第29話

「ふぁぁぁぁ……」仮眠室のソファーベッドで、23時から4時間交代で仮眠をとります。本当は宿直室の中にはカプセルホテル式の壁埋め込みベッドがありますが、女性陣は使いません。(寝具カバーは使った人が交換するルールになっていますが、中身は替えないので、ほんのり加齢臭が……)通常先に夕食を取った人が先に仮眠ですので、現在は左橋さんが仮眠中です。仮眠中は宿直室は施錠するルールですので、待機番は、事務所でテレビを見ながらコーヒーをお供に睡魔という魔物と戦うことになります。まぁ、それも搬送の依頼が入れば待機番が出かけるので、仮眠する暇も無くなるのですが。今日はバンシーが『だれもコナイ』と言っていましたからね。のんびりと雑誌でも斜め読みしながらティータイムです。

『あ、このタレントさんが“りょう”ににている人かぁ……』あ、逆でしたね。“りょう”がこのイケメンタレントさんに似ているのです。別に本人曰く、わざと『寄せて』造作したわけではなく、たまたま結果として『寄って』しまったらしいのですが。

私達アヤカシは、居所を変える度に『顔』を変えます。身長や体型もある程度は変更可能です。そして、その『顔』で人間社会に紛れて生活するために必要な各種手続きや、必要な書類(パスポートや免許証などですね。もちろん方法は企業秘密(笑)です。)を作成します。ですから、多少不都合なことがあるくらいで、さっさと顔面を変えるわけにはいかないのです。あまり手間を掛けさせると、手続きをすべて引き受けている、くりちゃんこと『古庫裏婆こくりばば』がヘソを曲げてしまいますからね。彼女の機嫌を損ねると本当に大変なんですよ。

それに、周囲の人間との関わりあいで、多少のトラブルが発生したとしても、その都度そこから逃げ出してばかりでは、いつまでも『対人スキル』は磨けません。人間社会の一員として『紛れて』いくためには、トラブルに対処していくしかないのです。断言してもいいですが、人間とアヤカシは異なる種族ですからね。関わる以上必ずトラブルは発生します。大小はありますが、順風満帆はありえません。儚く短い一生をあっという間に終えてしまう人間達より、むしろ私達アヤカシのほうこそ『上手く埋没するための』対人スキルを必要としているというのは、ある意味皮肉な話ですね。人間はトラブルの泥沼にはまって抜け出せなくなった時に最後の手段として『自殺』という逃げ道がありますが、私達アヤカシにはそんな方法は考えつきません。輪廻転生が絵空事だとわかっていますから、自らの『消滅』を選択することはありえませんし。長年の蓄積した経験を駆使して回避する方法をシミュレートしたほうがましです。まぁ、今回のように予測が非常に困難な『恋愛』という魔物が相手の場合、はっきり言って人間の反応はこちらの予測の斜め上をいくことが多いので、幾通りものパターンをシミュレートしておくにこしたことはありません。暇をいいことに、明日の作戦をみっちり立てておきましょう。

『…まぁ、定番の究極のダメ夫をごり押しでいくしかないかなぁ…』最近たまに見掛けるいわゆる再現ドラマ形式のバラエティー番組で『私こんな人に困ってます!』的なものがありますね。あれは実に勉強になります。大抵予測の斜め上を行くパターンのてんこ盛りで、対人スキルアップのために役にたちますからね。一応実話仕立てでリアリティーもありますし、更に良いのは、番組をみた誰かしらに、おぼろげに『エピソード記憶』がのこるので、『設定』として使っても、『あー、あるあるそういうの!』というリアクションが期待出来ることです。あれやらこれやらと具体的なエピソードを妄想しながら、内容のないバラエティー番組をハシゴして、静かに夜は更けていきます。

朝です。昨夜はやはりバンシーの言うとおり、平穏無事に済みました。仮眠とはいえ一応眠ったので、多少のあくびを噛み殺しながらコーヒーを淹れて、左橋さんと二人で日勤組の出社を待ちます。眠気覚ましに点けているテレビの情報番組で、女性アナウンサーがすごいハイテンションで新しくオープンした大型ショッピングモールの生中継をしています。コーヒーを吹き冷ましながら、若干げんなりしながら眺めていると、

「……鶴羅さん、こういう所って行きますか?」左橋さんが呟きます。

「…うーん…。まぁ、行かないかなぁ。」生活必需品以外の買い物はここ数年していません。長く生きていると、気をつけていないとモノが際限なく増えていきますからね。

「…きっと、混んでますよね……。」左橋さんもあまり乗り気ではなさそうです。

「…まぁ、テレビ出たから2割増しに混雑するしねぇ…。」『話題になっている所に行った』というある種のステータスが好きな人種が押し寄せますからね。

「…ですよねぇ……。絶対疲れますよねぇ」

「…行く予定でもあるの?」余り話題のスポットなんかに興味があるふうにはみえませんが、意外ですね。

「…あ、はい……。今日この後、母が行きたいから連れてけと。」

「えぇー?今日なんてテレビ出たから絶対激コミだよねぇ?」

「そうでしょうねぇ……。言い出したら聞かないので。」苦笑いしながら左橋さんが頬杖をつきます。『母』ですか。何故か逆らえないシリーズの筆頭ですよね。私達アヤカシには『婆』はいても『母』はいませんからね。面白いですねぇ。『女』や、『娘』、『妃』に『婆』と雌型のアヤカシの名前のバリエーションは様々なのに、『母』だけは聞いたことがありませんからね。何か神聖なイメージがありますかね。

「……夜勤明けだけど、頑張って。」とりあえず励まします。

「…むぅー……」画面をみながら健気に情報収集している左橋さんの分も、カップを貰って流しで洗っていると、志水係長が出社してきました。

「おはようございます。」体調チェックシートに記入してからアルコールチェッカーのご機嫌を伺っています。今日はご機嫌よろしいようで。

「…あ、店長来ましたね。」遠くから重低音のエンジン音が、近づいてきました。

「…相変わらずですねぇー。」もう『アラフィフ』だというのに、浅田店長は趣味の大型バイクで格好良く通勤しています。時刻はいつでもきっちり8時20分。近隣の住民はタイマーがわりにしていると噂です。真っ黒な車体に赤とオレンジのファイアーパターンが描かれた大型バイクに黒の革ジャン、車体と同じ柄のヘルメットまでが定番です。

「おはようございます。」店長がスーツに着替えるのを待って、現在時刻は8時30分。朝礼と引き継ぎを行って、私達夜勤組は帰宅します。

「さーて…と…」私も家に帰って、午前中は家事を片付けて、午後の所用にむけて『英気』を養いますか。正直面倒ですけどね。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る