第6話

「ただいまぁ。」まあ、一人暮らしなので誰もいませんが、一応見た目女性型で、若く見られますので、防犯上声を出しながら玄関を開けます。同じ理由で部屋の電灯も点いたままです。まぁ、いざとなったら本来の姿を顕すという奥の手で危険回避することもできます。これまで長く生きてきて二回しか使ったことはありませんが。とりあえずあとはお風呂に入って寝るだけです。

明日の告別式で心配なのは唯一、釘を差しそびれた経凛々だけです。あれは『音』の悪戯をするアヤカシなので、モニター越しでは『やらかした』かどうかがわかりません。早めに式場に出棺フォローに入りましょう。そう心に決めて、布団にはいりました。おやすみなさい。アヤカシでも夜更かしはしません。

「おはようございます。」現在時刻は8時15分。いつも通りに出勤して、着替えてタイムカードを切って事務所で朝礼とミーティングです。夜勤組は朝礼後引き継ぎをして、帰宅します。事務所のホワイトボードを見るに、昨夜は平和な夜だったようですね。『危篤』の連絡一件だけで、それも搬送になっていないので、どうやら持ち直したようですね。朝礼ですが、浅田店長は水玉模様のパジャマ姿、(奥様の趣味ですかね。)志水係長は着替えているものの、目が半分閉じています。実は夜勤は暇な方が辛いんです。交代で仮眠はとれますが、熟睡する訳にはいきませんから、睡魔との戦いです。いっそのこと、電話や搬送が入っているほうが、アドレナリンのおかげでしゃっきりします。アルコールチェッカーに息を吹き掛けて青ランプが点いたのを確認して朝礼です。

「では本日の朝礼始めます。昨夜搬送は0件、よって本日の業務内容はK藤家告別式開式10時出棺予定時刻11時、担当者左橋です。本日の司令塔は鶴羅です。本日もよろしくお願いいたします。」

「よろしくお願いいたします」互いに一礼して各々持ち場につきます。本当なら搬送のある日は司令塔が担当者決めや、パートさんの配置などを行うのですが、今日は告別式一件の平和な1日になりそうです。左橋さんは朝礼後パートさんと一緒に打ち合わせして、遺族控室経由して開式準備です。私は書類仕事をしながらモニター越しに館内を確認です。いつの間に着替えたのか、浅田店長がライダースジャケットにジーンズ姿でいつものアメリカンな大型バイクに跨がって重低音を響かせながら帰って行きます。

「お先にー。おやすみなさい。」少し遅れて志水係長が顔を洗って目を覚まして帰っていきました。そうこうしているうちに、あっという間に開式時間です。モニター越しに丁度僧侶が式場に入場するところが見えます。

「あれ?いつもとメンバーが違う。」今日の告別式を執り行うのは道明寺の住職と若御院、あとの二人は近隣の同じ宗派の寺院から来るので、大体同じ顔ぶれですが、今日はいつも手伝いに来る茂林寺さんと浄寿院さんのうち、浄寿院さんがいません。代わりに新人さんと覚しき若い僧侶が緊張した面立ちで入っていきます。嫌な予感がします。慣れていない人には、当社のクセのつよい仏具がやらかす可能性が高いので。ベテランの僧侶は、大抵の事には動じません。やはり修行がなっているのです。新人さんは、緊張していますから、何でもないところでつまづいたり(もちろんアヤカシのイタズラです。)焦ってしまって失敗したりといろいろな事件がおきるのです。しかも当社の仏具は「リアクション」が大好物です。モニターを見まもると、僧侶入場が始まっているようです。式場に向かって左に若御院と茂林寺さん、右側に新人僧侶になっていますね。つまり若御院が乳鉢坊、茂林寺さんが太鼓の担当です。当然新人僧侶が経凛々を受け持つ事になるようです。

「小鳥さん、事務所お願いしていいですか?」逸る気持ちを抑えて、努めてさりげなく式場フォローの支度をはじめながら、私は小鳥さんにお願いします。式場では携帯の呼び出しは出来ません。何かあったら携帯のメールに連絡が来ることになっているのです。

「いいですよー。いってらっさい。」事務所の留守番を頼んで、私は上着と白手袋を手に三階へと向かいます。

「…弔電の拝読は以上でございます。続きまして、導師引導を執り行います。」三階に到着すると、式場では左橋さんのアナウンスで、導師引導が始まるところでした。読経の合間に続けて三回、鳴り物が順番に打ちならされます。音で云うなら『チン、ドン、ジャーン』の順番です。印金、太鼓、乳鉢の順番で僧侶三人息を合わせて打ちならしたあと、 印金の『チーン』という合図によって住職が立ち上がり、祭壇の前で『払子ほっす』という仏具を振って一連の儀式に入ります。…が、一体何が気にくわなかったのか、僧侶は確かに印金を叩いたように見えましたが、『奴』の得意技が炸裂しました。『空振り』です。明らかに僧侶が叩いていたにもかかわらず、大切な儀式の合図の音が聞こえません。単独ならばじつにしょうもない、モノの役にもたたない得意技ですが、『奴』は自分の役割は儀式の合図である。と、心得て、絶妙なタイミングで必殺技を炸裂して、皆が『???』となるのを楽しむ癖があるのです。

「………?」聞こえてこない合図に訝って、導師がさりげなく右側を見ています。遠くから見ても新人僧侶の血の気が引いているのがわかりますね。鳴らない仏具を目を見開いて見ています。これ以上の間が空くと参列者が不審に思うというぎりぎりのタイミングで、住職がさりげなく馨子けいすを打ちならし、立ち上がって払子を振り始めました。

最初からこのように進める予定だという風で、住職は儀式を進めていきます。さすがに肝が座っていますね。若御院と茂林寺さんも素知らぬ顔で補佐に回っています。新人僧侶だけが立ち直っていません。まだ逃げ出さないだけ頑張っていますね。ただ、動揺は隠しきれないようで、剃りあげた坊子頭がライトを反射していますね。冷や汗もしくは脂汗でしょうか。ちょっと気の毒な位ですが、そういうリアクションが『経凛々』の大好物なのです。奴はきっと鳴り物台の上で大喜びしています。

『…もう一回やるな。』私だけではありません。多分住職を含め僧侶達の見解は完全に一致していますね。引導の後、もう一度先刻と同じように『印金』の合図で読経が始まるのです。多分新人僧侶は何が起きたのか解らずにもう一度今度こそはと、気合いを入れて印金を叩くでしょう。

「喝ー!!」住職が引導の最後の喝をいれながら払子を振り、再び鳴り物が打ちならされます。出だしの印金の連打は何事もなく音が鳴り響きます。その後に続く『チン、ドン、ジャーン』も問題ありません。この後の読経が始まる合図は……。

「…………」予想通りやらかしました。かなり思い切りよく叩く様子が見てわかるほどです。そして音は聞こえません。新人僧侶は可哀想な位真っ白になっています。が、しかし、この事態は住職の予想のうちですからね。間髪をいれずに馨子が打ちならされて読経が恙無く進められます。この後は『奴』の付け入る隙はありません。私もひと安心して通常通り出棺フォローの準備にはいります。

『後で絶対とっちめてやる!』経凛々にはお仕置きをしてやらなければ。首を洗って待っていろという奴です。

「…では御寺院様御退席です。本日お勤めを賜りましたのは、臨済宗妙心寺派りんざいしゅうみょうしんじは、道明寺様でございました。尚、出棺予定時刻は11時丁度とさせて頂きます。これより皆様方とのお別れの儀の準備に入ります。故人様とのお別れご希望のお方様はそのままお席にてお待ち下さい。…」左橋さんのアナウンスが入り、パートさん達は祭壇の花を摘み取って籠に入れて行きます。私と左橋さんは仏具を祭壇から片付け、棺の蓋を開けてお別れの花束を入れて頂くために準備をします。バックヤードに移動した仏具は一見判りにくいかもしれないが、『してやったり』というふうににやついています。

『…後で覚えてろよ。…』私は今日はこのまま当直です。時間はたっぷりありますね。

最後のお別れの段になるとやはり、儀式の緊張から解き放たれて、故人様のお顔を直接目にしたりしてこみ上げてくる実感に涙ぐむ方も多いです。花束の他に生前の好物などを棺に入れて、時間を見計らってアナウンスを入れます。

「お名残惜しいとは思いますが、御出棺の時間が近づいてまいりました。こちらの 顔布を、皆様端々を持たれて故人様のお顔に掛けて頂きますよう、お願いいたします。」タイミングのいい声掛けで、スムーズに棺の蓋が閉じられました。御遺族も出棺見送りのために一階へと移動を始めます。時間通りになりそうですね。当社の正面玄関のエレベーターはサイズの都合上棺が入りませんので、棺はバックヤードの専用エレベーターで一階へと移動します。担当者は御遺族を誘導するので棺の移動は出棺フォローの私の仕事です。

一階ロビーでは、喪主さんのご親族が三人、遺影、お位牌、お骨壺の順番で持って並んでいます。三人に先導してもらう形で霊柩車へと棺を運び入れます。

「本日はご多用中にも関わらず、ご参列頂き誠に有り難うございます。K藤家に成り代わりまして御礼申し上げます。霊柩車の扉が閉まりましたら、合掌一礼を持ってお見送り下さい。」アナウンスに合わせて礼拝し、霊柩車の運転手が御遺族を霊柩車に案内します。

「それでは、斎場にご同行するかたはバスへの御乗車お願いいたします。お見送り頂けます皆様はしばらくその場にてお待ち合わせ頂き、合掌をもってお見送り下さい。」霊柩車のクラクションが長めに鳴り響き、時間通りに出棺です。完璧です。経凛々さえやらかさなければ。後の片付けは左橋さんとパートさんにお任せして、私は小鳥さんの待つ事務所に戻ります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る