第16話

朝です。今日も私は仕事です。押し掛けてきた『奴』はまだソファーでだらしなく寝こけていますが、無視してインスタントコーヒーだけ飲んでさっさと出勤です。『りょう』が自主的に家事をするなんてことはあり得ませんから放置です。

「おはようございます。」更衣室で着替えていつものように引き継ぎと朝礼です。ホワイトボードには、昨夜は危篤一件搬送一件 と記入があります。搬送するのは夜勤の井山さんです。本日の私の業務内容は…10時からの葬儀相談です。本当は搬送行きたかったなぁ…と思いますが、つい先日『食事』はしたばかりなので、贅沢はいいません。ホワイトボードのメモを確認して、亡くなったかたの年齢性別と、喪主となる御遺族の世代から推察して、必要になりそうな資料を鞄に用意します。ついでに書類の内容が最新データになっているかチェックしておきましょう。

「では本日も1日よろしくお願いいたします。」山口係長は着替えて帰宅、井山さんは顔を洗って目を覚ましてから、社用車でS市T病院へ向かいます。左橋さんは先日担当したM家の四十九日法要の契約を取るための営業の下準備で法要のパンフレットとにらめっこしています。私はというと、先ほど確認した書類の内容が最新ではなかったため、パソコンのファイルからプリントしておきましょう。ついでにもうひとつ、葬儀相談の下準備で、祭壇の価格の違う見積書を二、三種類プリントしておきます。揃えた書類を鞄に入れて、そろそろ予定時刻が迫ってきましたので、ロビーで待機しましょうか。

「鶴羅さん、井山さんから電話です。」事務所から小鳥さんがロビーに出て来ました。子機を持っているので、受け取って通話ボタンを押します。

「…もしもし、鶴羅です。何かありました?」わざわざ搬送先から掛けてくる位です。これから見える御遺族に関する何らかの重要な情報提供でしょうか。

「あもしもし、井山です。今御遺族そちらに向かわれたんだけど、故人様の遺産がらみでちょっとややこしい意見の相違がご夫婦にあるみたいだから。相続関係の説明文とかも出しておいたほうがいい。俺の説明はいまいち信用してもらえん。よろしく頼む。」早口でそれだけ伝えて通話が切れました。運転中でしたかね。いずれにしても重要な情報提供です。こちらとしても心の準備の有る無しで大分余裕が違います。電話を切ってから急いで事務所に戻り、指示のあった書類を追加してまたロビーに戻ります。当社のロビーは、ガラス張りの吹き抜けのある開放的な空間がウリです。広々とした明るいロビーに応接用のソファーセットが4組と、ドリンクディスペンサが設置されています。建物一階には式場はなく、事務所、受付、応接スペースと、遺族控え室が3室、二階には法要会食室、三階、四階が式場です。同時に最大5件の式施行が可能というのがオープン当初の売り文句だったそうです。まぁ、火葬場の時間帯の都合上、実際にはせいぜい同時に二件、時間帯ずらして1日に四件までですがね。近年では、四件施行するのはせいぜいこれからの年末年始の繁忙期位になりました。ガラス張りのロビーからは、広々とした駐車場が見通せて、来客対応がしやすいです。車が一台、入ってくるのが見えますね。二人連れですから、多分本日の搬入と、葬儀相談のW田様のようです。事務所に声を掛けて来館を伝えてから、ドリンクディスペンサの準備をして、出迎えます。

「おはようございます。ご予約のW田様ですか?」

「おはようございます。お世話になります、W田です。よろしくお願いします。」入ってきた二人連れは少し疲れが見えるものの、身なりもきちんとしてみえますね。二人揃って着席前に一礼されるところといい、井山さんの説明を『信用しない』というような頑迷さは感じられませんね。まぁ、先入観は大敵ですから、第一印象を大切に対応させて頂きましょう。応接ソファーにご案内して、用意した緑茶をお出しします。

「本日はご来館有り難うございます。私は本日葬儀相談を担当させていただきます鶴羅と申します。よろしくお願いいたします。」一礼して名刺をお渡しします。受け取って、眺めて首をかしげる、ご夫婦二人で同じタイミングで同じ角度になるのを見て、二人のこれまで過ごした時間を思ってほほえましく思いますね。

「…かくらさやか、と申します。」

「珍しいお名前ですね。」これまでのやりとりはこの新しい名前には定番です。名刺をご主人がテーブルに置くのを見届けて、一呼吸おきます。

「…お疲れ様でございました。よろしければまずはお茶をどうぞ。」徹夜とまではいきませんが身内を亡くされたばかりです。一服されているところで、私は横に置いた鞄の中から書類ファイル一式を取り出して、自分の膝に乗せておきます。まずは『ご相談』です。ここでがっつくのは私の主義に反します。

「…本日はどのようなご相談でしょうか。」まずはゆっくりと話をお聴きします。もちろん搬送でこの後故人様が式場に到着するので、よほどのすれ違いをやらかさなければそのまま当社で施行になるのですが。実際以前に『やらかして』搬送したのに『逃げられた』なんて事がありましたからね。私ではありませんよ。大切なのは、『売り上げ』ではなく『御遺族の気持ち』だということを相手に伝える事が出来るかどうかです。500万の売り上げを焦ってゼロにするくらいなら100万でも十分です。

「……あのですね。父の葬儀の内容と、予算の見積りをお願いしたいんですが、ちょっと家内との意見の相違がありまして……」意見の相違ですか。かなり控えめな言い回しですね。私が頷いて奥様のほうを見ると、

「…私は、義父ももう96歳でしたし、親しくしていたお友達も最近はそれほど人数が多くなかったので、そこまで盛大な式にする必要は無いのではないかと言っただけなんですが…」考えながら、言葉を選びながら慎重に発言されていますね。対してご主人はというと、

「父は現役時代もかなりいいところまで出世して、会社関係にもかなり広い交遊関係がありましたし、リタイアしてからも町内会やら自治会やらと毎日飛び回って活躍してましたので、皆さんに見送って頂けるきちんとした葬儀にしたいと思っているんです。」というご意見。まずは葬儀の規模に関しての相違ですか。それぞれの考えの根拠を確認するためにいくつか質問してみましょう。

「…町内会などの活動は、おいくつまでやって見えたんですか?」W田様の地域は、まだまだ地方都市のなかでは抜群の結束力を誇る地域ですから、ここで繋がりや貢献度を見誤ると式場がパンクします。以前も離れて住んでいた娘さんが喪主で、故人様が自治会の会長職を歴任していたのを知らずに、『うちの父なんて…』という日本人独自の謙遜を鵜呑みして参列者が外まで溢れたことがありました。あの時の山口係長の真っ青な顔は忘れられません。駐車場も溢れて近隣住民からも苦情の電話が殺到しました。

「…65歳で会社をリタイアして、90歳まで自治会の役員をいろいろやってました。」ご主人がはきはきと応えます。ちなみに故人様は享年96歳です。90歳というのは引退するにはキリのいい数字ですが、何か引っ掛かりますね。

「…ご勇退されたのには何か理由でも?」この辺りの自治会でも本当に壮健な方ならば90歳越えても現役の役員さんがいらっしゃいますからね。

「…90歳の年に脳梗塞をおこしまして、以後入退院とリハビリの生活になりましたので…」そういうことですか。入退院とリハビリということは、引退せざるをえなかったということです。亡くなるまでの6年間は、ご町内の方とは関係が切れているということになりますね。

「…それは大変でしたね。ご夫婦お二人でお父様のお世話をされてみえたんですね。」私が相槌をうつと、

「…いやぁ、あの、私はほとんど何も…。仕事がありますので、父の世話は家内が総て取り仕切ってまして…」微笑みを浮かべた奥様に対して何故か額に汗が浮き出すご主人。非常に正直な方ですね。ならばここ数年のご町内との関係や、お父様の交友関係を『正確に』把握しているのは奥様であることは間違いないようです。ここは、ご主人の『お父様』への尊敬の気持ちを『尊重』しつつ、奥様の『正確な』状況把握に準じて、ご葬儀の提案をするのがベストですかね。

「そうですか。大変でしたね。」奥様に対して会釈して、私がファイルの中から祭壇の写真パンフレットを物色していると、

「…あ、ちょっとお手洗い拝借します。」とご主人が中座されました。仕方なくとりあえず『ピン』と『キリ』の価格帯の写真を二種、奥様の前に並べてみます。祭壇は一見どちらも変わらないようにはみえますが、よく見ると横幅や、使用している生花の種類が異なっており、値段には2倍の開きがあります。

「……あの。義父は実は貯蓄をしてまして、本人曰く『自分の葬儀代』だったそうです。」見積りの写真を見ながら、奥様はこらえていた様子で呟き始めました。

「…昨日臨終のあと、一旦家に帰って、通帳を確認しましたら、残高が三百万ほどになっていまして、主人は『葬儀代』なんだから全額使って当たり前というんですが、…私は、自分達の今後のためにも少しは『残して』欲しいんです。…」そこが本音ですね。確かにご主人は素直で正直ですが、あまり先々考えてなさそうですからね。ちなみに私が並べた見積りの『ピン』は300万円、『キリ』は150万円の予算です。義父の介護も一人で担って、頑張ってきた奥様。あのご主人はこの二つを見たら、何の迷いもなく『ピン』を選ぶんでしょう。

「…そうですねぇ。では、私からのご提案としまして、これでいかがでしょうか。」私は薄く微笑みながら、『ピン』の見積書を鞄に仕舞い込んで、ファイルの中から『キリ』の更に半額の、いわゆる『家族葬プラン』の祭壇写真パンフレットを取り出して並べます。これと比べると、『キリ』の祭壇写真も、十分に見栄えがしますからね。井山さんはかなり『やり手』の方ですからね。奥様もご主人の手前言い出しにくかったのでしょう。その雰囲気を感じて、井山さんは『信用されてない』と表現したのですね。私の並べたパンフレットを見て、奥様は意図を汲んで下さったようです。安心して少しリラックスした様子でもう一度お茶に手を伸ばされます。

「…すみません、お待たせしました。」間一髪、ご主人が戻って来ます。

「…只今奥様ともご相談させて頂きましたが、参列者の予想人数等を考え合わせますと、こちらの『家族葬プラン』では如何でしょうか?」奥様のご要望については口にせずに、まずは小ぶりなホールを使用した30人規模の想定の『中規模な』家族葬プランをご紹介します。これは一般の会葬者も含めて想定したタイプの家族葬で、祭壇は小さめですが、周りのスタンドタイプの生花が大振りな為価格帯のわりには華やかです。当社でも推しているタイプですからね。決して営業妨害じゃあ無いんですよ。本当です。

「……うーん…」案の定、ご主人はやはり尊敬するお父様の葬儀を『立派に』執り行いたいようです。腕組みをした上に、顎まで拳を当てて考え込みます。

「…では、こちらのプランでは如何でしょうか?」家族葬のプランのパンフレットの下に重ねていた『キリ』の祭壇写真パンフレットを出して見せます。比較効果はかなり劇的です。見た目がやはり豪華にみえますからね。先に家族葬プランを見せたのは心理的作戦です。『見た目』重視のかたにはこのパターンです。

「…おぉ。これはいいですね。」身を乗り出してパンフレットを見始めるご主人。作戦成功ですかね。

「こちらのプランですと、中規模の式場を使用して50人程度から80人程度までの対応が可能ですので、町内会の方々が見えたとしても大丈夫ですよ。」奥様も私の作戦を理解して下さった様子で微笑みながら何度も頷きます。ご主人は奥様の頷きが『賛成』もしくは『許可』であると考えた様子で、嬉しそうです。尻尾があれば振っているかもしれません。素直なご主人です。

「…じゃあ、このプランでお願いいたします。」ご主人の希望と奥様のご要望が合致しました。

「よろしくお願いいたします。」奥様もだめ押しで言葉に出して一礼されます。

「では、こちらのプランでの、仮算定の予算見積書がこちらになります。ご確認下さい。」ここから、仮見積りの返礼品から商品の中身を決めたり、想定人数から注文数を決めたり、プランのセットの中から用不用を仕分けたり、『お斎』の食事の金額と人数の確認や、霊柩車の種類『洋型』か『宮型』かを選んだり、棺のグレードを確認したりと細々とした決定事項が沢山あります。ご主人の『見栄』を立てつつ、そこは奥様の出番ですからね。W田家の奥様はとても優秀な方です。数々の決定事項を非常にスムーズに片付けて、最終見積りが小一時間で完成です。まとめた見積り書をパソコンに入力して印刷する前に、御遺族にご一読して頂くこれからの流れを記した用紙を渡して説明します。

「 では今から最終的なお見積書を印刷してまいりますので、その間にこちらの用紙を御一読下さい。こちらの一覧は、本日この後からお通夜までにご用意頂く必要のあるものや、各種手続き等が書いてあります。また、お付き合いのあるお寺様などはありますか?」

「あぁ、家は代々西光寺さんです。」

「かしこまりました。お寺様へのご連絡はどうされますか?」寺院の名前が判るならば宗派等の確認も必要ありません。

「先ほど連絡しておきました。」奥様はさすがに抜かりないです。連絡済みであるならば、あとは、寺院のご都合のみで式日取りを決定することが出来ます。今は繁忙期ではありませんので、火葬場も取れないことはほとんどありません。

「…それと、できれば早めにお願いしたいものが一点ありまして、…」これだけ携帯電話が普及しているにもかかわらず、なかなか難しいのが、この一点です。

「…祭壇の遺影写真に使用する、故人様のお写真ですね。出来るだけ良いお顔をされているもので、最近のものがあれば一番なんですが…」これが以外と難しいのです。特に高齢の男性になると、そもそも単独で『笑顔』で写真を撮っているものを探すのが、一苦労ということも少なくありません。もし見つかっても、御高齢の男性となると、やはり『頭部』が寂しいせいか、帽子をかぶっている姿が増えますので、肝心の『お顔』が隠れていたり、影になっていたりと、せっかく御遺族が探しだしても『良いアングル』にならないことが多いのです。先日などは、『一番いいお顔』の写真がペットのワンちゃんとのツーショットで、どうやっても写真のセンターが『犬』という祭壇写真になってしまったこともありました。まぁ、愛犬家で知られていた故人様ですので、『故人様らしい』とおおむね好評でしたが。他にも唯一見つかった写真が、特にファンでもない球団のキャップを被ったものしかなくて、祭壇を前にして『あの方実はこの球団のファン?』疑惑が広がる事件もありました。

「…写真ですね。…探してみます。」お二人で書類を前にしてお互いに心当たりを検討しているので、私は一礼して見積書の作成のために一旦事務所に戻ります。ちょうど搬送を終えて井山さんが戻っていました。

「お疲れ様です」コーヒーを飲みながらモニター越しにW田様を見守っていたようです。

「お疲れ。…ごねなかったか?」私の手に見積書原本があるのをみて、井山さんが尋ねます。手こずるようなら応援をという感じですかね。

「おかげさまで。きっちりご納得頂くことができました。」ニッコリを返します。

「…やるな。」 まぁ、売り上げにはさほど『貢献』しませんが。私は『お客様第一』です。早急にデータを打ち込み、正確な最終見積り書をプリントして、ロビーへ戻ります。

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