第12話

T市F病院の夜間受付前で、熟睡していた大原氏を叩き起こしてコンビニのモンブランを一つ渡して降ろし、私は会社に戻ります。

「おぅ、お疲れ。大変だったな。F病院の職員さんは何でまた一緒に?」御池氏の疑問はごもっともです。通常搬送は一人体制ですからね。

「御遺族が、かなり消耗されていて、自家用車の運転が危険だったので、お願いして運転代行してもらいました。ついでに『安置』の片付けも。」知り合いだという情報は不要なので伏せておきます。

「そうか、『引っ越し』もあったのか。お疲れさん。こっちはゼロ件だ。」ベテランの御池氏はさすがに『安置』のための作業が引っ越し並みだったというのを察知していますね。最近はかなり稀なケースとなりましたが、御池氏の現役の頃は、自宅搬送、自宅安置からそのまま祭壇設営、式施行 片付け撤収までがセットでしたからね。以前に比べて葬儀社という仕事も楽になりました。とりあえず自分の机で、搬送依頼書とセットで提出する搬送報告書をパソコンに呼び出しします。眠気覚ましに紅茶のちょっと良いものをポットで淹れて、カップは3つ。一つは御池氏に、一つは自分用、もう一つは小さなデミタスカップで、コンビニの焼菓子をそえてそっと廊下の暗がりにいるバンシーにねぎらいを込めて置いてきます。

『…ありがとーサヤカ。おつかれねー。』小さな声が耳に届きました。ニコッと笑いながら事務所に戻って書類を作っていると、宿直室から出てきた御池氏がカップに気づいて一口すすります。何故か一瞬こちらを見てから、もう一度カップに鼻を近付けて匂いを嗅いでまた一口。どういうリアクションなんでしょうか。

「…何ですか?」そのまま固まって何か言いたそうにしているので、先に聞いてみます。

「……これは、紅茶か?」他に余り凝ったお茶を事務所に持って来たことは有りませんからね。そんなに驚くことですかね。

「…?普通に茶葉から淹れた紅茶ですよ?」

「渋くないぞ。」まぁ、そうでしょうね。普段の紅茶のイメージがどういうものかは知りませんが、『紅茶』が渋いのは色味が速く出るように茶葉を刻んで細かくしたBOPというタイプのティーバッグが原因のことが多いですね。手っ取り早く紅茶色の水分が摂取できますが、お茶好きに言わせるとあれは『茶』ではありません。緑茶を急須で淹れるのに、お湯を注いで蒸らすのですから、本来の紅茶も同じようにすると香りも甘味もきちんと味わえるものなのです。ちなみに私は、長い生活で、様々な種類のお茶を制覇して、部屋にはちょっとした専門店並みの種類の茶葉やハーブティーなどが揃っています。今日の紅茶はスタンダードなダージリンですが、ファーストフラッシュという良いグレードのものでした。御池氏が味オンチじゃないというのはよくわかりましたが。

「…そうですか。」とりあえず無難に相槌をかえしておきます。自分の分を味わいながら書類仕事をしていると、何故か隣に御池氏がやってきます。

「…何ですか?」デジャヴのようです。

「……嫁さんと、娘に…」言いにくそうに口ごもっていますが、ぴんときましたね。

「仲直りのプレゼントですか?N市のMショッピングモール の一階にRっていう茶葉の専門店がありますから、そこで買うと良いですよ。プレゼントって言えば華やかな容れ物の商品がありますから。」おじさんには覚え難いでしょうから、メモ用紙に茶葉の種類も書いて渡します。

「…や、すまんな。助かるわ。」カタカナの羅列に目を白黒させながらも、きっと頑張って店員さんにメモを渡して四苦八苦するのでしょう。その光景を想像すると、今まで苦手だった御池氏が可愛らしく思えてきましたね。まぁ、実際生きて来た歳月を考えれば、オジサンも私に比べてひよっこですけどね。

書類も無事に完成して、あとは引き継ぎまで特にすることもありません。御池氏がトイレに立った隙に、廊下に出しておいたカップを回収して、焼菓子の食べかすも掃除します。

『…お菓子ありがとー。』バンシーが隅っこで座って手を振ります。現在時刻はまもなく7時。仮眠するには少々中途半端ですね。雑誌の続きを眺めながら、8時の朝礼まで時間を潰し、引き継ぎ後は速やかに家に帰りましょう。

休日の朝です。朝といっても当直明けで戻ってすぐに掃除洗濯してから仮眠して、現在時刻は午後3時です。昨日はあれだけ働きましたが、『食事』を済ませたばかりなのでまだまだ元気です。昨日買って帰ったコンビニのモンブランと、ジャスミンティーで午後の一時を堪能します。以外な組み合わせにみえますが、結構合うんですよ。のんびりしているところにメールの着信音です。

「…?久しぶりだなぁ。」開いてみると、差出人は昨日話題になった『くりちゃん』です。アヤカシの仲間、頼りになるお姉さんです。年齢なんてとうの昔に数えるのをやめている『私達』ですが、たまには集まって情報交換会と近況報告するのが、ささやかな楽しみなのです。『女子会』のメンバーは通称で言うと私こと『もんちゃん』と『くりちゃん』、『ぶんちゃん』と『らくちゃん』、『めーちゃん』の五人です。ちなみに五人ともに雌型をとって生活しています。それぞれ皆、あちこちを放浪していますから、開催地は毎回違います。共通項は一つだけ、『らくちゃんのお店』です。今回は首都圏から小一時間ほどの地方都市ですね。ここS市からだと、さすがに日帰りは難しいので、久しぶりに有給休暇でも申請しましょうか。日程をメモしてから『出席』の返信をします。ちなみに、『らくちゃん』はアヤカシの種類としては絡新婦といいます。パトロンを見つけてあちこちでいわゆる『バー』を経営しています。『ぶんちゃん』は文車妖妃で、司書資格を持っているので、各地の図書館を転々として生活しています。古い記録はぶんちゃんに聞けば大抵でてきます。『めーちゃん』は姑獲鳥で、産婦人科のナースをしながら同じく各地を転々としているようです。そして、『くりちゃん』はというと、古庫裏婆というアヤカシで、公文書管理の仕事をずっとしています。アヤカシの仲間から頼りにされる何でも屋です。みんなそれぞれ長いこと人間社会に溶け込んで棲んでいます。他にもあちこちを放浪して生活しているアヤカシは沢山いますし、たまにはモノノケにも遭遇することもあります。モノノケは立場がどうしても弱いので、アヤカシは放浪先でモノノケに出会うと、必ずアヤカシのネットワークを使って何処に何のモノノケがいるという記録を残していくようにしています。『レッドデータブック』のようなものですね。人間のほうが、圧倒的に数が多いので、たとえアヤカシが人間にとって捕食者の立場であっても目立つべきではありません。それに、恐るべきは、人間の探究心と好奇心です。捕まったら最後、多分切り刻んで調査研究されそうですからね。『めーちゃん』から医療関係者の話を聞けば聞くほど恐怖です。うっかり目立たないためにもこういう定期的な情報交換会は大切なのです。

せっかくの休日ですし、足りなくなってきた生活用品の買い出しをしがてら郊外のショッピングモールにでもいきましょうかね。軽く身支度をして、車で出かけます。私の場合、食事は不要ですから、冷蔵庫は飲み物位しか入っていません。ですが、洗濯洗剤やシャンプー、紙製品などの重くてかさ張るものはまとめて買うのが一番ですから。

「…あ、あの。すみません。隣のかたですか?」玄関を出てエレベーターの前で待っていると、後ろから声をかけられました。

「…?はい?」余り世帯数の多いマンションではないので、聞き覚えのない声に少し警戒しながら振り返ります。

「あの、先日隣に引っ越してきたG藤です。何度かご挨拶に伺ったんですけど、なかなかいらっしゃらなくて…」そういえば何日か前に、出勤の時に引っ越しのトラックをみたような気がしますね。見た感じ爽やか系の二十代前半ですね。若い男性がわざわざご丁寧にご挨拶ですか。珍しいですね。

「あ、お出掛けの時にすみません。これ、あと一つだけ残った分なので、ご挨拶の印に受け取って下さい。…駄目ですかね?」G藤氏は赤面しながら、しどろもどろになりながら、そこまで言って小袋を手に固まってしまいました。

「…すみません。わざわざありがとうございます。不規則な仕事なのでなかなかお目にかかるのも少ないですけど、こちらこそよろしくお願いいたします。騒音が気になったらいつでも言って下さいね。」業務用ニッコリを発動しながら、プレゼントを受けとります。実際、当直明けや、残業で、変な時間に掃除洗濯したりするので、ご挨拶は大切ですね。

「あ、…それと、すみません。表札は何てお読みしたら……」珍しい名字ですからね。

「…かくら。と読みます。どうぞよろしく。」折よくエレベーターが来ましたので、会釈してそのまま出かけます。車に乗り込んで紙袋の中身を見てみると、男性にしては珍しいチョイスで、いわゆるバスボムという丸い可愛らしい入浴剤のセットでした。

『お母様とかが選んだ感じですかね。』微笑ましいですね。新社会人でしょうか。

平日の午後も中途半端な時間帯のせいか、ショッピングモールの駐車場は空いていて、店内の入口近くにスムーズに停められました。

まずは重たくて嵩張る洗剤類や紙製品を買って車に積み込んでから、店内をぶらぶらして、会社で気軽に使いやすい、適当な価格のイギリス銘柄の紅茶を少し買います。書店をぶらついて、今度の女子会の行き先の地方都市が載っている旅行本をみつくろい、静かで落ち着きのあるカフェを見つけたので、一息いれましょうか。

「いらっしゃいませ。」セルフサービスタイプのカフェなので、まずは店内の空いている席を物色します。一番奥の一角に空席を見つけたので、さっき買った雑誌を置いて席をキープしてから飲み物を買いにレジに並びます。少し歩き回ったので、喉が渇いたのと、何か口寂しいので、ホットコーヒーのトールサイズと、ロールケーキを注文します。お水もセルフサービスのようなので、グラスを『二つ』トレイに乗せて行きます。

座席に座って向かい側にグラスを置くと、暗がりから囁きが聞こえます。

『…ありがと。』店内でここだけだれも座っていなかったのはどうやら『訳あり』だったのでしょう。雑誌を置いたときに気配に気付いたので、『お水』を余分に持って来たのです。ついでに食べこぼしたフリをして、グラスの横にケーキも一欠片置いてみます。せっかくご一緒するんですからね。白い小さな手が、テーブルのしたから伸びてきて、ケーキを掴んで消えて行きました。お口に合うといいんですが。いつの間にかグラスの水も半分に減っています。

『ふぅ。以外と面白い所が周りにあったなぁ…』ひとしきりパラパラと雑誌をめくり、有給のついでに見たい名所なんかをピックアップして、コーヒーを飲み干します。もちろんケーキもちゃんと食べましたよ。グラスの水も自分の分にも口をつけて、すっかり空になった向かいのグラスと一緒にトレイに乗せて戻します。落とした物を拾うふりをしながら、テーブルの下にいるアヤカシに挨拶してみます。『ケーキ美味しいね。』テーブルの下に体育座りしているのは、『花子さん』と言われるタイプに良く似たおかっぱの子供に見えますね。ニッコリ笑って小さく手を振りました。ここにいるのは何か理由が有るのでしょうか。こんなふうに、以外と誰にも気づかれないように、あちこちに皆紛れているのです。ほとんどのアヤカシは平穏な暮らしを望んでいるのです。私を含めて。

思った以上に長居してしまいました。外に出るともう、とっぷりと日が暮れています。家に帰って、せっかくなので今日頂いた入浴剤でお風呂にはいりましょうか。たまには湯船に浸かってゆっくりしてみるのもいいですね。なんとなく充実した1日になりました。ちなみに入浴剤は『ブルガリアローズ』の香りでした。

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