第11話

とりあえず運んできた荷物をリビングの片隅に移動して、大原氏にこそっと耳打ちします。

「…ごめん、まだしばらく送ってけないわ。悪いけど、せめて安置が済むまで手伝ってくれない?ケーキ奢るからさ。」アヤカシは甘党です。お供えが菓子なのは、それによって怪事が収まった経験則の蓄積から導き出された決まり事です。

「…だと思った。別に明日っていうか今日休みだし、かまわないけどね。俺久しぶりにモンブラン食べたい。」

「…了解です。よろしく。」商談成立です。

「…だってさっき帰って来る時、娘さん真剣な顔で、『…お父さんって母と一緒のベッドで寝かすのやっぱりマズイですかね。』って言ってたからね。曲がりなりにも『御遺体』だから、多少は臭いがあるので。って言っておいたよ。」ナイスフォローですね。自宅搬送、安置で大抵ありがちなのは、この、いわゆる『安置』場所の確保なのです。昔の一般家庭の住居は、和室が基本空間で、寝るときは布団を敷き、食事も和室にちゃぶ台が普通でした。なので、最悪仏間が無くても『故人様が起居していた』場所に『故人様が生前使っていた布団で『安置』するのが一般的でした。住宅事情が変化して、生活が洋風になるにつれ畳の部屋は生活の中心から、片隅に追いやられ、今回のような典型的新興住宅街の建て売り住宅では、和室は仏間もしくは物置の扱いでかろうじて残渣が見られる程度になってしまいました。リフォームしてクローゼットになってなかっただけ、まだましということですね。そして、『寝室』にベッドで寝起きするのが定着したことによって『安置』の問題が生じたのです。何故なら安置には夏冬季節問わずにドライアイスでの『保冷』が必須です。ドライアイスの使用で、寝具は防水シートを使用しても結露で『しっとり』してしまいます。ベッドのマットレスも同じです。基本的に『安置』に使用した寝具は再利用できません。昨今のそういった例が増えているのを見越して、当社では『安置』専用の布団セットも搬送セットのなかに含めてあります。とりあえず車からストレッチャーは降ろして、玄関の三和土に待機して頂きますか。車の中に放置は少々『寂しい』ですからね。 そして荷物の移動に取りかかりましょう。現在時刻は…見ないほうが、いいような気がしますね。一応本社の方に連絡を入れて、進捗状態しんちょくじょうたいを御池氏にも伝えて起きましょう。

「お疲れ様です。鶴羅です。現在依頼者A野様自宅に到着しています。が、まだ自宅での安置は終了していません。」

「…おう。お疲れさん。自宅は何処だった?」

「S市O山台6×-31番地です。」

「近いな。とれそうか?」葬儀の施行がとれるかどうかという意味です。病院からの搬送は、いわゆる『営業』にあたります。そのまま自宅に安置しないで、式場の遺族控え室に搬送して、そこでそのまま契約して葬儀というパターンのほうが、近年多くを占めています。そのほうが、実は搬送距離も短く済み、料金も安くあがります。しかも御遺族が家を片付けたりといった手間がかからず、楽だということに皆さん気付き始めたのでしょう。今回のパターンのように、御遺族が強く希望しない限り、病院側の紹介で搬送した葬儀社が葬儀まで行うほうが一般的なのです。まぁ、今回はたぶんうちに葬儀は回って来ないような予感がします。

「…まぁ、微妙ですね。地域的にはT社も近いですし。娘さんはしっかりしたかたですが、まだ高校生ですからね。多分一晩休んで奥様が決めると思いますね。」無理強いはできません。

「…分かった。頑張って『ただ働き』してこいや。」

「…頑張ります。そっちはよろしくお願いいたします。」この場合の『ただ働き』は、『安置』のことです。『搬送』は移動距離×時間で料金の設定が決まります。この時の時間は病院から自宅までの到達時間です。その後の『安置』にかかる時間には規定がないのです。サービスなのです。御遺体の安置に使用する布団セットや防水布、ドライアイスは金額の設定がありますが、私の労働の金額はありません。改善策を必要とされるほど、自宅安置の件数は多くないので。けれども自宅の玄関に御遺体を放り出して帰れるはずがありません。とりあえず働きましょう。

「こちらのお荷物の移動先を指示して頂けますか?」一見したところ、一階には、リビングとダイニングキッチン、玄関を挟んで階段横の廊下奥には、どうやらバストイレというパターンのようです。階段の下には定番ですが、クローゼットがあるようですね。

「…あ、はい。二階の両親の部屋にまとめて移動して下さい。またいずれ時間があるときに仕分けて片付けます、」ざっと見て、手前にある、一人で移動できそう な荷物から手分けして二階へと運び込みます。娘さんはどうやら自分の荷物を自分の部屋に移動しているようです。私達はご両親の部屋の奥窓際から順に運んだ荷物を並べていきます。ご主人のものとおぼしきゴルフバッグをひょいっと担ぎながら、身軽に大原氏が階段を上って行きます。アヤカシは力持ちですからね。娘さんは自分の荷物を仕分けしながら、和室の中の荷物を入り口に近い所まで、移動してくれていますので、荷物の量の割には移動はさくさく進みます。衣装ケースのような大型でかさ張るものは大原氏と協力して運び、それ以外の細々したもの等はそれぞれ手分けしながら近所迷惑にならないように、粛々とひたすら移動を続けます。二階の寝室の壁側が、入り口まで埋まるかどうかという頃合いで、やっと一階の和室が、空になりました。現在時刻は…見ると疲れがでそうなので、見ないことにします。とりあえず掃除機は近所迷惑なので、娘さんに雑巾になるような古いタオルをもらって部屋の床を拭き掃除します。ついでに部屋の横幅を計り、方角も確認してみると、残念ながら『北枕』にはならないようですね。まぁこの際ぜいたくは言っていられません。社用車の中から安置用の畳と掛敷布団やドライアイスの入った専用鞄、枕飾り用の仮祭壇セットなどを運び出して、和室のセッティングを行って、玄関に座って一息ついていた大原氏と一緒にストレッチャーから和室へ御遺体を移動します。畳と敷き布団と保冷枕はセット済みですが、一旦そこで手を止めて、奥様と娘さんに現状を確認していただきながら、レンタル品やドライアイスなどの、消耗品についての説明を聞いてもらうのです。後々料金の請求をした時に『言った』『言わない』などの齟齬そごが生じないように、当社の方針として、説明をする時は意見が錯綜さくそうして面倒になったとしても必ず相手を複数名にする、という内規があります。単独交渉は災いのもとですからね。二階の自室から降りてきた娘さんと一緒に奥様を連れて和室に来てもらいます。

「お疲れのところ大変申し訳ありません。只今より安置させていただきますが、当社の安置セットはご利用されますか?それとも、故人様のお布団などを使われますか?」疲労のピークに達している御遺族に決断を迫るのは本当に申し訳ないと思いますが。

「……主人のお布団を使いたいです。…」

「その場合、お布団は再利用できませんが。奥様の寝具は大丈夫ですか?」一緒に寝ていたなら寝具は二人分有るのでしょうかというのを暗に匂わせます。娘さんは気付いたのでしょう、奥様は呆然としたままで、思考停止状態です。

「お母さん、自分のお布団じゃあないの?お父さんにあげちゃって大丈夫なの?」複数名での説明のメリットがこれです。

「……そういえばそうね。セットはお幾らですか?」

「当社のものは1セットで2500円です。」

「なにがそのセットに入ってますか?他に何か必要なものはありますか?」こちらの質問は娘さんからです。さすがですね。

「今使ってある簡易畳と寝具一式、保冷枕がセットに含まれます。あとは、こちらの仮祭壇セットがついてます。その他には2日分のドライアイスが必要ですね。こちらは1日につき5000円ずつです。その後の葬儀に必要なドライアイスは担当する葬儀社さんとご相談ください。」あくまでも今回依頼は『搬送』と『安置』です。『営業』ではありますが、決してでしゃばらない、がっつかないのが当社の方針です。

「…レンタルをお願いいたします。」娘さんに促されながら、奥様の了承を頂いて依頼書にサインしてもらいます。あとは掛け布団をセッティングして、枕飾りとして、紙製の簡易祭壇に燭台や香炉を置いて花立てにサービスで樒を差し、線香を立てます。蝋燭はセッティングしますが、時間帯的に消し忘れが怖いので、火はつけません。せめて線香だけでも。臭いの防止にもなりますし。ひとしきり支度し終わってふと窓の方を見ると、空が明るくなってきています。あと一息ですね。

「失礼いたします。安置が終了しました。お疲れでしょうが、最後にこちらの明細のご説明をいたします。こちらがお電話でお申し込み頂いた搬送依頼書ですね。こちらの料金は病院到着時刻からご自宅到着時刻の差し引き2時間掛けるT市F病院からご自宅までの直線距離で計算させて頂きます。金額をご確認頂いてこちらにサインをお願いいたします。『二時間』というところで娘さんがちらっと時計を見やってこちらと書類を見比べて、何かに気づいたように黙礼しました。ちなみに現在時刻はまもなく6時です。二時間どころの働きではないのは、誰か一人わかって下さればいいのです。全ての書類にサインをもらって、まぁ、一応当社の葬儀プランの見本パンフレットと、簡易見積書をお渡しして、業務完了です。

「ではこれで失礼いたします。先ほどの見積書は比較検討によかったらご利用ください。あと、こちらは当社のオリジナルフローチャートです。葬儀に伴う銀行や役所、学校等の連絡、手続きのチェックが簡単に判るようになっていますのでご利用ください。」奥様は多分聞いていないので、娘さんに手渡しして説明します。少々今後が心配ではありますが、私情をはさむのは禁物です。娘さんへの応援は心の中だけにして、私はおいとましましょう。私の一礼に、娘さんは少し眼を潤ませながらも気丈に頭を下げました。

「…お見送りは不要です。不用心ですので、まず私が出たらすぐ、鍵をしっかり掛けて下さい。どうかお疲れの出ませんように。」これは私情です。経験上、こういう時に気が抜けて施錠を忘れるかたが多いんです。玄関をでて、立ち止まり、鍵の掛かる音を確認してから社用車に戻ると、いつの間にか大原氏が助手席で私のストールを被って寝ています。鍵を渡した覚えはありませんがね。

「お疲れ様です。鶴羅です。只今搬送安置完了しました。この後F病院の職員さんを送り届けてから帰社します。」まずは御池氏に報告して、熟睡している大原氏を届けましょう。途中でコンビニに寄ってモンブランを2つ買っていきましょうかね。疲れた時には甘い物です。

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