第22話

式場の設置を確認して、ホール側のエレベーターで上がってくる喪家様達をお迎えし、式場の遺族控え室や、受付の説明などひとしきり必要な事柄を説明してから、奥様がお願いした『受付担当』のご友人が来るまでは一旦バックヤードに下がります。

「そういえば、鶴羅さん山田係長の『舌禍ぜっか』事件知ってました?」杉田さんがお茶を淹れながら小声で話始めます。

「…何かあったんですか?」さすがパートさん達の情報収集能力は侮れません。

「…こないだっていっても先週くらいかなぁ。山田係長が倒れた事件のちょっと前。鶴羅さん休みだったかなぁ。ねぇ。」

杉田さんが大山さんに確認します。

「…確か浅田店長と左橋さんと山田係長が出勤だったよね。」お茶をすすりながら頷く大山さん。

「山田係長が葬儀相談担当してて、何かの拍子にお客様に向かって『ご苦労様ですけど』って言ったらしいんですよね。」うわぁ…まさに『舌禍』ですね。

「……そりゃ…まずいですよねぇ…」いい年した大人が何でまた…って感じです。

「でしょう?何様だ?って感じですよねぇー。」最近はごく普通にマスコミでも混同して使われますが、本来『ご苦労様』は『上』の立場の者が『目下』の人間に掛けるねぎらいの言葉です。間違っても私達葬儀社員が『お客様』に使っていい言葉では決してありません。葬儀社では、お客様が基本『ナーバス』な精神状態になっているものとして接客の態度や言葉使いには『社員教育上』大変気を遣っていくようにと『研修』が行われています。親しい方を亡くして心に傷を負っている御遺族にとっては、不用意な言葉掛け一つで『傷口に塩』という状態になってしまうことも、あるのです。当社のパートさん達も、ドライな性格のかたが多いのですが、そこはきちんと研修しています。経験も豊富ですので、お客様の精神状態や、性格などをきちんと把握して御遺族のお気持ちを『忖度そんたく』して言葉掛けを選ぶことが出来ると思っています。

「…そこでお客様が『ムッ』とされた所にさらに喪主様のお父様を気安く『年寄りですから何かあってはいけませんしね。』とか言っちゃって。それもへらへら笑いながらよ。」

「……あっ…ちゃー…」軽く頭痛を感じます。眉間を軽く押さえたくなりました。

「…案の定、喪主様のお怒りをかってねぇ。」と、杉田さん。

「……そうそう。」大山さんが頷きます。

「自分の母親が亡くなって、相談に来てるのに、自分の父親が軽んじられたふうに馴れ馴れしく『年寄り』呼ばわりされたからねぇ。」

「しかも『ご苦労様』だから。」二人声が揃います。山田係長には自分で失敗したと思えば思うほどに出てしまう悪い癖があります。引き釣った表情をごまかすためか、歯を剥き出しにして、眼をギョロつかせて首をすくめながら挙動不審にだらしなくへらへら笑うのです。本人は愛想笑いのつもりのようですが。

「喪主様怒り狂って店長に抗議して、店長が頭下げたけど結局搬送代金無料でF社に移ってもらったんですよ。」

「『こんな人のいる葬儀社では母親を見送ることは出来ない❗』って言われたらしいですね。」先週暇だったのはそういういきさつだったんですね。山田係長が変に空回りしていたのもそのせいですか。汚名挽回と気負って挙げ句に『うわん』にやられて失神するって、どこにも良いところがありませんね。

「……それは、やらかしたねぇ…」フォローのしようがありません。呆れ果ててお茶を飲んでからふと時間をみると、そろそろ受付担当のかたがみえる時間です。湯呑みを洗って三人でロビーに待機します。ご友人から連絡があったのでしょう。奥様が携帯片手に遺族控え室からエレベーター前に出てきました。タイミングよくエレベーターが三階に到着します。

「ちょうどよかった。今受付の担当してくれる友達が来たので…」奥様のご友人のご町内の方達でしたね。では皆さんが揃ったところでパートさんも含めて立ち会って頂いて、受付の香典返し等の品物の説明とそれぞれの渡し方を説明します。情報が錯綜さくそうするのを防ぐために、当社では必ず担当者が説明するときはパートさんも一緒に聴くことが決まっています。受付さんが一番困るのは、『聞く人によって言うことが違う』という事態です。

大多数の人は『葬儀』に『何回も』参列する機会はありません。ほとんどの人は『初心者』です。ただでさえ不可解なしきたりの多い『葬儀』という世界で、右も左もわからないなりに私達スタッフを頼りにされているのです。頼りの相手が右往左往したり、方針がコロコロ変わったりすれば、必ず最後に残る印象は『不満』か『不信』です。スムーズな式進行のためには『小さなことからコツコツと』です。ささいな信頼感の積み重ねが一番大切なのです。

「…こちらのラックの上段の小さな袋は『通夜返し』下段の大きな袋は『香典返し』となります。…」渡し方の決まり事や、イレギュラーの場合の対応などを説明して、受け取った香典と記帳の用紙の取り扱い方法もご案内します。その他にこの地域独自の習慣、『お寂し見舞い』の物品の場合と現金の包みの違いと対応などをお伝えしておきます。ひとしきり説明してから質疑応答に応えて細々とお話して、あとは式中の流れやそれぞれの動きを喪主様達に実際にやってもらいながら説明しておきます。こうしてリハーサルしておくと、口頭で説明するよりも理解がしやすいですし、本番に緊張してしまってもお互いにフォローすることもできますからね。開式してからはやり直しは効きませんからね。後悔されることのないようにしておかなくては。葬儀は『非日常空間』ですからね。もちろん、『亡くなられた方』のための通夜葬儀ではありますが、真の主役は遺された『御遺族』でしょう。遺された方が『納得』して前向きに進んで行くための大切な『区切り』が葬儀というものだろうと、数えきれない通夜葬儀を永年みてきてしみじみ感じます。骨になってしまえば、どんな人生を送ってきたひとも皆同じですが、その『生』と『死』の区切りに大層な『意味』を持たせないと、『はかない』人生を前に進んでいくためのパワーを得ることが難しいのでしょうか。死んだことがないアヤカシには不可思議な心理状態ですが。

「…あー。どーもー。」エレベーターが到着して降りてきたのは西光寺の若でした。現在時刻は18時過ぎ。開式ギリギリに来る寺院様もありますが、西光寺さんは大抵開式一時間前には来て下さいます。寺院控え室へご案内して、パートさんに目配せして呈茶と、喪主様達のご案内をお願いします。

「こちらで少々お待ち下さい。喪主様が参ります。」入口で草履ぞうりを揃えながら、そう声を掛けると、

「先日はどーもお疲れ様ー。」と笑い含みの声色でニコニコと挨拶されます。

「……?何でした?」何か含みのありそうな言い方です。若は控え室の座布団に座りながら手招きします。

「…こないだT社の葬儀にいたでしょ。」やはりその件ですか。スパイだと思っての含み笑いでしたね。

「…あの時のA野家様の自宅搬送担当が私だったんですよ。T社の担当者が『遣り手』だったので、娘さんに助力を請われてしまって…。別にスパイではないんです。ちょっとお母様が心配な状態だったので。」そう言うと若はつまらなそうに口を尖らせました。暇なんですかね。

「…そういうことねー。A家のお母様確かに僕も大丈夫かなーって心配したもんねー。思わずお布施割引して、初七日だけじゃなくて法事も込みにしちゃったくらい。」

「…有り難う御座います。これからも温かく見守ってあげて下さい。私からもよろしくお願いいたします。良いお嬢さんなんですよ。しっかりしてますし。」お布施に割引というのはなんともそぐわない単語ですが、御気持ちはありがたいので、深く突っ込みしないでおきましょう。これでT社のぼったくりの魔の手からあの一家を守ることはできそうですね。ま、アヤカシが心配することでもないですが。

「…失礼します。」入口の襖を開けて、大山さんが寺院様用の呈茶の用意と、喪主様のご夫婦を伴って入って来ました。寺院様を交えて今日明日の式次第の打ち合わせを始めます。若は先刻までの軽い喋り方とは打ってかわって真面目な表情で、宗教者らしい落ち着いた話し方で、今日明日のお経の簡単な説明や、故人様の戒名の由来の説明、生前の思い出などをひとしきり話しています。やはり、『プロ』ですね。切り替えの早さには正直脱帽します。檀家さんからの人気も納得です。

優秀なパートさんの采配と、奥様の正確な人脈把握のおかげで、その後の通夜は非常にスムーズに進行し、恙無つつがなく通夜式は終了しました。心配していたお孫さん達の様子はまあ、想定の範囲内で、この『母』こと奥様ありて、この『娘達』、この『娘達』ありてのこの『孫』という『家族』のしつけの 大切さを目の当たりにしました。『しっかり者』の女性はやはり躾もしっかり出来ていて、その娘達も同じくそれを『引き継ぐ』ものなのですね。話し方が三世代そっくりなのにはちょっと笑いましたけど。この様子なら明日も順調にいきそうです。良いお客様に巡り会えました。

「お疲れ様ー。」棺をバックヤードのエレベーターで降ろして、控え室に戻られた御遺族の所にお連れしながら、夜間の弔問に備えて予備の返礼品と記帳用紙をお部屋にお届けします。あとは式場を軽く片付けてパートさんは業務終了です。

「明日もよろしくお願いします。」帰っていく二人に手を振って、私は三階の火気のチェックや消灯確認して、がさがさぶつぶつ呟く連中を無視して事務所に戻ります。少しはお灸がきいたみたいですね。平和が一番です。

終礼は済んでますので事務所に残っているのは夜勤の桑田さんと浅田店長のみです。

「…オツカレー。」宿直室でくつろいでテレビを見ながら桑田さんが手だけ振っています。見ている番組は動物もの。意外ですね。浅田店長は日中のスリーピースでビシッと決めた格好とは打ってかわってヨレたTシャツに毛玉付きのジャージ姿で夕飯のレトルトカレーを温めています。二人とも妻帯者の筈ですが、御池さんのように愛妻弁当を食べている所は見たことがありませんね。世代でしょうか。

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