第10話
『もんちゃん』と呼ばれないように予防線を張ったつもりだったんですが…。娘さんに不審に思われたりしてないか、思わず横目で確認してしまいました。運の良いことに、娘さんはお父様に線香を手向けている最中でした。まぁ、大丈夫そうなので、気を取り直してさくさく支度を進めましょう。
「…お父さん、家に一緒に帰れるって。よかったね。…病室の荷物を片付けてきてもいいですか?それとも、お父さんを車に乗せるお手伝いが先のほうがいいですか?」香炉に向かって手を合わせながらですが、しっかりした娘さんですね。せっかくなので、お言葉に甘えて、同時進行して貰いましょう。
「まだ病室に荷物があるなら、今のうちに車に移動しておいて頂くと、早く出発できますね。」私の『食事』もありますからね。
「わかりました。じゃあちょっと片付けしてきます。」ぺこりとお辞儀をして霊安室から出ていく娘さんをエレベーターに乗るまで見送ります。
「……さて、頂きますか。」霊安室の扉を閉めて、内鍵を掛けてから『お父様』の顔布をめくります。新鮮なので、かなりの量の魄ですね。食べ応えがありました。
「…ごちそうさまでした。」手を合わせて一礼し、顔布を戻してからストレッチャーに移動の準備をします。
「…相変わらず食後の顔色コワイなもんちゃん。」いつの間に入ったのか、『研修中』の職員が、霊安室の扉の内側にもたれて話します。鍵が奴にとって無意味なのは知っています。
「…いつからここに?」
「先週から採用されてね。久しぶりだなぁ。身分証明書揃えた時にくりちゃんから、もんちゃんも近くだって聞いてたけど。」個人情報の
「…自分の食事は済んだの?」娘さんが戻って来る前に聞いておきます。
「お先でした。」どうやってというのは愚問です。お互い様なのです。見てくれで御遺体に『肝』がないとはわかりません。
「許可はもらった?」手伝いは有難いですが社会人としてけじめはつけないといけません。今後のためにも。
「ばっちりっす。」では遠慮なく。一緒に丁寧にストレッチャーへ移し変えて、ベルトでしっかり固定します。私達にとっては『食糧』ですが、娘さんにとっては大切な『お父様』ですからね。
「ところで、今回の名前は?」名札は『大原』ですが、一応知っておかないと。違う名前で呼ぶとトラブルのもとです。
「はい、これ名刺。『大原亮』で。」
「私は『もんちゃん』じゃあないからね。カクラサヤカ。覚えて。」こ奴がさっき呼んだのは、私のコードネームのようなものです。隠摩羅鬼からとって『もん』ちゃんです。アヤカシは社会に溶け込んで棲むのに毎回違う名前にしていきますので、仲間内だけで呼び会う時に使います。ちなみにさっきちらっと出た『くりちゃん』は、身分証明書作成のプロ、『
「…荷物の移動済みました。」ノックして霊安室に娘さんが戻ってきました。
「はいはーい。じゃあ車動かしますから、キー下さい。」ニコニコしながら娘さんから車のキーを受け取り、『大原』氏が娘さんについて出て行きます。私はストレッチャーを押して廊下に出ました。『お母様』は先刻と全く変わらない姿勢のままでソファーで目を閉じています。大分お疲れですね。私はまた、膝をついてから声をかけます。
「…失礼いたします。お支度が整いましたので、ご主人様をご自宅までお連れいたします。」うっすらと目をひらいたお母様が状況を把握することが出来るように、ゆっくりと説明します。
「…お母様と、ご主人様は、当社の車に乗って頂き、ご自宅までの案内をお願いいたします。自家用車は、病院の職員に運転を頼みましたので、娘さんが案内をしてくれます。お部屋の荷物も移動は済んでおりますのでそのまま出発いたします。」パニックをおこすといけませんので、『御遺体』とは決していいません。
「……そうですか。…では、よろしくお願いいたします。」手を添えてゆっくり立ち上がって頂き、ストレッチャーを押して夜間出入り口から駐車場に向かいます。現在時刻は午前4時、外はまだ真っ暗です。外来駐車場から移動して来たらしい自家用車が、当社の車の近くに駐車して待っています。勘のいい奴なので、私がロックを解除したのを見てとって、ストレッチャーを積み込む手伝いをしてくれます。もちろんお母様を先に助手席にご案内致します。寒いですからね。ストレッチャーはベルトでしっかり車内に固定して、お母様にもシートベルト着用をお願いします。
「ご自宅の住所をお願いいたします。」社用車は全てカーナビを装備 していますから、間違いの無いように最終確認です。
「…あ、はい。S市O山台6×ー31番地です。」
「あ、わかりました。H野幼稚園の近くですね。では、出発いたします。暖房は余り効かせられないので、よろしければ、こちらのストールをお使い下さい。」暖房を強くできないのは、もちろん後部の『お父様』の為です。後ろの自家用車に手を振って合図をしてから、病院の駐車場を後にします。遠くで新聞配達のバイクの音が聞こえますが、すれ違う車もありません。バックミラーで後ろの自家用車がついてきているのを確認しながら、S市への道のりを進みます。助手席を見ると、やはりお母様はお疲れの様子で、目を閉じてうとうととしています。時折ナビの画面を確認しながら、何度か通った覚えのある道筋にでました。
『…まもなく目的地周辺です。』ナビのこの『周辺』という言い方なんとかならないですかね。たまに、『そこで放り出されてもねぇ…』ということありませんか。まぁ、そんなことはさておき、この、現在位置となるS市O山台は、いわゆる新興住宅街です。小高い丘を切り開いて道路と住宅街を同時に大規模造成した地域ですので、整然とした、碁盤の目のような特徴のない交差点と、同時期に建てられた小綺麗ですが、同じく特徴のない建て売り住宅が並んでいます。実はここと、隣あったH山台の二ヶ所は、S市内でも有名な迷子ポイントです。新人タクシードライバーと、新人宅配便業者泣かせで有名です。住人にしか、自宅の道案内は難しいんです。という訳で、お疲れの所申し訳ないんですが、お母様の出番です。
「…大変申し訳ありません。近くまで来ましたので、ご自宅をご案内頂けますか?」道路脇で停車して、ハザードランプを点滅して声をかけます。なかなか反応がありませんね。すると、後ろの自家用車が隣に停車して、中の娘さんが降りてきました。
「すみません、私が道案内しますので、後ろについて来て下さい。お母さん起きないと思うので。」本当にしっかりした娘さんですね。有難いです。自家用車は迷いなくウインカーを出しながら先行して行きます。何度か右左折してから、一件のさっぱりした外見の住宅の駐車場に自家用車が駐車しました。
現在時刻は午前4時半前。ご近所をお騒がせしないようにゆっくり減速して停車します。時間帯的に路上駐車でも大丈夫でしょうが、一応近隣の車の通行に支障が無いように気を配ります。自家用車から娘さんが降りて来たので、一応私も降りて、安置場所があるかどうか確認です。
「…お疲れ様でした。あの、お父様をどちらのお部屋にお連れしますか?出来れば一階で和室などがあると、納棺や、その後の通夜等には都合がいいんですが。」外からみた感じでは、駐車場に面した部屋に障子がありますから、和室がないというわけではなさそうです。娘さんも同じ場所をちらっと見ています。車が停車したのを無意識に感じたのか、お母様が身動ぎしましたね。娘さんが車の助手席の窓をノックします。私も車に戻って、
さりげなくお母様のシートベルトを外して声をかけます。
「ご自宅に到着しました。」やっと目がさめたようです。まだ、若干足元が危なっかしいので、助手席側に回って支えながら、玄関までお連れいたします。玄関を入ってすぐ左側にリビング、右奥に二階への階段、先ほど障子のあった部屋は、間取りからすると右側です。廊下も比較的ゆったりした作りですから、搬入安置しやすいように思えますね。
リビングのソファーでお母様に休んで頂きながら、先ほどと同じ質問をお母様にも確認します。
「……仏間というか、和室はあるんですが、普段は全く使っていないので、物置になっています。主人の使っていたベッドでは駄目ですか?二階ですけど。」ゆったりした作りとはいえ、住宅街の建て売り住宅です。階段はもちろん途中で折り返しがありますから、担いで上がることを考えるとかなりの苦労が予測されます。もうそろそろ死後硬直が出ていますから。
「…えーと、ベッドはお一人ずつのものですか?」一応御遺族の希望は尊重しつつ、確認します。頭ごなしには否定したくはありません。
「…あぁ。一緒の大きなベッドですけど。」
「すみません、ドライアイス等も安置に使用しますので、一緒に寝るのは難しいんです。」本当はそれだけでなく、『御遺体』ですから多少の臭いもでてきます。今後の日程にもよりますが、葬儀まで日がたてば、『体液』なんかが染み出てくることもあります。もちろんこちらで用意した防水シートはありますが、御遺体安置に使用した寝具は処分することをおすすめします。
「…そうなんですか。…」やはりまだ実感されていないようですね。このままでは、車からストレッチャーを降ろすこともできませんからね。やや強引ですが娘さんを味方に付けさせて頂きましょう。
「すみません、和室のお荷物の移動もお手伝いさせていただきますので、出来れば一階に御安置させて頂けると有難いんですが。」考え込んでいるというより、呆然としてるという状態のお母様の返答は見込めなさそうです。娘さんもちらっとそのまま固まっているお母様を気遣わしげにみて頷きます。
「……わかりました。じゃあ和室の荷物を二階の母達の部屋に移動しますので、手伝って下さい。」娘さんに案内してもらって『和室』の状態を確認します。
「…こちらです。」 先ほど外からみた障子の部屋はやはり、玄関から右側の和室でした。『和室』とはいえ『ちょっと散らかって』いて、足元の畳が見えないほど荷物が置かれています。部屋の広さとしては御遺体の安置に十分なので、あとは控えめに言ってちょっと散らかっている荷物を移動するだけです。大移動ですかね。
「…車の中の荷物はこちらでいいですか?」自家用車から荷物を運び出して、大原氏が入って来ました。そういえば、今回は私一人ではありません。地獄に仏です、アヤカシですがね。
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