第28話

「…ついでに見回りしてきましたー。」事務所に戻るとちょうど、会席担当の脇野さんと中山さんが出勤簿に記入してタイムカードを切るところでした。

「あー。お疲れ様でした。二階の施錠してきまーす。」若干及び腰に鍵束を取り出した左橋さんから鍵を受け取って、二階へ向かいます。まぁ、ここの二階バックヤードには、『何も』いません。怖がりの左橋さんにはちょっとハードルが高いかもしれませんが。

『真っ暗』とはいっても、外の街灯やら月明かりやら、冷蔵庫のパイロットランプやらで、アヤカシの眼には昼間も同然ですけどね。人間が『電気』を発明してからというもの、昔のような『とっぷり』とした密度の濃い『闇夜』はもうどこにもありません。どれほどの辺境の地、ど田舎に行ったとしても、日本国内なら通電していますからね。まぁ、そんな暗闇がなくなったからといって嘆いているのは、一部の古臭い生活から抜け出せないアヤカシくらいなものですが。人型を取れるアヤカシはほとんど、人間社会に溶け込んで生活していますからね。電化製品の恩恵に浴しています。

「…元栓よし、鍵よし、電気よし。」指差し確認しながら出入口の鍵もきっちりしめて、事務所に戻りましょう。パントリー専用の古いエレベーターの中から、カリカリ引っ掻くような音が聞こえますが、そこは気にせずに。そのエレベーターは当社が開店した直後から封印されて、使われていません。『開かずのエレベーター』ですからね。何があったのかは、大体この気配でわかりますがね。まぁ、『知らぬが仏』でしょう。うっかり間違えて使用してしまわないように、一階のエレベーター扉の前なんて棺のストックがびっしり並んで塞いでますし。知りたいですか?

……ふふっ。教えませんよ。

「…あ、鶴羅さん、ありがとうございました。」事務所に戻ると、私の机の上に左橋さんが入力してプリントアウトしてくれたW田家の請求書が置いてありました。

「…施錠代わって頂いたので。ほんの気持ちです。」それほど時間をかけた覚えはありませんので、かなり頑張ってくれたんですね。

「有り難う。こんど奢るからねぇ。」行ってみたいカフェレストランがあるんですよね。

「はーい。楽しみにしてます!…ところで、さっき鶴羅さんあての電話があって、只今席を外しております…って伝えたら、切られてしまったんですけど…」そういうことをやらかすのは多分『奴』ですね。私は仕事中はサイレントモードにしているので、『奴』の着信は鳴りません。携帯を確認すると、案の定、着信が3件ありました。

『ヒマなんかい。』内心の怒りがどうやらうっかり表情に出たようです。

「…だ、大丈夫ですか?鶴羅さんが男性とトラブルなんて珍しい…ですね?」左橋さんがちょっと涙目になって、あわあわしています。ここは男性トラブルにするか、それとも家族の問題で押し通すか、脳内フル回転ですね。どうしたものか。

「…うん、大丈夫ですねぇ。男性トラブルじゃあなくて、うちの『弟』だから。もー、出来のわるい『弟』でねぇ…」多分眉間に縦皺が寄っているんですね。検討の結果、説明が一番簡潔な『弟』でいくことにします。先日アパートの隣人にも使ってますので、設定が記憶に残っていますし。

「えー?鶴羅さん、弟さんがいるんですか?」あまり普段プライベートな話をしませんのでやっぱり食いつきますね。ボロを出さないように作戦を練る必要性がでてきましたので、電話するついでに考えておきましょう。

「…という訳で、ちょっと電話してきますね。留守番お願いします。」そう言ってスマホ片手にバックヤードまで出ます。現在時刻は22時。着信の履歴を確認すると、18時台に2回、20時に一回着信しています。事務所のホワイトボートに記入した患者のメモの告知内容は、確か17時30分頃でしたからね。大体用件は想像できますね。

「あもしもしー。もんちゃん忙しかったー?ごめんねぇー。」案の定コール2回で出ましたね。軽い口調にイラッとしますね。

「……あのさぁ…、説明がいちいち面倒だから、ちゃんと大人として対応してくんない?子供じゃあないんだから、自分の所属と名前くらい言えるでしょ?」黙ってガチャ切りするくらいなら、『F病院の〜です。後程またご連絡します。』くらいは言ってくれないと、変な勘繰りされる羽目になりますからね。今日は左橋さんだから下衆な勘繰りはしない(しても口には出さない)ですが、男性陣が電話を受けた時に非常に面倒な展開が待っていると予測できます。『独身』で『雌型』が嫌なのはこんな時ですね。『大きなお世話』と、心底思いますね。

「…えー?悪い。次からそーするー。でさー、せっかく宿代払えるチャンスと思ったのにさぁー、そっちに紹介した患者、超キセキ的に持ち直してさぁー。申し訳ないけど、なかったことにしといてくんない?当分大丈夫そうだからさぁー。」それはそれで凄いですね。キセキの復活ですか。魄の多そうな……、あ、よだれが…。電話の内容は、ほぼ予想通りでしたね。残念ですが。

「…わかった。破棄しとくわ。」

「あー。サンキュ。」いちいち軽いんです。

「…で、明日あんたの洗濯物届けに行くけど、何時がいいの?」本人に届けるだけでは作戦の意味がありません。

「……あー…。それな。明日、じゃあ昼から外回りの営業にしとくわ。そんときで頼む。」『本人』のいない所で、『元妻』がケチョンケチョンにこき下ろして『株』を下げるという作戦です。何とか『婚カツターゲット』から外して貰いたい。平穏な日常のために。ということですが、元はといえば『りょう』が今回の『顔面』を『イケメン』に寄せすぎたのが原因ですからね。自業自得です。

今から一晩かけて、『奴』の悪口を資料をリサーチしながらじっくり考えましょう。もちろん『ダメ弟』の設定も今のうちに考えます。適当な話にはすぐにボロが出ますからね。頭を使って甘いものが欲しくなりました。敷地内の自販機で果汁100%のリンゴジュースを二本買って、事務所に戻ります。

奴の見た目と私の見た目、今回は私のほうが年上に見える気がしますので、年の差五歳にしておきましょう。設定としては、なかなか深く突っ込み難いパターンで、社会人ですが、職業を転々としていて、消息不明なことの多い、出来の悪い『弟』ということで、電話の理由は『借金』の申し込みということでどうでしょうか。F病院の件も私が電話で確認したことにします。事務所に戻ると、

「…大丈夫ですか?」左橋さんが心配してうるうるしてます。

「…あー。大丈夫。もー、出来の悪い『弟』でねぇ。また仕事辞めたから引っ越しの代金貸してくれって。」

「…えぇー。何歳なんですか?」そうきましたか。確か私の入社時の履歴書の生年月日から計算して…私は現在…36歳ですので、そこから5歳引きまして…

「今年で31歳になるかな。すぐに会社辞めちゃうんだよね。我慢ができないの。昔から。」脳内フル回転ですね。これだから身の上話は難しいのです。こちらの想定外の『常識的』なことをきかれるのが怖いです。冷や汗をかきました。

「貸してあげるんですか?」心配そうな顔の左橋さん。

「…貸しません。だって本人返す気ゼロだもの。しかもすぐ音信不通になるし。自分の都合の良いときだけ連絡くるんだから貸すわけがない。」厳しい姉設定です。テレビドラマで学習しました。

「……そういうものなんですね。私一人っ子なので、姉弟にちょっと憧れがあったんです…」がっかりさせてしまいましたが、今後の面倒は回避しなくてはなりません。

「よその姉弟はどうか知らないけど、うちは昔っからこんな風なんだよね。しょっちゅう迷惑かけられてるの。だから今回も会社の人達には、弟がいることも内緒でお願いするね。」噂の拡散はあなどれない影響力を持っていますからね。

「…わかりました。言いません。」左橋さんは、わりと口の硬いほうですからね。まぁ、どこまで人の口に扉を立てられるかはわかりません。フォローは考えておきましょう。

「あと、さっきF病院に確認したら、危篤の患者様持ち直したらしいから、一報は取り消しだって。」病院から葬儀社の社員に直接電話が入ることは通常ありません。やはり現在は業界と病院の癒着等に関しては、社会の目が光っていますからね。葬儀社に連絡するのは、必ず親族です。業者を選択する権利があるのはご親族ですからね。なので『私』から『確認』の電話をしたことにしておきます。

「…あ、はい。一報破棄ですね。了解しました。」頷いてホワイトボートの記入をクリーナーでけしていく左橋さん。あとは電話番をしながら朝まで当直業務です。現在時刻は23時過ぎ。私も今朝コンビニで仕入れたサラダとコーヒーで夕食をすませて休憩にしましょう。平穏な夜になることを祈りましょうか。

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