第9話

今夜も当社は平穏な夜を向かえそうです。交代で仮眠を取ることになっていますので、現在起きているのは私だけです。時刻は12時半すぎです。眠気ざましのコーヒーをちびちび飲みながら、先ほどスーパーの帰りに買ってきた雑誌をめくって時間をつぶします。

長い間各地を放浪してきましたが、やはり実感するのは、田舎の地縁が活きているところよりもある程度の都会のほうが、余所者には不要な詮索をされることなく、目立たずに棲んで居られて居心地がいいという所です。雑誌の中にも、いくつか昔棲んでいた地域の記事がありました。懐かしい気持ちがよびおこされますね。

『…あ、こんなところに実は美術館カフェがあったんだ。』他県になりますが、なかなか変わった美術館が昔棲んでいた地域に出来ています。当時はまだ独身女性が一人で暮らしていくには風当たりが強く、やむを得ずにアヤカシの仲間と『夫婦』を装いながら生活していました。大都市圏にはそれぞれ、その性質に見合った職を得て、ごくひっそりと目立たないように紛れて暮らしているアヤカシがいます。それぞれの『食生活』の都合上、私が葬儀社を渡り歩くように、当時『夫』のアヤカシは医療関係をはしごしていました。最近は転職も当たり前になりましたので、余り詮索されることもなくなりましたね。

他人に不審に思われたり、人間側の決めたルールを破ったりしない限りは、衣食住が保証され、便利で快適な人間生活、私はかなり満足しています。やはり現代が一番ですが、これまでの長いアヤカシ生活、一番辛かった時代といえば、やはり戦争に火器が沢山導入されたころでしょう。炎は私の主食『魄』を散逸してしまうので。しかも、試したことはありませんが、多分『私』は炎のなかでは『存在』を保っていられないような気がします。ある程度の外傷はすぐに回復しますが、やはり広範囲のダメージには人型を保てなくなりますからね。多少のやけどは大丈夫でしたけどね。現在は戦国時代程の頻度で満腹になることはありませんが、まぁ、平穏と便利と引き換えですね。そんなことを雑誌を見ながら考えているうちに、現在時刻は午前2時。いわゆる丑三つ時ですね。私の足元にいつの間に入って来たものかチョロチョロ走り回るのは、先刻まで廊下にいた小人のような姿のアヤカシ、自称『バンシー』です。英国生まれなのが自慢で、紅茶の味にちょっとうるさいですが、気のいい奴です。この『バンシー』には、ちょっと役に立つ『特技』があるのです。

「…そろそろ来るよー。そろそろ来るよー。」ぶつぶつと小声で呟きながら事務所内を小走りで走り回るバンシー。と、電話が鳴ります。

「はい。お電話有り難うございます、H葬祭です。担当は鶴羅です。どうされましたか?」予測していましたから2コールでスムーズに電話を受け、ハキハキと、しかも柔らかい声色を意識して話します。ここで大切なのは、お客様の気持ちです。葬儀社に夜中にかかってくる電話というのは、大抵切羽詰まっている状態ですから、まずは、問い詰めないで、柔らかな落ち着いた口調で、先方が話し出すまでじっくり待っのが一番です。仕事を取ろうと必死になっていると、つい待てずに畳み掛けてしまいがちですが、逆効果です。

「……すみません、こんな時間に。…」やはり待つことで、時間帯を省みるゆとりが先方にできたようです。

「…大丈夫ですか?どうされました?」まずはお客様に5W1Hをきちんと順序だてて話せる状態になって頂かないといけませんので、私はできるだけ穏やかに、あえて同じ事を問い掛けます。

「…あの、今T市のF病院から電話をしているんですけど、先ほど、私の父がですね…その、なくなりまして。」しっかりした娘さんですね。私は相槌をうちながら専用の用紙にメモしていきます。必要事項の聞き漏らしを防ぐためにリストになった受注用紙があるのです。精神的に参っている人に同じ事を何回も聞くことはおすすめしません。

「…しばらく前から入院していたんですが、急に容態が悪化して。…母もいるんですが、今ちょっと電話できるような状態じゃなくて…」当社のあるS市の隣にあるT市のF病院は、夜間救急もある大きな病院です。大きな霊安室と冷蔵庫もあり、スタッフが御遺体の清拭まで済ませてくれている筈です。この時間帯にわざわざ葬儀社に電話してくるということは…

「…あの、病院のほうは、朝までお待ち下さいって言ってくださっているんですけど、とにかく母が、『お父さんと一緒に帰る』と言い出して聴かなくて。『自分の車で、シートベルトすれば、一緒に帰れる』って…」電話の向こうで困惑気味に沈黙する娘さんの背後から、遠く女性の泣き叫ぶ声が聴こえてきます。音の響きかたからすると、地下の霊安室ですね。

「…それは大変ですね。」本当に大変そうです。通常、亡くなった方というのは、普通車両で移送することは法律上禁止されているのです。中にはワゴン車を自家用車にしているかたで、ストレッチャーを貸してくれたら一緒に帰れるなんてことを言い出す強者もいますが、『御遺体』になったら病院から移動するのに自家用車は使えないのです。下手をすると、『死体遺棄』に繋がる可能性が否定できませんからね。病院側も責任追及されます。当然『葬儀社』の『移送』には料金が発生しますから、支払いたくはないのでしょう。それにしても、『シートベルトして助手席に遺体』は、ちょっと絵面が凄そうです。真夜中にそれをやったら、ハリウッドのゾンビ映画みたいで、対向車が事故りそうです。

「…わかりました。当社でよろしければ、只今から支度してそちらに向かわせて頂きます。T市のF病院からご自宅安置までとさせて頂きますが、よろしいですか?」電話口では、まだ遠く女性の泣き声が響いています。

「…はい。それでいいです。よろしくお願いいたします。…」娘さんも声に疲れが滲んでいますね。お察しします。

「では、ご自宅の住所と、貴方様のお電話番号をお願いいたします。料金のほうは、走行距離の計算を済ませて後日ご請求書を発行いたします。お振込みでよろしいですか?」

「…有り難うございます。お金のことはわからないので、そのほうが助かります。…」

「できるだけ早く伺いますね。お電話は鶴羅が承りました。失礼いたします。」電話の向こうでは、明らかに膠着こうちゃくした事態の進展を感じて安堵のため息が聞こえます。電話を切って振り返ると、宿直室から御池氏が顔を出しています。皆仮眠中でも電話にはちゃんと反応するのです。

「あ、御池さん、搬送行きますので、後お願いします。」仮眠はお預けして電話番してもらわないと。私は外していたネクタイを締め直して、制服の上着を片手にストールを羽織って、コーヒーと、搬送車両の鍵を持って車庫に向かいます。廊下には、いつの間に外に出たのか、バンシーが『ほら出たよ。出た。』と呟きながら立っています。見送りしてくれるつもりですね。私はバンシーの頭を軽く撫でて、微笑みながら、

「戻って来たら紅茶飲もうね。」と言って車に乗り込みます。ここS市から病院のあるT市まで、約30分程度の道のりです。F病院はお得意先なので、地図は見なくてもわかります。上着は皺になるので、助手席に掛けて、真夜中のドライブと行きましょうか。

丑三つ時という時間帯のせいか、時折大型トラックとすれ違う程度のスムーズな道路状況で、約20分程度でT市のF病院に到着です。通常の一般駐車場ではなく、裏側にある、職員通用口駐車場を利用する決まりがあります。だれもが一度は通る道筋の仕事ですが、だれもが通る一般入り口は葬儀社には使えません。まぁ、霊柩車が病院入口に居たりしたらやっぱり、そこから生きて出られない気がしますからね。気を使います。今使っている搬送車両も、葬儀社の社名は状況に応じて付け外し出来るマグネットシートですから。先方の意向に臨機応変に対応できるようにしてあります。搬送口までは、社名の見える状態でいくのが当社の社内ルールです。

「…お待たせ致しました。H葬祭鶴羅です。お電話頂いたA野様でよろしかったですか?」夜間受付に記入して、エレベーターをで地下一階の霊安室まで行くと、廊下のソファーに女性がお二方、ぐったりと座っています。年配の女性がお母様で、それを支えるようにしているのが電話を掛けてきた娘さんですね。お疲れの様子なので、そっと近付いて膝をついてから声をかけます。当然ですが、御遺族とお話するときは必ず目線を同じか下からになるように心がけます。

「…あ、はい。A野です。早かったですね。よろしくお願いいたします。…」電話での落ち着いた、しっかりした声色からは、もう少し上の20代位の娘さんだと思っていたのですが、下方修正です。制服を着ていますので、どうやら高校生さんのようですね。とりあえず自分の身分を明らかするため、社員証を見せて、名刺を渡して自己紹介します。

「S市のH葬祭鶴羅清、カクラサヤカと申します。お電話有り難うございます。…」お母様はまだ呆然としたような状態ですので、娘さんにご挨拶します。

「…お母さん、運んでくれる係の人来たよ。」この一言で、娘さんの頭の良さがわかりますね。お父さんが亡くなったというのは、お母様にとってはまだ受け入れ難い事実です。『自家用車で一緒に帰る』という発言からもそれははっきり予測できます。ましてや『葬儀社』なんて言葉を、感情的になってかなり参っているお母様は聞きたくもないだろうと、娘さんは判断したのでしょう。私もあえて『運ぶ係』に徹します。しゃがんだままで、お母様の眼を見つめながらにっこりスマイルです。決して歯は見せません。

「こんばんは。お父様をご自宅までお連れするのにお手伝いさせて頂きます。カクラサヤカと申します。よろしくお願いいたします。」呆然としているお母様が言葉の意味を呑み込むまで、ゆっくりとそのまま待ちます。時間は朝までたっぷりありますからね。

「…………はい。有り難うございます。主人と、一緒に、家に、帰りたいんです。………よろしくお願いいたします。…」契約成立です。娘さんに必要書類に記入をお願いします。

「じゃあ、お母さん、ここでちょっと待っててね。私が案内してくるから。」娘さんと一緒に、お母様に一礼してから霊安室へと向かいます。

「…こちらです。父です。」霊安室の扉を開けると、ストレッチャーの上に男性が、顔布を掛けて横たわっています。枕元には、病院側の職員らしき男性が枕飾りの祭壇に線香を一本手向けています。

「…あ、おつかれさんです。」見覚えのある笑いかたで、無邪気に笑って一礼する職員さん。決して古株の職員ではありません。名札に『研修中』と貼ってありますからね。

「H葬祭の『カクラサヤカ』です。以後お見知りおきください。『よろしく』お願いいたします。」名前を若干はっきり発音したので、隣の娘さんが少し驚いてしまいました。

「では、搬送の手続きに入らさせて頂きます。ご家族様一名は搬送車両に同乗して頂きますが、その他に病院から持ち帰るお荷物などはございますか?あるようなら、そちらは自家用車の方に積み込んで頂いたほうが…」そういえば高校生です。娘さんもその問題点に気づいたようです。この病院のあるT市から、ご自宅のあるS市まで、日中でも路線バス一本のみ、ましてや現在時刻は午前3時。もちろん徒歩は厳しい距離ですし。あの状態のお母様には、危なくて運転はさせられません。

「…娘さん免許なんて…」

「…まだ17才なので。…」ですよね。

「あ、じゃあ僕行きましょうか。」軽いな相変わらず。『研修中』の職員が、何故か気軽に片手を挙げて立候補します。ニコニコ人懐こく笑いかけながら。

「大丈夫ですよ。ちゃんと免許持ってます。」顔面の皮1枚変わっても、笑いかたは変わりませんね。

「……病院からちゃんと許可もらってきてください。…」背に腹は代えられません。この場合他に手段はありません。不承不承そういうと、職員は手をひらひら降りながら出て行きます。

「了解了解。帰りはもんちゃん送ってねー。」霊安室を小走りで出ていく後ろ姿に、私は内心頭を抱えます。『もんちゃん』そう呼ばれないようにわざわざ名前を名乗ったのに…台無しです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る