第5話
すっかり人気のなくなった三階の式場で、祭壇の前に『奴』は素知らぬ顔で鎮座してます。私はさりげなく周りを見回して、誰もいないことを確認してから、仏具を明日の告別式の配置にするふうを装って『奴』に声をかけます。
「ちょっと、
「五月蝿ぇな。持ち上げられた時に爪が当たって痛かったから痛ぇと言っただけだろうが。」木魚の魚の彫刻の下に隠れた瞼がゆっくり動いて、ギョロリとした目玉がのぞきます。膨らんだ部分の切れ込みがニヤリと笑う形に動きました。
「それが駄目だって何回言ったら判る?普通の木魚は喋らないでしょう!おとなしく、静かにしてないと叩き割って火にくべるよ!」
モニターに写し出されていますから音を確認する体で撥で一発叩いておきます。
「痛ぇ。」
そう、この木魚、実は百年を経て魂を宿し、言葉を話すようになった付喪神 、というか妖怪『木魚達磨』なのです。何度も黙っておけと忠告しているにもかかわらず、人気がないと油断してぶつぶつ独り言を言うし、粗雑に扱うと先ほどのように聞こえるような声でぼやく。まぁ、気にしない人なら大丈夫ですが、こいつの悪い所は、「怖がりを脅かす」のが大好きという所にあるのです。自分の声に反応して怖がる人の更なるリアクションを求めて、何かしてやろうと付け狙う、害はありませんが質の悪いモノノケです。
「とにかく、明日はおとなしくしててよ!」
配置を決めてさっさとつぎの仏具に取りかかりましょう。明日の告別式では、僧侶は四名にふえますので、それぞれの定位置に椅子と、鳴り物台、受持ちの鳴り物を設置します。禅宗の告別式の式次第では、お経を詠むだけでなく、合間に鳴り物三種を決まった順序で打ちならす作法があるのです。(まぁ、地域差があるようですが。)式中に大抵二回は鳴り物が挟まるのですが、ここにも曲者がいるのです。しかも二組。私はさりげなくそれらを決まった位置に配置しながら釘を刺さなくてはいけません。僧侶の配置は、祭壇に向かって正面に一人、左右に別れて右側に一人左側に二人が定番です。左の二人に『太鼓』と、『
当の僧侶には確実に聞こえます。さすがに僧侶なので、左橋さんのように怯えたりはしませんが。そしてもう一つ、右側が『印金』です。こいつも同様にアヤカシで、『
「明日はちゃんとやれるよねぇ?」プライドの高い乳鉢坊には、こういう念押しが一番効果的です。「大丈夫?」と言われると「そんなに落ちぶれてない!」と気分を害するタイプです。電車で席を譲られて怒りだすご高齢の方のように。案の定プライドを刺激された乳鉢坊、うっすらと目を開けて、皮肉そうに唇を曲げて呟きます。
「…当然だ。」一見単なる飾りの彫刻に見えるラインに、目や口は上手く溶け込んでいます。シンバルの持ち手にあたる部分がさしずめ鼻のような配置になっていますね。もう一つのアヤカシにも一言掛けようとしたところで、エレベーターの開く音が聞こえました。遺族控室の作業がつつがなく終了したようで、左橋さんとパートの二人が式場の片付けに上がってきたのでしょう。私は後ろ髪をひかれながらも、不審に思われるので『釘をさす』のをあきらめました。
「サヤカさんセッティングありがとうございます!あとは明日でも大丈夫です。」前机の香炉を掃除して、あとはバックヤードを片付けて帰るだけです。脇野さんが忘れ物チェックをして、中山さんがマイクをセッティング。いつもの段取りで、あっという間に式場の電灯が消されます。さすがにここで粘ることは出来ませんね。左橋さんと二人でエレベーター前に移動します。エレベーターを呼んでいる間にもさくさく片付けてパートさん二人はバックヤードの電灯を消してエレベーター前に集合。見事な連携プレーで集合と同時にエレベーターが開きました。
「お疲れ様ですー。また明日お願いしますー。」独特なふんわりした話し方の中山さんと物静かな脇野さん。エレベーターが一階に到着すると、二人は受付の片付けに、私達社員は事務所へと向かいます。
「通夜式終了しました。」左橋さんがほっとしながら事務所の扉を開けます。待機していた山口係長と私と左橋さん、夜勤組の浅田店長と志水さんで業務の引き継ぎをして、終礼をすませます。夜勤組はこのまま宿直待機室で電話番、日勤の私達は着替えて帰宅します。どこの葬儀社も同じだと思いますが、亡くなる方は時をえらべませんので、葬儀社は二十四時間体制です。社によっては当直専門の職員が居るところもありますが、当社は平等に当直業務が回ってきます。
「……はぁ。…」
更衣室で着替えているときに左橋さんのため息が聞こえてしまいました。やはりこたえているようです。心配ですし、木魚達磨が何をやらかしたか気になりますね。
「よかったらこの後何かつままない?」
私の『食事』は済んでますし左橋さんもお弁当は食べましたが、デザートくらいなら大丈夫でしょう。
「…いいですね。」恐怖のあまり 睡眠不足にでもなったら業務に差し障りますからね。
「東新町のファミレスでどう?」私は車通勤組ですので、電車通勤組の左橋さんの自宅から徒歩圏内のファミレスに向かいます。
え?モノノケに車の運転免許が不思議ですか?そこは蛇の道は蛇、長いこと人間社会に溶け込んで棲んでいますからね。アヤカシにもいろいろ手管があるのです。今日日仕事に車の免許は必須ですし。
「…何にしようかなぁ。」メニューを開いて二人で覗きこみます。私の主食は魄ですが、その他にも、多少の食べ物を摂取することも可能です。余り脂っこいものは吸収しないので、肉や魚は苦手ですが。他の人との会食の時は大抵サラダやポタージュスープなんかを頼みます。アルコールも嗜む程度なら飲めますが、私はアルコールの代謝ができないようで、大抵次の日のアルコールチェッカーに引っ掛かります。酔わないですし。
私も含めアヤカシは全般的に甘党で、和洋問わずお菓子が大好物です。
「…季節のパフェですかね。」
「…それだ。」季節は丁度まもなくハロウィーン、芋栗かぼちゃのモンブラン風のパフェに二人揃って吸い寄せられました。
「お決まりですか?」通りすがりの店員さんに同じものを二つ注文します。
「ドリンクバーも二つお願いします。」
「季節のパフェとドリンクバーお二つずつですね。かしこまりました。」
店員さんが去って行ってから、二人でドリンクバーに向かいます。私はハーブティーが好きなので、カモミールミントティー、左橋さんはやはりお疲れのようで、カフェモカです。疲れた頭には甘いモノです。
「…実は、私、怖がりなんです。この仕事しているのに怖がりって、やっぱり無理があるんでしょうか。…」
左橋さんが結構な勢いでカフェモカを半分ほど飲み干して、グラスを置きながらため息混じりに話始めました。『実は 』って、もしかして隠していたつもりだったんでしょうか。多分すべての関係者が気付いていると思います。もちろんアヤカシ達にも。
「そうだねぇ…。」本人は至って真剣に悩んでいますからね。端からみたら若干ほほえましいくらいの話ですが、笑ってしまってはいけませんね。顔面筋総動員です。
「…昔っから暗いところが苦手で、小さい頃に行った田舎の祖母の家が、古い農家で土蔵や仏間が本当に怖くて、もちろんお墓とかお化け屋敷も絶対無理ですから。」
一体どうして葬儀社に就職したのか気になりますが、今はお悩み相談です。
「…そうなんだね。…で、何か会社で怖いことでもあったの?」
真剣なふうにして、私は一番肝心な質問をしてみました。木魚達磨はまるで一回程度呟いただけのような口振りでしたが、たかが一、二回のことでそこまで怯えるはずはありません。絶対二度三度とやらかしているに違いありません。
「…そうなんです。実は三階のバックヤードの仏具置き場が、怖くて仕方ないんです。特に夕方近くになると、真っ先にあの辺りから暗くなるし、通り掛かるたびになんとなく気持ち悪いし、話し声が聞こえた気がすることも結構あって…」話す程にアヒル口になっていく左橋さん。テーブルの上で握りしめた両手は、関節が白くなるほど力が入っています。
『木魚達磨の奴、今度チャンスがあったら百叩きをお見舞いしてやる。』ただでさえ昨今人手不足で有給休暇が取りづらいのに、こんなに怖がらせて、辞めてしまったら奴はどう責任を取るつもりなのか。私は相槌をうちながらどうしたら彼女の恐怖感を薄れさせることができるか一生懸命考えます。
「そうだねぇ。一度気になると全部怖い事につながっちゃうかもねぇ。」とりあえず一番無難な作戦は『枯れ尾花作戦』ですかね。もちろん大人ですから、プライドに傷をつけないように慎重に。
「そうなんです。実は中山さん達にも、『考え方の問題』って言われたんです。一度そんな気がすると、風の音まで怖くなるって。」
ナイスアシストですね。流石ベテランさん。
「左橋さんは、いつも御遺族の思いをきちんと受け取ってちゃんといいご葬儀の提案が出来るんだから、この仕事に向いてないなんてことはないと思うよ。誰でも苦手はあるんだから、今日みたいに私達もフォローに入るし、そこは皆お互い様だしね。大丈夫だと思うよ。」奴らも悪気があって脅かす訳ではありませんし、直接的に危害を加える程に力の強いモノノケではありませんし。
「お待たせしました。季節のパフェです。ご注文は以上でお揃いですか?」なかなかなタイミングでパフェが到着しました。人間空腹と悲観的考えがリンクします。落ち込んでいるときにこそ栄養補給です。
「…食べましょうか。」明日のために気持ちを切り替えて頑張りましょう。たまには愚痴をこぼすのも必要です。
「明日も頑張ります。お休みなさい。」てを振りながら帰途につく左橋さんを駐車場から見送り、私も家に帰ります。
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