いで支度して社用車のワゴンに紙製の使い捨て仮祭壇と、仏具セット、サービスの白菊の花束や、白布などを一式積み込みます。あとは出発するだけの状態にしてから一度、W田家様に電話にて訪問時刻の確認をしておきましょう。

「…はい。W田です。」三回コールで電話が通じました。奥様ですね。

「お世話になっております。H葬祭鶴羅です。先ほどはありがとうございました。本日、仮祭壇の設置に伺いますが、お時間帯の変更などはございませんか?」電話の背後で、子供さんらしきにぎやかな声が聞こえてきます。娘さん達も一緒のようですね。

「はい。予定通り13時で結構です。よろしくお願い致します。」

「こちらこそ、よろしくお願い致します。では後程。失礼致します。」ご家族皆さんで祭壇設置場所のお片付けをされて、ついでに役所巡りもぬかりなく済ませられたという感じでしょうか。やはりしっかりと段取りしてみえますね。

「係長、W田家様設置行ってきます。左橋さん心配なので、見てあげて下さいねー。」まぁ、『仕事の出来る男志水』、手抜かりは無いと思いますけどね。念のためです。

市内も特に道路の渋滞もなく、スムーズに走って無事、12時50分にはW田家様のご自宅前に到着することが出来ました。

「失礼します。H葬祭鶴羅です。」インターホンはカメラマイク付きのようですが、何故かマイクでの返答はなく、部屋の中からにぎやかな子供さん達の声が玄関に近付いてきます。

「はぁーい!今開けまーす!」鍵の開く音と共に勢いよく飛び出してきたお子様達に足元を取り囲まれましたね。珍しい経験です。

「あー。カクラさんだぁー。」次女さんの一番上のお姉ちゃんが名前まで覚えてくれていますね。ちょっと嬉しいですね。

「……かぐやさん?」一番下の弟さんはラ行が苦手なようですね。月世界の姫にされてしまいました。

「……すみません、騒々しくて。」リビングの入り口から遅れて奥様がやって来ます。

「本日はよろしくお願いいたします。設置場所はどちらになりますでしょうか?」玄関を中央にして、左手側がリビングダイニング、右手側に二階への階段があるようです。お仏壇があるとおっしゃっていたので、仏間にあたる場所があるはずですね。

「こちらです。」奥様が案内してくれたのは、右手廊下の手前にある和室でした。襖を開けて入って右手側突き当たりに仏壇があります。その手前に小振りなちゃぶ台があり、白木位牌とお骨壺が安置されているのが見えました。やはり仏壇には安置は窮屈だったようですね。部屋の横幅をざっと目測します。何とか中央に仮祭壇の設置が可能なようです。

「では、お支度させて頂きますね。」まず、持ってきた書類鞄を隅に置き、車から仏具セットの一式入った箱、仮祭壇、白布の順に運び出します。お子様達が何やら手伝いたそうだったので、上のお姉ちゃんに花瓶を渡して水を汲んでもらうことにしましょうか。下のお子様二人には、落としても大丈夫な白布の設置のお手伝いをお願いします。

「これで設置は完了致しました。」組上がった仮祭壇に白布を被せ、白木位牌、お骨壺を安置して白菊を花瓶に立ててから、燭台のろうそくに火を灯して線香を香炉に手向けます。私が合掌一礼して振り返ると、後ろにお子様達が順番待ちで並んでいます。一人で線香に火を点けるのは危ないので、一人づつ火を点けて手渡しすると、めいめいにおりんを鳴らして手を合わせています。どこかの仏壇店のCMのようなほのぼのした一幕を経て、ようやく奥様と長女次女さん達に、先日の葬儀の請求書の内訳のご説明をすることが出来ました。ひとしきり説明が終了して、W田家を辞さしたのが15時過ぎ。皆様揃って玄関の外まで見送って頂いてしまいました。

「……ふぅー…。疲れた。」子供さんの相手は慣れないので何だか疲れます。めーちゃんは偉いですねぇ…。事務所内で今朝のW田家の法要会席の予定表と、発注書を入力していると、げんなりした顔の左橋さんが入って来ましたね。椅子にぐったり座っていますが、手にはしっかり先刻の“最安”ランクの見積書が握られてますね。どうやら何とか交渉成立となったようです。シワの寄ったパンフレットに、苦労の跡が滲み出ています。

「…お疲れ様でした。」事務所のカメラ越しに見守っていた志水係長が、コーヒーをさりげなく置いて、左橋さんをねぎらいます。私も引き出しからとっておきの高級ブランドチョコレートを一つ出して、そっと添えましょう。現在時刻は何と15時半。来場された午前11時から何と四時間半の死闘です。

「………ありがとうございますー……」コーヒーをまず飲み干して、チョコレートを口に放り込んで、モグモグしながら

「T山家様、結局祭壇は“家族葬『微笑み』プラン”使用で、供花なし。お別れ花束を一つご注文で、通夜なしです。あと、寺院とのお付き合いは無いそうで、無宗派葬で親族焼香のみを希望されています。」

「……うわぁー…。寺院紹介もいらないってか。」

「はい。頑としてそこは譲らなかったですね。」

「位牌はどうするって?」寺院なしならば当然“戒名”もつかないので、“位牌”を作る意味も余りありません。まぁ、中には新宗教団体等で、仏教系のところの某S学会のように、白木位牌に生前の『実名』を入れるという方式もないわけではありませんが。

「あまり“ピン”ときてないみたいですね。」身近にいわゆる従来型の“仏壇”があって、日常的にお線香を揚げて手を合わせて…という慣習のない家では、仏壇の中の『故人の名前』の彫ってある“位牌”に手を合わせるというイメージがなかなか浮かばないようです。

「とりあえず遺影用のお写真を探しに帰られましたので、それが届き次第加工して遺影写真は作ります。位牌は保留で、遺族控え室は無し、火葬場の予約だけお願いします。」目を閉じたまま、左橋さんはそこまで一息に言い切りました。すっかり投げやりモードです。

「…あ、もう火葬場押さえてあるよー。明日の13時で取れてるから。」さすが仕事の出来る男志水。…何で彼女出来ないんですかね。

「…え、ありがとうございます!じゃあ開式12時ですね。親族焼香だけなので12時半に出棺します。通夜なしなので、今から祭壇くんで、花束発注したら余裕ですね。T山家様にご連絡します。」志水係長のサポートと、コーヒーとチョコレートで元気を少し取り戻した左橋さん。椅子に座り直して、パソコンで花束発注出し始めました。

「……さて、と。式場は四階ダリアホールでいいの?」私も自分の発注が終わったので、祭壇の設置を手伝いましょう。“微笑み”プランの祭壇は、アクリル製で、造花が載っているだけなので、30分もあれば一人で組み立てが可能です。担当者には、まだまだやることが沢山ありますからね。

「…あ、すみません。ありがとうございます。よろしくお願いします。」パソコンに入力しながら恐縮して頭を下げる左橋さんに手を振って、私は引き出しのチョコレートを“二つ”手にとって事務所を出ます。一つは廊下で口に放り込んで、もう一つは、

「……ありがとーサヤカ。今日はもう、だれもコナイよー。」廊下の暗がりに棲んでいるバンシーにあげましょう。バックヤードから“微笑み祭壇”の箱を取り出して台車に積み、エレベーターで四階に向かいます。四階式場にはもののけはいませんので、特に何も気にする必要はありません。現在時刻は16時。多少薄暗い時間帯ですが、暗がりの平気なアヤカシには、電気も不要な時間帯です。

「……あれ?」バックヤードの仏具収納棚の辺りから、何やら怪しい気配が。見ると、いつもなら空いている空間に、いじけた気配。

「……何でこんな所に居るの?」あまりにもいじけた気配を発しているので、笑いが込み上げて来ました。仏具収納棚の線香立てと、火消しの横に『居る』のは、経凛々きょうりんりんです。仏具としての名前は『印金』《いんきん》ですね。僧侶が入場してくる時に前立ちとして打ち鳴らされたり、禅宗の葬儀式で合図として使われるアレです。記憶にあたらしいですね。先日左橋さんの担当のとき、新人僧侶をおちょくったアイツですよ?形状は、持ち手のついた『おりん』です。

「………こないだ来た新人のパートさんがぁ……片付ける場所間違えて……ここに放置されて…………1週間………だれも気付いてくれなくて………………」涙目になりながら(涙がたまって、初めてやっと、そこが“目”なのね、と気付きましたね。)途切れとぎれに状況を説明しながら、しゃくりあげる経凛々。

「………さ、さみしかったよぅー……」

いい年(百年強)して、まるで子供のようですね。まったく。

「……だぁれも迎えに来てくれなくて……」当然、三階の仲間のもののけは誰も自力で移動はできませんからね。

「……まったく。手間がかかるねぇ……」四階のバックヤードの仏具はすべて、小さな規模の葬儀の為に新調されたものばかりですから、もののけの気配もありません。そんな所に置き去りにされて、ひとりぼっちで1週間、孤独に耐えていたのでしょう。

「わかったわかった。」今回の葬儀はどのみち無宗派なので、仏具の出番はありません。

「祭壇組むまで、ちょっと待ってて……」

「待ぁてぇなぁーいぃー!」駄々をこねるモノノケって一体…………。軽く頭痛を覚えながら、余りにもうるさいので、仕方なく私は経凛々を三階に連れて行きます。

エレベーターを使うまでもないので、階段で三階に降りると、下からはいつものようにぶつぶつざわざわとモノノケの気配です。足音に気付いてわざとらしく“しーん”となるのもいつものこと。隅でくしゃみしているのは多分払子守ほっすもりでしょう。本人曰く『花粉症』だそうで。いつか気付かれるのではと思いますが、まだ、だれにも指摘されたことはありません。

「………何だよ。サヤカか。黙って損したぜ。……」階段を下りきると姿を確認して、木魚達磨もくぎょだるまが文句をたれます。

「………寂しかったよぉぉー!」棚に戻した瞬間に、ボトボトと涙を流す経凛々。私は慌ててティッシュを下に敷き詰めます。一斉にざわざわするバックヤードの仏具達。どうやら一斉に笑ったようですね。行方不明はやはり不安要素でしたか。

「……本当にのぅ…。ついにバレて処分されたかと、心配しておったんじゃぁ。」安堵のため息に、盛大に白い毛をなびかせる払子守。よく見ると棚の端に四階用の小振りな印金が。見るからに新品のピカピカ振りで、皆、ついに買い換えられる日が来たかと、戦々恐々だったようです。

「……残念ながら、新しい大きい仏具を購入する予定は当分ないから、安心して。」仏具も、大きなホール用はかなりの価格になりますからね。使えるモノを処分してまで買い換えるゆとりは当社にはありません。しばらくは安泰です。派手にやらかしたりしなければね。四階用の印金を手に持ち、経凛々の涙の沁みたティッシュをゴミ箱に捨てて、ざわつくモノノケ達を落ち着かせてから、ようやく私は四階の祭壇の設置をしに戻ります。

「……これで完了。」祭壇を組み、前机の上に香炉を2基セットしておきましょう。それだけでは少し寂しいので、燭台を一対、両端に置いてみます。式場の椅子も親族のみなので、中央に三列に並べ直して、作業完了です。現在時刻は17時。事務所に戻って終礼ですね。

「…本日の当直は、井山さん小池さん。今のところ搬送問い合わせはゼロ件です。明日12時開式12時半出棺予定、四階ダリアホールにてT尾家様告別式行います。担当者は左橋さんです。各自出棺フォロー願います。では、お疲れ様でした。」志水係長の終礼引き継ぎで本日の業務は終了です。

「………あれ?……うーん…」左橋さんがパソコン画面を見つめて困った表情をしています。

「どうしたの?遺影写真イマイチ?」モニターを見ると、駐車場にまた、個性的な停めかたの、オレンジの軽自動車。どうやら写真は発見出来たようですが。

「……うーん……。コントラストが強すぎて色味がちょっと…」元の写真を見ると、確かに晴天の時の撮影のようで、目の下に影がくっきりです。スキャナーで取り込んで、画面上で影を加工して薄めましたが、今度は色味が淡くなりすぎて、若干『ゾンビ』です。女性なので、口紅の赤が際立ちすぎて、顔色の悪さが目立ちます。私も余り画像の加工は得意ではないので、二人で額を付き合わせて悩んでいると、

「どしたー?」夜勤組の井山さんが着替えを済ませて声をかけてきます。

「……これ、なんですけどー。」普段画像加工といっても精々背景の切り貼りと、全体の色味の変更くらいしかできませんからね。

「……あー。こういうときはなぁ……」作成画面を呼び出しして、井山さんがマウスを操作すると、瞬く間にゾンビだった遺影が生き返りました。

「………この○△□を☆○□△▽すると※※*◎*☆するから………」専門的な用語が何やら頭上をすり抜けていきますね。とりあえず完成した画像を固定して印刷にかけましょう。結果がすべてです。まだ一生懸命操作方法の解説を井山さんが続けてくれていますので、二人で“適当に”相槌をうちながら、プリントアウトされた写真を額装して、フレームに黒い薔薇リボンを留めて、本日の作業は完了です。あとは、霊安室の納棺したT山家様の枕元に置いて、帰るだけです。井山さんもさすがに私達があまり聴いてないことに気がついて、パソコンの講義も尻すぼみに終了です。

「ご指導ありがとうございましたー。失礼します。」T山家様がロビーで写真の返却を待っているそうなので、左橋さんと別れて、私は更衣室で着替えて、帰路につきます。

なかなか忙しい1日でしたね。こんな日は早く休むに限ります。

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