第7話

「はー、お疲れ。時間通りに出棺でよかったですねー。」事務所に戻ると小鳥さんはこの後の会席の発注最終確認をしています。

「本当にねぇ。遅れるとまた火夫長からお叱りの電話入るし。」当社の最寄りの斎場は、時間にうるさいので近隣では有名です。葬儀社が電話口で罵声を浴びせられるのは業務なので仕方ないと割りきりますが、火葬後の収骨(お骨拾いとも言いますね。)に御遺族が遅れて怒鳴りつけられたなんていう話も日常茶飯事なのです。葬儀という非日常空間で、身近な人を亡くして精神的なダメージを受けているところに『泣きっ面に蜂』ですね。まぁ、当社のある地域の特性として、『時間にルーズ 』というものがありますので。地域の名前をとって『S時間』なんて言われるほど遅刻が当たり前ですから。必要な憎まれ役といったところでしょうか。

「そろそろ小鳥さん休憩行って下さいね。」

丁度まもなくお昼になりますからね。小鳥さんは近所のパン屋さんの喫茶コーナーを休憩室代わりにしています。混雑する前に行ってもらいましょう。暇ですし。開式中の連絡は二軒、どちらも問い合わせレベルの電話のようですね。今日の当直も平和に過ごせそうです。甘口のカフェオレを飲みながら、事務作業を片付けます。今日の当直担当者は私ともう一人、2日に一度出勤の当直のみの準社員(大体定年退職後の当社社員を再雇用しています。)三人ほどいるうちの、今日はどちらでしょうか。何の気なしにホワイトボードの準社員の欄を確認して、私は思わず顔をしかめてしまいました。マグネットの名札には『御池』の文字。無意識にため息が出ます。

軽く昔話ですが、私鶴羅清にも当社での新人時代というものがありました。かれこれ7年ほど前になりますが。私の特性上、見た目の年齢を大きく変えることが出来ませんので、食事の都合上葬儀業界を平均10年単位で

転々としています。この地域に移り住んですぐに運良く中途採用があり、しかも一年間は独身者には寮まで用意してもらえるという厚待遇。単身寮は年代物でいかにも『出そう』な雰囲気満点でしたが、『アヤカシ』の身に何の不都合もありません。同業経験者としての採用でもありましたので、ある程度は順調に新入社員として頑張っていた私にも、唯一苦手なものがありました。それが当時の上司だった御池氏の口癖『結婚はせんのか?』です。当時はそういう時代だったと言ってしまえば、単にそれだけの話なのですが、当時の前の職場での主な退職理由の一つが上司及びパートの世話好き女性陣からの『お見合い話』の波状攻撃だった為、ささくれに塩を刷り込むようなキーワードを顔を会わせるたびに口にする御池氏に苦手意識がしみついていたのです。本人は多分悪気なく、独身者に対する挨拶のようなものだと思っていたんでしょうが。今なら立派なハラスメント事案です。当然のことながら、私『隠摩羅鬼おんもらき』には、今までかつて一度も『同族』に出会った経験がありません。食事が特殊ですから顔を会わせる範囲に同族が存在すれば、自動的に『餌』を巡った競合が生まれますからね。つまり、隠摩羅鬼には、同族との繁殖はあり得ないということになるようです。(そもそも私は人型をとる際に便宜上女性型をとりますが、性別があるかどうかと問われると、首をかしげてしまうので。)人間社会に適度に溶け込んで生活しつつ『食事』を摂り、目立たないようにあえて外見もやや見劣りのする「残念な美人」レベルに調整しているのです。体型も『婚カツ』の対象から外れるようにやせ形貧乳路線ですし。あまり不細工に作っても美人に作っても生きていくには不都合がありますからね。人間社会、難しいんです。入社当初無遠慮な口癖で散々私を苦しめた御池氏が5年後に定年退職して、ほっとしたのも束の間、当社には人材活用の一環として定年退職後の人材を準社員として、当直担当者採用するという、有り難迷惑な制度があったのです。すっかり思いだしてへこんでいるところに休憩を終えて小鳥さんが戻って来ました。

「お先にでしたー。…?どうしたの?」

へこんでいるのに気づいたのでしょう。小鳥さんが覗きこみます。

「いやぁ。今日当直御池氏だなぁ。と思って…。」小鳥さんは既婚者ですが、私の入社当初からの御池氏の発言を知っています。

「…そういえば、最近御池氏、例の発言をしなくなってるの知ってる?」励ましの肩ポンポンをしながら小鳥さんが言うには、パートさん達の情報によると、御池氏の娘さんが現在私と同じような年齢に差し掛かり、私にいつも言っていた『例の一言』が娘さんの『逆鱗』に触れてしまったらしいとのこと。

『もう半年は口をきいてもらえていないらしい』さすがの無神経オジサンも、やはり、愛娘からのシカト攻撃に、一言の重みが堪えているようです。まぁ、私のほうもあれから7年ほど経ちましたからね。心の傷は癒えています。苦手意識は変わりませんが。平和な当直になることを祈りましょう。

「…では、本日の終礼を行います。本日K藤家告別式10時開式11時出棺、定刻通り施行しました。その他、電話相談二件、昨日に引き続き危篤のかたが一名待機です。搬送は17時現在0件です、お疲れ様でした。」

「お疲れ様でした。」左橋さんが初七日まで終えて、事務所に戻って来たところで終礼、あとは一旦タイムカードをきって退勤扱いにしてから、夕食などを買い出しに行きます。

「御池さん、私これからスーパーに晩御飯買いに行きますけど、何か要ります?」終礼後に入れ替わりで出勤してきた当直組に事務所の留守番を頼んで、近所のスーパーに買い出しにいくのが、いつもの当直日の日課です。

「おぅ、じゃあ何か適当に見繕って甘いもんたのむわ。」御池さんはいつも愛妻弁当派なので、大抵食後のデザート的なちょっとしたつまめる甘味を喜ぶのはリサーチ済です。引き継ぎの書類をめくって確認しながら御池さんは振り返らずに応えます。

「判りました。行って来ます。留守番お願いしますねぇ。」本来ならば私に晩御飯は必要ありませんが、食べないと要らぬ不審を招きます。なので大抵サラダと惣菜パンと飲み物の組み合わせです。スーパーに到着して自分の分をかごに入れて、御池氏のデザートを探して菓子の棚を物色します。昨日のファミレスでも感じましたが、秋らしさを前面に押し出したパッケージの菓子がふえましたね。御池氏は見た目グレーヘアーのオールバックで彫りの深い強面な人物ですが、ちょっと高級路線のチョコレート菓子があると眉間のシワが浅くなります。ちょうど手頃な価格帯で個包装の秋らしいチョコレート菓子がありましたので、それをかごに入れます。以前休みの日に近所の有名なケーキ屋さんでばったり出くわしてから、御池氏は甘党を隠さなくなりました。ただ、年齢の為健康に気を使わされているようで、「家で食べると奥様に叱られる」ようですね。あとは暇潰しの雑誌です。

「…うーん…美術館カフェかぁ。」目についた雑誌をパラパラとめくって、ずいぶん懐かしい掛軸をみつけました。長く生きていますからね。昔の知り合いにあったようで、ちょっとほっこりします。以外と近くの美術館ですから、今度休みにでも見にいきましょうか。オシャレなカフェがあるそうですし。

「ただいま戻りましたぁ。」事務所のタイムカードを出勤に切り替えて入力し、ホワイトボードを確認して件数が変化していないのをチェックします。今日は平穏な夜になるのでしょうか。

「御池さん、チョコレートここに置きますね。」テレビの音声が聞こえていますので、ノックして宿直室の扉を少し開けて室内に向かって声を掛けます。宿直室内にも内線で電話がありますから、男性陣はわりと宿直中はくつろいだ格好でいることが多いのです。この場合のくつろいだ格好というのには、ステテコやランニングシャツ、パンツ一丁などが含まれます。男性社会ですから。私と左橋さんは防衛策として必ずノックすることにしています。テレビの前で御池氏は振り返ってこちらを確認しました。

「おぅ、有り難うな。電話番しとくから先に飯いいぞ。」

「じゃあお言葉に甘えます。お先に頂きますね。」テレビ画面に写っているのは2時間くらいのサスペンスドラマのようですね。しばらくはモニターも見ないでしょう。『奴ら』を今のうちにとっちめてやりましょうか。

食事をしたという形跡を残すためにサラダを開けてコーヒーを入れて、さりげなく席を立ちます。階段を使って静かに三階へ。

昼間の一件、忘れていませんよ。よりによって怖がりの左橋さんの担当の式で、しかも新人僧侶の心にもあれはたぶんトラウマを残したでしょう。これを、見逃したら今後のためになりませんからね、私は二階バックヤードの工具箱から取り出した金槌とのみを手にして三階にたどり着きました。

「…………」私の怒りのオーラを感じとったか、たった今黙りましたという感じの沈黙が仏具置き場から漂ってきます。

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