第32話

「おはようございますー。」朝です。駐車場から更衣室へと向かう道すがら、霊安室をちらっと覗きます。扉の中から線香の煙と香りが漂って来ていますね。

『わぁーい。ラッキー!』さっさと着替えて、『手を合わせに』行きましょう。“朝ごはん”です。

周囲に人の気配が無いのを確認してから、いつも通り顔布をめくって漂う白い“もや”を口一杯に吸い込みます。やっぱりこれが一番ですねぇ。甘味はあくまでおやつですからね。“りょう”もそうですが、アヤカシ達は皆、それぞれの『糧食ごはん』と『ねぐら』を得るために、最適な人間の仕事を探求しているのです。如何に不審を抱かれずに『糧食ごはん』を確保できるか、日々試行錯誤です。

『……よし。戻った。』顔色が戻ったのを鏡で確認して、事務所に入り、気紛れアルコールチェッカーのご機嫌を伺い、健康チェックシートに記入していると、外線電話が鳴りました。

「はい、お電話ありがとうございます。H葬祭担当志水がお伺いいたします。」夜勤明けけで目が開いていない浅田店長、桑田氏に代わって、出勤したばかりでしゃっきりした志水係長が電話を取ります。相手に何か言われた瞬間に、何故かへにゃ笑いになって、私の方に向き直って手招きします。

「……?…はい、お電話かわりました。鶴羅です。」疑問に思いつつ、電話を代わると、相手は西光寺の若御院でした。そういえば志水係長と西光寺の若は同級生だったと聞いた覚えがありますね。

「あ、おはようございますー。西光寺の若ですー。先日のW田家様から、忌明け法要のご相談がありましてー。来月の中旬第二週目の週末に、寺経してお墓に納骨してから食事をしたいそうなんだけどー、そっちの食事の部屋って空いてますー?」独特の軽い、語尾を伸ばした話しかたですが、大事なビジネスチャンスです。大急ぎで会席室の予約表をめくって確認します。葬儀の時から考えて、座席の数は24席でしょう。

「…大丈夫です。空いてますね。」応えると、

「そりゃぁー助かるわー。最初さぁ、喪主さんはうちの寺で忌明けのお経やって、納骨してからうちの法話室に弁当持ち込みしたいって言い出してさぁー。…それって片付けとか配膳とかうちの嫁がやるってことじゃないのー?ってなかなか面倒だからさー。後で文句言われんの僕嫌だからさぁー……」西光寺さんもやはりしっかり尻に敷かれているようですね。

「…じゃあ一部屋押さえておきます。お食事だけで良いですよね?また、喪主様か奥様で当社に打ち合わせに来られるか、お伝えしておいて下さい。」多分あのW田家の喪主様は単に移動するくらいなら、仕出し弁当持ち込みでいいんじゃないの?くらいの軽い気持ちで言い出したのでしょう。こうした場合大抵、男性陣は何故か『食事』に世話する人手が必要になるという発想がありません。必ず『自分以外の誰か』がやってくれるものだと考えるんですね。不思議ですねぇ。

「はぁい。じゃあ奥様に、頼んでおきますねー。」西光寺さんも、W田家は奥様でもっているという事をしっかり把握しているようですね。昔は当たり前のように『本家の嫁』がこうした親族の会食で、自分の食事の暇もなく立ち働く光景が見られたものですが、時代は移り変わって来たんですね。『アウトソーシング』というやつです。『嫁』は無料奉仕ですが、私達だと『サービス料金』として『有償労働』ですからね。あまたの女性陣の労働の上に胡座あぐらを掻いていたことに、この国の男性陣が気付く日々は来るんでしょうか。そんな事を考えながら予約表に 必要事項を記入していると、ふと視線を感じました。顔を上げると視線の主は志水係長ですね。頬杖をついてこちらを見ています。

「……何ですか?顔に何か付いてます?」先刻鏡で顔色が元に戻ったのは確認したつもりですが、万一首筋とかに色が残っていたら困りますからね。

「……うん。……」特にどこかを凝視しているわけではないので、まぁ、変色等ではないでしょう。多分。

「…何かありました?」念のためもう一度聞いてみます。若干むくれたような表情にみえますね。

「……西光寺さぁー、結婚して三年目なんだけど、もうすぐ子供産まれるんだよねー。」むくれたように見えたのは、羨ましかったんですかね。志水係長は結婚願望強めの子供好き40代独身男性を自称してますからね。とすると、次に来る話題も、大体想像がつきますね。

「…鶴羅さんは結婚しないの?」予想通りですねぇ。先日ようやく小池さんとのわだかまりが解消の方向に向かったところですが。

「しませんね。興味もありません。」『変』なターゲットにされるのは面倒の元です。昨日のりょうの一件でも分かりますね。なまじ外見年齢が近く見えますからね。期待の片鱗も持たせてしまうのは酷というものです。きっぱりはっきりが大切です。

「……そうなんだー。…何で?」今日はなかなか突っ込んで来ますね。まぁ、想定内ですけどね。こういう時には答えは決まっているのです。

「……自分の周りに幸せな結婚をした人物が、皆無でしたので。」これ以上込み入った背景を匂わせつつ、面倒臭さを感じさせて、相手の好奇心を挫く言い方はあまり思い当たりません。

「………な、なるほど……」大抵の人はこれで追及や無理強いを諦めます。例外は暇をもて余したある程度の年齢層の女性達くらいですね。『女は結婚するのが幸せ』とか、『出産を経験してやっと一人前』とか、『結婚しているのが勝ち組』というような明治政府に刷り込みされた価値観を他人に押し付けて『お世話』をやいてくださる人種です。

私に言わせれば、こうした人種の口癖のように言う、『昔からそうしてるんだから』という決まり文句はたかだか精々明治時代以降の話です。江戸時代は離婚するのはよくあることでしたし、それを証明するための『三下り半』は女性側からの要求で書かれたものでしたしね。地方ならともかく、都市部では未婚女性は珍しくありませんでしたし。

女性を『家』という制度に縛り付けて男性に従属させる風潮は、いわゆる『富国強兵』のための刷り込みです。男性を徴兵するにあたって、『家』を守る必要性に駆られた政府が、『専業主婦』などという造語で、女性の自立の機会をつぶして、人口増産を目論んだようなものですからね。話が大分それましたが、幸い、志水係長には、私が全くその気がないというのは理解して頂けたようですね。まだ、頬杖は突いたままですが。

「会食室の仮予約、台帳に記入したので、予約用紙も提出しておきますねー。」ちょうど出勤してきた小鳥さんにも伝言しておきましょう。万一私が席を外しているときに問い合わせがあるといけませんからね。

『え?聞いてません』と口にするのは簡単ですが、その一言が崩壊させる信頼感の被害は甚大です。情報の共有が出来ない会社には明るい未来はありません。せっかく西光寺さんがご提案して下さった案件(たとえ理由が身重の奥さんがらみでも)ですから、しっかり伝達して顔に泥を塗るようなことにはならないようにしなくては。信用第一です。

「……朝礼を初めます。」立ち直ってようやく志水係長が起立して声をかけ、本日の引き継ぎと朝礼が始まります。

「本日は、昨夜のS市T病院からの搬送一件、明日通夜希望のため、ご遺族T山家様の葬儀相談の予約が、11時に入っています。担当は……左橋さんお願いいたします。」先ほど私が記入した予約台帳をチラ見して、志水係長は担当者を決定します。今日は私はW田家の祭壇設営届けと、法要の打ち合わせが入る可能性がありますからね。仕事は出来るんです。志水係長。

「……本日司令塔は志水、事務所待機は左橋さん、鶴羅さんお願いいたします。今日も1日頑張りましょう。」一礼して朝礼は終了、解散です。夜勤明けの浅田店長と桑田氏は着替えて帰宅、左橋さんは昨夜の搬送のデータを確認しながら、葬儀相談の資料各種や、参考プラン、見積書等をファイルに支度しています。私も法事会席のお料理の写真が新しくなっていたのを確認して、最新の写真をプリントして差し替えておきましょう。

当社のお料理は基本的に和食会席ですが、寺院からの指定などに応じて、動物性の食品(いわゆる生臭物なまぐさもの)を避けた精進料理や、天ぷらをフライにするなどの調整が効くようになっています。もちろん昨今の風潮にしたがって、アレルギー対応食も準備してあります。怖いですからねー。アレルギー。余談ではありますが、実は『アヤカシ』にもアレルギー、あります。一部のアヤカシが、異常な程『塩』を忌避するのも、『塩』が触れた所に発疹が出来て、なかなか元に戻らないせいだと聞きます。いわゆる『清めの塩』という使われ方の伝承は、多分ここから来ているのでしょう。まぁ、実は発疹が治りにくいというだけで、存在には問題ありませんけどね。マンガみたいに塩撒いてアヤカシが、消し飛ぶようなことは起きません。残念でした。他にも、『火車かしゃ』というアヤカシが、金気かなけ(金属)を嫌いますが、『奴』の説明によると、『金属に触るとなんかムズムズして、キモい』から。だそうです。昔間違って棺の蓋の釘を足で踏み抜いた時も、通常ならばアヤカシの怪我は1日経たずに治癒しますが、1ヶ月ほど足を引きずって不機嫌だったのを覚えています。ちなみに『火車』は遺体を『食い散らかす』癖があるので、日本では食事にありつくのが難しくなって、10年程前にインドに移住したと聞いています。いずれも、『命』に別状はありませんので、人間のアレルギーとはレベルが違いますけどね。そんなこんなでお料理の写真を4パターン程用意していると、電話が鳴りました。

「はい。お電話ありがとうございます、H葬祭、鶴羅でございます。」

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