第15話
「…ただいまぁ。」例によって誰もいませんが、防犯上声に出して玄関の鍵を開けます。
「あ、おかえりー。」
「????!」正直驚きすぎて声になりません。『目』が『点』になりました。
「……何でここに?」自宅を教えた覚えはありません。鍵に関してはアヤカシには無意味なので、そこはまぁ、よしとしても。
「くりちゃんに教えてもらったー。」問題なのは『こっち』です。個人情報駄々漏れですよね。断固抗議して…と思って携帯を取り出すと、着信が一件。当の『くりちゃん』です。
『ゴメーン。りょうが何かトラブってるから、避難所としてもんちゃんち紹介しちゃったぁ。フォローよろしくねー。』メッセージを聞いて脱力した私を見てわざとらしく『テヘペロ』ポーズをするりょうに、軽くため息をついてから、気をとりなおしてポットにお湯を沸かします。
「…何か飲む?…コーヒー?お茶?」
「……酒で。」珍しいですね。断言しましょう。面倒臭い展開になりそうです。とりあえず私の分はリラックスとリフレッシュ効果のあるハーブティーブレンドにしましょう。
『りょう』には冷蔵庫の中にしばらく放置していた缶チューハイでいいでしょう。ソファーの上にオヤジっぽいポーズで転がっているので、目の前のテーブルにチューハイを缶ごと置きます。
「ぅえぇー。グラス頂戴よぉー。」もちろん奴が、缶から直接飲むのが苦手なことは知っています。ささやかな嫌がらせです。
「…自分でどうぞ。」私は自分のお茶の支度中です。奴は他人に自分の身の回りの世話をしてもらうのを当然と思っているフシがあります。以前やむを得ず『夫婦』として生活したときの同居生活でも、それを散々思い知らされました。今さら面の皮一枚イケメンになったからといって、甘い顔はしません。
「ちぇー。…」しぶしぶ立ち上がって棚からグラスを取り出します。最初からそうすればいいのです。
「……で、何をトラブってる訳?」グラスに注いだチューハイを一気に半分も飲んだところを見ると、どうやら厄介ごとですね。女性がらみの。自分のお茶をカップに注いで仕方ないので話を聞きますか。
「…僕んとこの病院さぁ、一応ボロいけど敷地内に男女別職員寮が完備でさぁ、気楽に就職生活してたらさぁ…」りょうの職場。病院は夜間の救急救命もやっているので、職員は敷地内にいるほうが対処が早くて便利です。部屋を契約するにはいろいろ繁雑な手続きが必要ですからね。流浪のアヤカシとしては、なかなか手離し難い物件です。
「そこの職員の女子が、なんかいろいろ面倒くさい感じでさぁ。三人で連れ立って男子寮まで押し掛けてくるからさぁ。何か圧が凄くて断りにくいしさぁ。何かいい方法ないかなぁ。」今回の面の皮がちょっとイケメンに寄せすぎなんですよね。そのパターンはよくあることなので、『程々』の平凡な顔立ちが目立たずちょうどいいと、『りょう』はなかなか学習しません。
「彼女役は嫌だからね?」からまれてうっとうしい思いをするのはまっぴらごめんですからね。
「いらないって言えばめらめらするみたいで、弁当とか作って持って来るし、他の野郎が嫉妬して、職場の空気悪くなるし。こないだの搬送の話もいつの間にか葬儀社の女子職員と朝帰りみたいな話に変わってるし。」グラスのチューハイは勢いよく飲み干されてすっかり空です。私達アヤカシは自分の顔面の造作を好きなようにできます。その気になれば絶世の美男美女にも出来ますし、超絶醜女醜男になることだって可能です。ただし、不細工は世間では非常に生活しづらいというのも事実です。そして、美形もまた、同じように非常に生活しづらいというのも皮肉なことですが、事実です。人間社会に溶け込んで平穏に日々を送る為には『なかなか見た目も悪くはないけど、ちょっと残念』なレベルに調整することが肝要です。人間の嫉妬という感情はなかなかに厄介で、こちらがどんなに真面目に地道に生活しているつもりでも、嫉妬によって張り巡らされた罠は巡り巡って不意に足元を掬うのです。
「……で、どうするつもり?」独身寮に居づらいからといって、ここに住み着かれても迷惑です。そしてとても嫌な予感がします。
「…とりあえず、せっかく朝帰りの噂がでたからさぁ。ちょっと話盛って『離婚した元妻が偶然再会してびっくりついでにヨリを戻しにいってくる』ってことで休み明日まで取ったから泊めてよぉー。」缶チューハイ一本でべろべろです。うわぁ面倒臭い。
「えー、泊まるってりょう?お泊まりセットどこ?」室内見渡してもそれらしき鞄の類いが見当たりません。車は確かに見覚えのない白い軽自動車が、来客スペースに一台あった気がします。
「んもぅ面倒臭いから何にも持って来なかったぁー。昔の俺の服とか残ってないのぉ?」
「一体何年たったと思ってるの?20年もたったら普通の人間でも服は処分してるって。」当然同居解消後に即刻処分してますけどね。仕方ないので近所のコンビニまで調達にいきますか。
「……買い物行くから大人しくしててよ。」
現在時刻は午後8時過ぎです。『女の独り歩き』が危険な時間帯でもありません。財布と携帯だけ手提げに入れて玄関の鍵を閉め、エレベーターで降ります。10分程歩いてコンビニに向かいましょう。
「いらっしゃいませー。」ドアチャイムの音に迎えられ、店内のお泊まり用品コーナーを物色します。大抵世間ではこのシチュエーションで買うのは女性用が定番の路線のようで、ミニサイズのシャンプーリンスのセットの並びには、女性用の下着ばかりです。棚の裏側のPBブランドの商品のなかに、ようやく男性用下着とTシャツのセットを見つけました。隣に申し訳程度にカミソリや男性用化粧品が置いてあります。出張セットといった趣でしょうか。…そういえばアヤカシでも雄型は髭、剃るんでしょうか。考えたこともありませんでしたね。ちなみに私は、髪も爪も伸びません。ムダ毛はいわずもがなですね。まぁ、興味半分で髭剃りセットもかごに入れてみます。知人に会いたくないラインナップになりましたので、ポテチも乗せて中身を隠したところで向こうからきたお客様のかごとぶつかります。
「…あ、すみません」謝りながらよけましたが、通りすぎるつもりの相手はかごの中を凝視して動きません。不審に思って振り返ると、なんとなく見覚えが有るような気がします。
「………かくらさん、彼氏がいるんですか。」男性用下着がポテチの下からチラソワしていますね。相手は間の悪いことに先日引っ越してきたG藤さんです。
『…あちゃー…』内緒の心の声です。
「…いえ、今日実家から弟が急に遊びに来てまして。」『彼氏』と『弟』どちらがより良い選択でしょうか。『ニッコリ』の顔のままで私は頭を高速回転させてシミュレーションします。下手をうてば『りょう』の二の舞ですからね。
「…あぁ、そうなんですか。弟さん、ですか。カクラさん美人ですから彼氏かとおもっちゃいました。はは。弟さんですか。」何故かほっとしたような表情で『二回言う』G藤さんにそこはかとない不安をかんじますが、それで凌ぐしかありません。さっさと会計を済ませてコンビニを出ます。一緒にアパートに戻るのは余計な詮索の始まりですからね。
「じゃあ、お先に失礼します。」まだ何か言いたそうにしていますが、気付かないふりをして歩きます。
「…あぁ。やっと追い付きました。歩くの速いですね。」案の定エレベーターを待っているところで追い付かれました。内心舌打ちしながらも、『ニッコリ』は忘れません。
「お買い物、済んだんですか?」一応袋はさげてますね。あえてはっきり判るように視線を袋にやります。
「お弁当ですか。」ちょうどエレベーターが到着しました。
「あ、そうなんです。僕料理苦手なんで大体コンビニ弁当なんですよ。身体に悪いですよね。」買い物袋を軽く持ち上げて、恥ずかしそうに笑顔で言い訳するG藤さん。作戦成功しましたね。
「最近のコンビニ弁当は、健康に配慮してるみたいですから大丈夫ですよ。」お弁当に話題をふって『弟』から気を逸らしてもらいます。年齢とか家族構成とか何も考えてませんからね。聞かれると一番面倒です。
「そうなんですかね。そういえばカクラさんはお料理されるんですか?」そうきましたか、やはり。
「…独身なんで食材買っても駄目にしてしまう事がほとんどですから。仕事に残業も夜勤もあるので、全然作らないですよ。いつも仕事帰りに食べて帰ります。」この、『食材が駄目になる』という元ネタは、他市の他社時代に同僚の女子がよく、口にしていた『自炊しない』良い言い訳です。『もったいない』というんでしょうか。もちろん私にとって料理は未知の領域です。大体食べれないものをやろうと思う筈がないんですがね。甘味も少しで十分です。
「あ、そうなんですね。独身なんですね。」そっちに引っ掛かってしまいましたか…。やはり言葉選びには注意が必要ですね。難しいですね、人間。そうこうしているうちに丁度エレベーターが四階に到着しました。
「…じゃあ失礼します。おやすみなさい。」ニッコリのまま会釈して、レディファーストよろしく『開』ボタンを押してくれているのをいいことにさっさと退散です。玄関を開けて振り返って一礼して扉を閉めます。隣も諦めて部屋に入ったようですね。
「…ちょっと?大人しくしててよって言ったでしょう?なんで勝手にシャワー使ってんの!?もぅ。」部屋には奴の服が通った道筋が判る形で点々と脱ぎ捨ててあり、仕方なく拾いながらすすんでいくと、洗面所の扉を開けた目の前には下着まで。怒りをこらえながら拾い集めた服を脱衣籠に放り込み、バスタオルと買ってきた下着をその上に乗せて扉を閉めます。
「20年経っても進歩のない奴。」昔からこうでした。今思い出しても腸が煮えくり返ります。ストックしてあるチョコレート菓子のキューブ型のものを口に放り込みます。ストレスには甘味です。
「……美味し。」キャラメル入りのクリームの入ったチョコレート、糖分が身体に沁みますね。
「…疲れた…」ソファーに座ってすっかり冷めてしまったハーブティーを飲み干します。シャワーの水音が止んで、奴が上がる気配がしたので、男女共用サイズのスウェットの上下とフリースの毛布を引っ張りだして、枕の代わりのぬいぐるみと一緒にソファーに置いておきます。
「…ふぃー。お先に。」案の定下着一枚で出て来ましたね。人の家を何だと思ってるんでしょうか。
「パジャマこれね。当然だけどソファーで寝て。」私もシャワーして頭をリセットして、今後の対策を考えなくては。
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