第11話 バンパイアの饗宴 その2
11. バンパイアの饗宴 その2
都心からセントアトレリア女学院までは車で30分とちょっと。最近開通した地下高速道路は快適で渋滞もない。はず。
が、女学院近くのインター付近で交通量が多くなり、ついに車は止まってしまった。
近頃は緻密な交通管制と公共交通機関の充実および値下げで都市圏の渋滞は大きな事故でも無い限りほとんど皆無となっていた。また、その大きな事故自体も速度や信号停止などの法規的な車への強制介入でほとんど起こらなくなっていた。
都心部では緊急車両以外はいくらアクセルを踏んでも制限速度以上に加速しないようになっていたのだ。もちろん赤信号も自動停止してしまう。
そんなこともあり、おかしいなと思い、情報を得るためスマホを開くが電波が来ていない。
ここは開通したばかりでトンネル内の電波、ネット環境がまだ整備されておらず、スマホで情報を得ることができないようだ。
運転手の猿飛佐助が、
「お嬢様。どうやら間に合いそうもありません。この先のインターを出たところで徒歩で行かれたほうが良いかも知れません」
乙女市のインターからは女学院まで歩いて十五分ほど。これは歩いたほうが確実かもしれない。もちろんメイドの猿飛芽依もついて来てくれるので安心だ。いや、俺一人でも大丈夫なのだがな。大魔王だし。
それから十分ほどでようやく高速のトンネルを抜け、乙女市インターに出る。
幸い天気は快晴。が、少し汗ばむ陽気だ。七月初旬。梅雨もようやく終わり夏だ。
俺たちは車を降りると女学院へと徒歩で急ぐ。
ゆるやかな丘陵地帯の丘の頂上にあるセントアトレリア女学院。
そこへ続く道は当然、上り坂。
俺たちはなるべく日差しを避けながら木陰を選んで道を急ぐ。
制服はすでに半袖開襟シャツ。が、下には体型補正のボディスーツを着ているので暑い。少し汗ばんだので芽依がハンドタオルを差し出してくれた。なかなか気の利くやつだ。
ボディスーツの訳。元ユリカから「最近ちょっと太り気味よ。朝はエアロバイク三十分、夜は筋トレ三十分。それとアンダーは補正効果のあるものをね」と仰せつかった。この体は借り物。元ユリカには逆らえない。魔力を使うことによるマナの消費が少ないのも原因だろう。マナを使えば体内のエネルギーも体力も使う。
・・・アークランドではむしろカロリー不足にならないようにしていたのにな
世の中が平和すぎるのだ。それにしてもボディスーツは暑い。せめてウエストだけならいいのにな。若干の慰めはスカートが少し短くなったことか。慣れない頃はとんでもなく足下がスースーして心許なかったが、今は涼しくて逆にもっと短くてもと思ってしまう。田町詩織によりウエストを織り込めば短くなるとの情報を得たが、今は自重する。仮にも俺はお嬢様なのだ。少しはしたない。元ユリカに怒られそうだ。
女性ならではの悩みに思いを馳せながら女学院前の少しきつい坂にさしかかる。
すると芽依が、
「お嬢様。あれがどうやら渋滞の原因のようですね」
女学院に連なる幹線道路にユルユルと進むリムジンが三台。ロールスロイスのファントムだ。しかも前後には警護のBMWのサイドカーバイクが合計八台も取り囲んでいる。どこぞの王族か大統領かと思い、さらに周りを見るとマスコミらしきワゴン車やバンがその前後を取材しながらか、やっぱりユルユル進んでいる。
「ハァーーーー? どっかの王族でも来てるの?」
「そのような情報は今のところ。えっ? あのリムジン。どうやら女学院に入っていくようですよ」
見るとやはり女学院の門を入っていく。ただ入ってくのはリムジンのうちの一台だけ。 他の車輌は門の前でUターンだ。
女学院は男子禁制の場所。女学院に入っていったリムジンには女性のみ。他のリムジンには男性には乗っていたのだろう。門の手前で引き返していく。
誰だろうなと思いながら俺たちもようやく女学院に到達。リムジンの後を追いかけるように女学院の校舎に続く並木道を歩く。
「うん、百グラムくらいは痩せたかな」
ハンドタオルで汗を拭いていると後ろから、
「あら、ユリカ。おはよう。今日は徒歩通学なのね。珍しい。それより昨日はありがとう。美味しかった?」
俺の横に追いついてきたのは桜井真知子。昨日の凜々しい執事姿とは打って変わり、今は可愛らしい女学生だ。
「あ、ごきげんよう。真知子。昨日は色々と堪能したわ。料理に景色にと」
「よかった。また、利用してね」
あえてバンパイアの姫様のことは聞いてこないのは友達思いなのだろう。自分の出自に関する極めてナーバスな事案なのは明白だ。それが証拠に真知子以外は俺、いやユリカにさえ近づいてこない。俺自身がバンパイアの姫さまと勘違いしているのかもしれないかな。見た目瓜二つだし。
教室に着いてもあからさまにバンパイアの姫様との関係を聞いてくるものはいなかった。真知子はそんなことよりも、ベルフェゴールとの関係を執拗に聞いてきた。
「あれは幼馴染ってとこかしら。いいお兄ちゃんてかんじなの」
実際には俺の元々の親友で今は配下で手先となっているが。
話題をそらす俺たちを見る微妙な目。そんな雰囲気の中、朝のホームルームが始まった。
そして突然のサプライズ。担任から転校生の紹介がある。
「今日からみなさんと一緒に勉強される、花菱アリアさんです。さ、お入りください」
そして入ってきたのは見目麗しい美少女。抜けるような白い肌に肩甲骨の少し下まである煌めく銀髪。眼は透き通るようなガーネットアイ。あの、アリア・フォン・ライムヒテその人であった。
・・・さっきの車列はアリアだったというわけか
俺は合点し、実物のアリアをまじまじと見つめる。うん、ユリカにそっくりだ。
にしても相当の美少女だ。俺もそうだけど。まさに傾国の美女と言えるレベルだな。 そのアリアが壇上に立ち挨拶を始める。
「もうみなさんご存じかも知れませんが、昨日、この日本にやって参りました花菱アリアことアリア・フォン・ライムヒテです。ちなみにユリカとは双子の姉妹になります。あ、昨日もネット配信で説明したとおり、私たちはほとんど人間ですからご心配なく。それが証拠にユリカは今の今まで自分がバンパイアの末裔であることを忘れていたくらいですから」
クラスの視線が一斉に俺に向く。しゃくに触った俺は牙を向き出す感じで、いかにもバンパイアって感じでみんなを威嚇する。
「「キャッ!」」
事情を知っている真知子以外のクラスメイトが悲鳴をあげ、眼を反らす。
「お姉様。冗談がすぎますよ」
アリアが場を制しし、席に着く。なんと俺の隣だ。ま、開いている席はそこしかなかったが。
横に座ったアリアから耳打ちされる。
「お昼休みに大事なお話があります。誰にも聞かれない良いところはあるでしょうか」
「ええっと、長い話になるのですか?」
「いえ、それほど」
「ならばお昼を食べた後に自習ブースに行きましょう。そこは完全防音ですから」
セントアトレリア女学院がほこる自習ブース。
そこは図書室の横に設けられた施設だ。真空サンドイッチ構造の防音ガラスで仕切られており、グランドピアノが設置された大ブースから人一人がギリギリ入れる勉強用の最小ブースまで様々な大きさのものが大小合計48ブース設けられている。通常の勉強なら図書室で良いのだが、集中して勉強したり、各種楽器の練習をするために設けられている。ただし、全面ガラス張りなのでプライバシーはそれほどでもない。
「ええっと、スマホでブースの空きを確認して、ハイ、予約完了」
俺は二人用の対面勉強ブースの予約を入れる。幸い期末試験も終わったのでほとんど開いていた。
そして昼休み。
食堂で定食ランチを食べた後、ブースに向かう。ちなみにアトレリア女学院のお昼休みは八十分間とたっぷりある。これは食堂が二部制になっているのと、ほとんどの生徒が食事以外の残り時間を勉強に充てるからだ。
アリアが食事後の休み時間が長いのに驚き訪ねてくる。
「まるでラテンヨーロッパね。スペインじゃ一度家に帰ってからまた授業や仕事といったところがまだあるけど」
『家に帰ると習い事が多い生徒がほとんどだからね。だからアトレリア女学院は宿題が出ないのよ。そのぶん学校で勉強する時間を与えるために昼休みが長いのよね』
元ユリカが脳内に顕現して解説してくれる。俺はそのことをそのままアリアに伝える。
アリアは感心するとともに先ほどのランチの事にも言及する。
「噂には聞いていたけど、ここってやっぱり超お嬢様学校なのね。だいたいランチでフルコースとかあり得ないわよ」
俺は追加で、ここの学費がヨーロッパの寄宿制の学校の三倍程度だと教えるとさらにビックリされた。
昼食を終えた俺たちはそのまま防音ブースに入る。
話を切り出したのはアリアの方からだ。
「それにしてもユリカ。元々は金髪碧眼だったはず。やはり日本に来てマナの量が多いのでそんな色になったの?」
今の銀髪赤眼は俺がユリカに取り憑いたせいなのだが、それは言えない。
「まあ、そんな所かしら。あなたも元々銀髪でしたけど、眼はグリーンだったはず」
俺は元ユリカから最後にアリアにあった時の記憶を脳内でコピーしてくれていた。今から十年ちょっと前。元ユリカが最後にアリアにあった時は体質的にユリカよりマナを取り込みやすいのか、すでに髪は銀髪、眼の色も変わりつつあった。思えばそれがバンパイアの証であったのかも知れない。
「お互いに歳を重ねたというわけね。まだ若いけど。それよりユリカ。実は大変なことが起こっているの。それで今とても困っているの。ここは一つ花菱の力を借りて解決したい、ということで呼び出したの」
アリアはちょっと困惑した表情だ。眼前で俺と全く同じ顔が話しかけてくるので少し変な感じがする。が、ここは真摯に応える。
「私に出来ることなら何でもするわ。それで、どんな困ったことなの?」
「それは、はぐれバンパイアというか、そのことなんだけど。実は密かに日本に先遣隊として送り込んだバンパイアの中に私の統制を外れて勝手に吸血活動を開始した者が三名ほどいるの。日本がマナが多いので先祖返りしたのかもしれないということになったわ」
「ええっ、それは大変! というより、あの船で来たバンパイア達は大丈夫なの? 日本に来て先祖返りとか?」
「ええ、それは心配ないわ。その三人はバンバイアとしての遺伝子的な素養がかなり残っている者たちだったの。私とその三人以外は先祖返りする要素は一欠片もないわ」
「って、そういうことは私も先祖返りする要素があるってことかしら?」
「ええ、そういうことね。でも心配はいらないわ。あなたも私と同様に小指に指輪をしているわね。これが私たちの最後の砦。この指輪には必要以上にマナを取り込まない術式が組み込まれているの。あ、だから決して外さないでね。ま、外そうとすると強烈な頭痛がしてのたうち回るのよ」
俺は一瞬、この指輪を外して、そのことを確かめたくなったがやめた。俺の魔力が強すぎて何も起こらない可能性のほうが高いからだ。たかが吸血鬼ごときに魔王が後れを取ることない。この指輪のマナの吸収量は俺の持つマナの総量の一億分の一以下だ。
「それにしても、マナが多いだけで先祖返りなんて。そのバンパイアたちにはこの指輪のようなアイテムは装備していなかったの?」
俺は疑問に思いアリアに訪ねる。
「実はちゃんとそれなりのものは身につけていたの。マナ制御のネックレスとか腕輪とか。でも効かなかった。そこで私は件の三人のことを新たに調べなおしたわ」
「調べなおしたって。その三人はアリアが選んだんじゃないの?」
「ええ、それが事前に王立学術院から推薦があって。元々、その三人は学術院の研究生だったの」
「王立学術院ってなんなの?」
「まあ、簡単に言えばバンパイアの研究機関ね。いかにバンパイアが人間と同化するかを研究するのが主な仕事かな。今は革命のせいで地下に潜っているけど、もう出来てから千五百年も続く伝統の機関よ。ちなみに、この指輪もそこの成果よ」
「それで調べなおした結果は?」
「今はあの客船の一隻に研究施設が移設されているんだけど、そこで分析した結果は驚くべきものだったの」
「それって?」
「実はあの三人にはライカン、つまりオオカミ人間の遺伝的要素が見つかったの」
ライカン族。アークランドでは魔族でもかなり下等な分類に属する。満月の夜に変身すると自我を失い所構わず他の者を襲う。たとえ味方同士でもだ。
「狼男ってわけね」
俺は脳内アーカイブからこの世界の狼男の知識を引っ張り出したわけだが、
「ええっと、実は三人とも女性なのよね。潜入にはそのほうが都合が良いというものあるわ。セキュリティも甘くなるみたいだし」
確かに今の日本では男性より女性のほうに対して警戒心は薄いようだ。
「いったいどんな人物なの?よければ写真を見せてくれるとありがたいのだけど」
まあ、犯罪者に準ずるものなので個人情報の保護とか関係ないと思うが、聞いてみる。
「ええいいわ。これがパスポート用に撮った最新の三人の写真よ。あなたのスマホに転送するわ」
すでに昼食時にお互いのメアド等は交換しておいた。ピロンとスマホがなり、画像が転送されてきた。
「あれっ、この三人って」
送られてきた写真を見てその顔に見覚えがあるのに驚く。西欧人ではあるが黒髪で目は黒い。あまり目立たないタイプである。
「この三人は三島遥香の専属運転手に護衛、それとメイドだわ」
このお嬢様学校に通う学生には専属の運転手や護衛がつくことが多いが、ほとんどが男性だ。三島遥香の場合は女性でしかも西欧人だったので覚えていたのだ。
「えっ? 知っているの」
アリアは驚いたように俺を見る。
「知っているもなにも、これはこの女学院の知人のお付きの人たちよ」
三島遥香の変異の理由は意外と身近にあったと言えよう。三島家も日本の経済の中核を担うコンツェルンだ。しかも政治家にも親族を多数輩出している。現に三島の叔父は経済相で、親類には警視庁総監もいる。伊王家や俺の今いる花菱家は私設警察的なものを持っているし、伊王家、花菱家の未成年者は軍事訓練を普段から受けているので、はっきり言って取りつきにくいのだろう。
アリアは驚ろいたようだが、話を進める。
「そう、それならば話は早いわ。花菱、いえ、いっそ伊王の力を使ってその三人を処分してほしいの」
日本最大の財閥、伊王家。それに連なる花菱家。表裏一体のこの二つのコンツェルンで優に世界の富の半分を持つとも言われ、いかに大国でもこの二つのコンツェルンの意向には逆らえないのが現実である。
・・・フフフッ 今や裏世界の支配も完ぺきではあるがな
ベルフェゴールに裏世界のことは任せたのだが、あっと言う間に世界中の裏社会の掌握をしてしまった。麻薬類の流通や人身売買も、もはやベルフェゴールの配下の下にある。ま、悪魔だから悪の世界を牛耳るのは簡単なのだが。
『裏社会のことはある程度目を瞑るけど、あまりひどいことはしないようにね』
元ユリカが俺の意思を読み取って脳内に顕現してきた。
・・・必要悪ってものもあるからな 俺はこの世界では人道主義者なので、困っている人の救済もちゃんと行っているぞ
衣食足りて礼節を知るという言葉がアーカイブにあった。アークランドでもまったく同じことが言えた。つまり衣食足りれば争いは基本的には起こらない。あとは教育だ。争いは損であることを教えれば世の中は平和に向かっていく。ただ生物には生き残るための闘争本能がある。魔族も含めてすべての生きるものにはあるのだ。ただ、これはスポーツやゲームといったものに置き換えることが出来る。
・・・悪魔とて争って滅せられることもあるからな それはごめんだ
『えらく達観しているわね でも悪魔が一番の平和主義者って、ある意味考えさせられるわね』
元ユリカが感心したようにつぶやく。悪魔の生きる意味、人間の生きる意味にそれほど違いはない。根源は単なる生存本能だろう。それを抑制しなければどちらにせよ平和は望めない。
そんなことを考えていると午後の授業開始の予鈴が鳴った。
「解ったわ、アリア。この私に任せてちょうだい。きっとうまくいくわ」
「すごい自信ね。なにかあるの?」
まだ俺が大魔王であることを明かすのは早計である。ここは様子見もかねてじっくりと事に当たろう。
アリアの話ではライカンは満月の日を挟んで前後三日間が活発に活動するそうだ。狼となって人を見境なく襲う。が、件の三人は統制の取れた行動をしているようだ。バンパイアの遺伝子が組み込まれたことで狼となっても理性のある行動をとることが出来るようになったようだ。
が、吸血行動もする。そしてその者を眷属化して意のままにあやつる。
アリアの手を離れた三人は何を企んでいるのだろう。日本の政治経済に深く入り込み、この国を乗っ取るつもりであろうか。能力からするとそれも可能なだけにやっかいだ。それに伊王や花菱の情報網にこの件が引っかかったら問題はややこしくなりそうだ。ここは一つ、俺一人で問題をかたづけよう。
放課後、偶然かち合わせたように見せかけて三島遥香に近づく。
「ごきげんよう、遥香さん。いえ、今はエトワールね。だから遥香お姉さまと呼ばないといけないかしら?」
「あら、花菱さん。ごきげんよう。エトワールの仕事は夏休み明けからですので今はその呼び方はちょっと。遙香と呼んでもらって良いわ。それより何か御用でも?」
そう、毎年エトワール選挙で当選した者の仕事は正式には夏休み明けからだ。が、
「いえ、それほどたいした要件ではないのですが。ただ実は前任者から仰せつかったことがあるのです。よろしければ場所をとってお話を」
実はこれは本当のことである。前任者の任期は夏休みまで。その前に一年生のサマースクールの場所と日程を決めておかなくてはならないのだが、日程だけ決めて場所は新エトワールに丸投げされていたのだ。三島遥香と花菱ユリカの手腕を見たいとのことである。俺としては最悪、花菱家が持つ熱海か軽井沢の保養施設かを提案するつもりだったが、ここは一つ次期エトワールである三島遥香の意見を尊重しなくてはならない。
俺は迎えにきた車にそのことを伝え、遥香と行動を共にする。
「私の行きつけの紅茶店が新宿にあるの。そこでよろしければ」
俺と遥香は遥香の迎えの車で新宿へと向かう。やはり運転手、護衛、そしてお付きのメイドはあの三人だ。遥香が三人に要件を伝えると車は新宿へと向かう。ここから地下高速で三十分ほど。道中にサマースクールの件の詳細を告げる。
「ちょうどよかったわ。その件は前任者から伺っております。私としても花菱さんに相談しようと思っていたところです。すでに内定の場所があるならお願いしたいわ」
すでに車内で相談事の決着はついてしまったのだが、さらに細かい打ち合わせがあるので紅茶店へと向かう。
リムジンは新宿の表通りから一本入った路地の裏に滑り込む。そこに三階建てのこじゃれた建物があった。煉瓦造りでかなり古い建物をリニューアルしたものと聞かされる。もともとは貿易商会だったとのことで大きさの割には豪奢な造りだ。
一階は一般客用、二階が貴賓室、三階が事務所となっており、現在でも紅茶やコーヒー豆の輸入を行っている商社が三階に入居している。
「ここの紅茶は最高ですのよ。週に二度は通っているわね。お稽古事のない日はまず来ているわね」
遙香と共に二階の貴賓室に通された。そこは半個室となっており、アンティークのゆったりしたソファとテーブルが置かれていた。窓は半分くもりガラスで外からは中が見えないように工夫されていた。上部にはステンドグラスがはめ込まれ。虹色になった夕日が柔らかくテーブルに注がれていた。まさにくつろぎの空間を演出していた。
そこで最高級の紅茶をいただく。俺としてはミルクに砂糖をたっぷりと入れたものが好きなのだが、遥香にすすめられてそのまま入れたてを啜る。
「うわっ、これはすごいわね。フルーティーで苦味がほとんど感じられないわ」
俺はその紅茶に感嘆する。花菱の紅茶も最高級のものであるが、これはそれをはるかに上回る。
「アッサムのファーストフラッシュを瞬間冷凍して持ってきたものなの。百グラムあたり三万円くらいかしら。ここでも購入できるのでよかったらどうぞ」
俺はすぐに購入依頼を行う。冷凍品とのことで屋敷まで届けてもらうことにした。消費税を合わせて十万円が吹っ飛んだ計算だが、今や世界一の金持ちである俺にとってはどうということではない。いっそこの紅茶店ごと買おうかなと頭をよぎる。
『あ、ここの店。伊王家の商社がやってる店よ。それはやめておいたほうが良いかも』
そこに元ユリカの適切なアドバイスが入る。花菱家は今や世界最大財閥の伊王家の分家的な立場だ。かつて伊王家と花菱家は対立的な立場であった。それがここ六十年で劇的に変わった。跡取りの乏しい花菱家に積極的に伊王家から婿入りが行われたのだ。現に花菱家の当主は伊王家当主とは従兄弟関係にあたる。当然ながら伊王家が本家筋。なので今では頭が上がらないのが現状である。
その後、宿泊先は熱海に決定する。夏なので軽井沢の施設はかなり保養の予約が入っていたからだ。熱海の施設の収容人員や部屋数、間取りなどのデータを遥香にスマホから転送し、具体的な部屋割り案や日程案を検討する。小一時間もすると小腹が空いてきたので、再び紅茶と店自慢のアップルパイを頼む。
少しまったりした後、俺はそれとなく切り出す。
「それにしても珍しいですわね。あのお付きの人たち。外国の方なのですね。いえ、けっして差別的な意味ではないのですが」
「ああ、あの方達ですね。実は二ヶ月ほど前に採用したばかりなのです。お父様からのたってのお願いということで採用しました。父はヨーロッパに在留しており詳しい事情はよくわからないのですが。でも日本語も流暢で、しかもちゃんとそれなりの学校を出ているとのことで仕事ぶりは申し分ありませんわ」
俺は脳内アーカイブで三島家の現状をチェックする。三島家は総合商社でもかなり利益を上げており、今はヨーロッパ産の食料品輸入では日本で一二を争う。今年は輸入貿易協定の改定もあるとのことで遙香の父は春先からヨーロッパに滞留したままのようだ。
その後、お茶を済ますと遙香と別れる。迎えのリムジンが店の前まで迎えに来ていた。その車には麻衣子も乗っていた。
「事情はすべて聴かせてもらったわ。あ、ごめんなさいね。あなたのスマホ。盗聴仕様になってるの。それより、あの三人がライカンということね。それに関して重要な情報が入ったの。家に帰ったらさっそく作戦会議よ」
屋敷につくと、さっそくリビングではなく地下の会議室へと向かう。地下三十メートルに設けられたそこは核シェルターにもなっている。三十人の人間が一年間暮らしていける居住施設が併設されている。
エレベータではなく階段にて向かうので、やたらと時間がかかる。しかも途中に厚みのあるドアが五カ所もあり、その開閉だけで時間を食う。屋敷についてから会議室に到着したのは二十分後であった。俺は少し汗を滴らせながら、
「ああ、しんどい。エレベータ付けたら」
俺はつい愚痴をこぼす。
「あら、あるわよ。でもこのところ運動不足なのでちょっとね」
「悪魔!」
「悪魔に言われたくないわね」
会議室はスイッチ一つで戦闘指揮ルームへと変わる。部屋全体が少し薄暗くなり、壁面が反転する。そこには十四台の五十インチモニターが設置されていた。画面には世界各地に滞在している伊王、花菱の駐在員から様々な情報が絶え間なく送られ、AIコンピュータにより選別され表示されていた。
・・・脳内アーカイブによると 地球防衛軍の秘密基地?
俺の頭に浮かび上がったのは怪獣の襲撃から地球を守る防衛軍。
・・・でも、お約束でやられるんだよな 特撮ヒーローが最終的にはやっつけるんだけどな
そのヒーローは俺かな。いや、今はヒロインだがな。
そんなことを考えていると麻衣子にモニターを見るように促された。
その一つ北米専用モニターがアラート表示され、重要情報が表示されていた。。
「この情報よ。一週間後の米国大統領の日本訪問。これはすでに規定事実だけど、大統領夫人がアトレリア女学院を表敬訪問をすることに決定したようよ。簡単な講演と生徒との質疑応答で約一時間の予定となっているわ」
麻衣子が情報をスクロールすると関連情報が表示される。
それによると大統領夫人のシェリー・オズモンドは、なんとアトレリア女学院の出身であり、当時エトワールの補佐である監査役を務めていたことがわかった。しかもその時のエトワールは先の審査員の副総理、高田利里子その人である。
「あ、シェリー・オズモンドって、確か国連で私が演説した時のホスト役でした」
俺というか、元ユリカにも手伝ってもらった貧困根絶の国連での演説。あの時にすでに会っていたのだ。
「どうやらあの後、ユリカがアトレリア女学院のエトワール補佐の監査役になったことを知って再び会いたくなったようね。情報源は間違いなく高田副総理ね」
今でも続く女学院時代の友情。俺も真知子や秋穂、詩織との友情が永遠に続くと良いな。なんかほっこりした。
が、今はそんなことを考えている暇はない。
「で、ライカンの目的はなんでしょうか?」
「おそらく、副総理と大統領夫人を眷属化することかしら。もちろんあなた達を含めて。いえ、最悪はその全員の抹殺かも。混乱に乗じて日本政府を乗っ取るつもりかも」
とりあえず俺たちは最悪の事態に備えて準備をすることとする。と言っても俺が魔王である以上これといってすることもないのだが。が、警備は厳重にすることにした。これは防御というよりも内部情報が外に漏れないようにするのが目的だが。
・・・おれが大魔王サタンであることが周りにバレるとまずいからな
当日の出席者は高田副総理にシェリー大統領夫人。エトワールの三島遥香。それに俺とアリア。コーディネーター役の麻衣子となっている。理事長は出張中で欠席とのこと。
アリアに関しては特別ゲストということで話題性も含めて出席してもらうらしい。
そして警護の問題だが、アトレリア女学院は男子禁制の場。いくらVIPといえども男性のSPはご法度。警視庁や伊王、花菱の私設警察から選りすぐりの女性スタッフが護衛につくこととなった。
そしてアトレリア女学院は夏休みとなり、大統領夫人の講演会当日となる。
夏休みといっても夏期講習中なので全員出席。授業もなく、講演会のみなのでみんな和やかな雰囲気だ。
俺たちは最大限の警戒をしているが、件の遙香の三人の付き人はなにか起こす気配はない。空振りかとも思うが、まだ最後まで気が抜けない。
講演会は女性の社会進出についてのものだったが、多分に高田副総理へのエールが含まれたものだった。まだ四十代の高田副総理にシェリー大統領夫人。互いに将来は一国の長になるべく画策しているのかも知れない。
質疑応答も滞りなく済み、公演の最後にシェリー大統領夫人のフルートの独奏があった。
なんでもアトレリア女学院には当時、吹奏楽部があり全国大会にも出場したそうだ。当時の指揮者はなんと高田副総理が務めたそうで、今、この女学院に吹奏楽部がないのをかなり残念がっていた。今は完全なお嬢様学校なので部活自体がほぼ消え去っている。スポーツ系はもちろん、文化系では華道部、茶道部、文芸部以外は軒並み無くなったか活動休止状態。
シェリー大統領夫人は最後にもっとゆとりある学園生活を送ってくださいと皮肉にも取れるコメントをして講演会はお開きとなった。
講演会が終わり今は理事長室でお茶会。シェリー大統領夫人、高田副総理などの主要メンバーが英国式の紅茶を楽しんでいる。スコーンなども容易され小腹を満たすには十分だ。お昼まであと一時間近くあるが、もう昼抜きでも良いくらいの量が用意されていた。
高田副総理とシェリー大統領夫人が昔話に花を咲かす。この場にはバンパイアの姫であるアリアもいるのだが、政治的に微妙な問題なのであえてスルーしているようだ。
そして、講演会でのシェリー大統領夫人の演奏のことで盛り上がる。今から三十年前のことだが、当時の部活は強制入部であったそうだ。なかでも吹奏楽部は伝統的に地区の強豪校でシェリー大統領夫人の時代には三年連続で全国大会出場をはたしたそうだ。残念ながら入賞までには至らなかったが、良い思い出になったそうだ。
「やはり時代が変わったのでしょうかね。今のほうが昔よりずっと封建的なのではないでしょうか」
シェリー大統領夫人は今の日本の女学生の現状に嘆く。ネットでは繋がっているが、個々人はより孤立している。友達関係も希薄なものとなり、この女学院の生徒は親のいいなりに将来は結婚していくものがほとんどだ。
「ここは伊王理事長に進言して、部活強制入部を復活させてはどうでしょうか」
高田副総理からも提案されるが、麻衣子が
「あーー、無理だと思いますよ。そもそも伊王理事長自身が十年ほど前、理事長就任と同時に部活強制入部を廃止させたくらいですから」
と残念な情報を開示する。
「そう言えばイオウちゃんは当時、華道部で先輩のパシリさせられてかなり憤慨していたものね」
「そうそう、絶対に部活やめてやるって、結局、弓道部に転部したのよね。でもそこでまたいじめられて」
シェリー大統領夫人と高田副総理から衝撃の事実が語られる。これを察知してか伊王理事長は今日欠席したのかな。
「ま、伊王の力を甘くみた先輩達の家はその後、お家お取り潰しみたいなことになっちゃって。すこしやり過ぎよと進言したんだけれど」
高田副総理からまたまた問題発言が。
「そうね、でも自分が理事長になったからって、部活を事実上なくしてしまうなんて」
ま、件の華道部は残っているんはだけどな。
とみんなが過去の思い出話で盛り上がっていた時だ。
突然、理事長室に遙香の付き人である三人が突入してきた。ドアの外には護衛が六人もいたはずだ。が、音もなく制圧したようだ。
「みんな! その場を動かないで!」
三人の手には小型のサブマシンガンを握られている。一人が天井に向けてそれを放つ。
ガガガッ ガガガッ
サイレンサー付きのそれはタイプライターのような音で弾をばらまく。天井のシャンデリアの一つの鎖が切れ床に落下する。
「危ない!」
俺はとっさにシェリー大統領夫人に飛びつきシャンデリアの直撃を避ける。
「あ、ありがとう。危なかったわ。それよりあの人たちはテロリストなのかしら?」
シェリー大統領夫人が俺に聞いてくるが迷う。ライカン族はテロリストとも言えるののでイエスと応えれば良いのだろうか。
が、迷っている暇はない。俺は反撃に移ることを選択する。
俺が三人に振り向きファイアボールで対処することにした。魔法を見られたとしても記憶改竄をすれば問題ない。俺はマナを練り炎をイメージする。一瞬にして俺の手の先に五千度近い熱量が生まれる。これを三人にぶつければあっという間に解決だ。骨まで炭となり証拠はなくなる。
が、三人のうちの一人から、
「そうはいかないわ。あなた方が魔法を使えるのは解っているのよ。この場にはマナの消滅結界を張らせて貰ったわ。いくら魔法で対抗しようとしても無駄よ」
そしてもう一人が、
「では、あなた方を別の場所にご招待するわね」
俺は試しにファイアボールを撃つが途中で消滅。ま、この場のマナを使うタイプの魔法なのでライカンたちが言ったとおりなのだろう。別枠で俺の無限パントリーに格納されたマナは全地球のマナの総量に等しい。本気を出せば俺の保有するマナによる魔法で三人のライカンを一瞬で屠ることが出来るのだが、ここは様子見だ。
そして理事長室全体が淡い光に包まれる。あらかじめ理事長室の至る所に魔方陣が刻まれていたようだ。知性を手に入れたライカンはなかなか用意周到なようだ。
俺、高田副総理、シェリー大統領夫人、アリア、麻衣子、三島遙香の六人はどことも知れない場所に立っていた。暗く、そして広い。
「寒い」
三島遙香が発する言葉どおり寒い。俺やアリアはなんともないが高田副総理や麻衣子もガタガタ震えている。気温はおそらく零度近い。夏服では耐えられそうもない。俺は無限パントリーから毛布を取り出すと震えている者たちに渡す。遙香はどこからそれを取り出したのか少し不思議そうだったが寒さには勝てないようだ。ひったくるようにしてくるまった。
魔族である俺やアリアは寒さにも強い。なぜかシェリー大統領夫人も大丈夫らしく、俺の毛布をやんわりと断った。
ここは平らではあるが人工的に造られた施設。監視塔のような建物がかなりの間隔で設けられている。巨大な施設ではあるようだが、辺りは暗く電灯が所々にともっているだけだ。足下には直径三メートルほどの円形の突起が等間隔で並んでいる。突起自体は二十センチほどで高さはない。何かの蓋のようだ。
シェリー大統領夫人が、
「ここは。うん、見たことがあるわ。大陸間弾道弾、つまりICBMの発射基地だわ。多分コロラド州あたりね。砂漠のど真ん中。それで寒いのね。夏でも夜は零度近くになるわ。上空の星の位置、時差的にも間違いないと思う。それにしても警邏の軍人がいるはず。変ね」
俺の脳内アーカイブで大陸間弾道弾について反芻。いわゆる核兵器だ。米国の持つ核保有量だけで地球を五回ほど滅亡させることが出来る。困った兵器だ。つまりライカンは地球の滅亡をも狙っているということか。魔族には放射能なんて関係ないが、魔族しかいない地球なんて意味ないんじゃないだろうか。
頭上の薄い雲が途切れ、月が現れる。ほぼ満月の夜。
件の三人は変身し、狼男、いや狼女となる。ライカンの真の姿だ。さすがにライカンとなると人間の言葉はしゃべれない。その一人がテレパスで俺たちに話しかけてくる。
『すでにここの基地は制圧したわ。すでにICBMの発射コードは解析済み。日本の副総理と大統領夫人が世界破滅のボタンを押したとなれば世界は混沌の極みとなるでしょうね。そして次の支配者は私たちライカン。ライカンは放射能汚染についてはノーロブレムだし』
案の上だ。ライカンはいくら知性が上昇したとしても、まだそれほどでもないらしい。
テレパスによる言葉が終わると同時に辺りから数多くのライカン達が現れる。その数は優に百を超えている。
『さすがのバンパイアもその能力を使うことも無く数百年が経ち、もはや私たちに立ち向かうことも出来ないでしょう。先にバンパイアの二人には死んで貰うわ』
そして現れたのはひときわ大きなライカン。体毛も長くかなりの年齢であるようだが、体には一切衰えはないようで、筋骨逞しい。
『我はライカン族の長、カーク。バンパイアの姫、アリア。そしてそれに連なる者よ。ひと思いに屠ってやろう』
見た目、まったく同じのアリアと俺。どっちがどっちか解らないのだろう。今の二人はアトレリア女学院の夏の制服。見た目に違いはないのだから。
と、族長であるカークが俺に迫ってきた。俺が一歩前に出たのを見て、俺をアリアと判断したようだ。カークの手には長剣。鋭い剣筋で俺の首を狙う。
シュバッー!
大ぶりなようで意外と速い。俺は間一髪でその剣を避ける。パラリと銀髪が数本切り飛ぶ。が、その動きは俺にとってはスローモーションのようだ。まだまだ余裕。
そして俺は避けざまにカークの足にキックを入れる。が、まったく効いてないようだ。
『ほう、なかなかやるではないか。が、ひと思いにやられたほうが楽だぞ。切り刻まれ痛みにのたうち回り死ぬのはどうかな』
あー、なんか気にくわないな。圧倒的な優位に立つもののセリフだ。が、圧倒的に優位なのは俺なんだがな。
俺は試しにファイアボールを打つ。が、空砲に近い。
『ハハハッ、ここにもマナ制御の結界魔法がほどこしてある。無駄だアリア』
どうやら俺をアリアと勘違いしているらしい。バンパイアの姫のほうが魔力が高いとでも思っているのだろうか。
やはりな、と思い俺は内部の無限パントリーに格納したマナの解放を行う。そして俺は一つの決断をする。
『さあ、かかってくるが良い、アリアよ。バンパイアは今宵を持って滅びるのだ』
俺はカークに近づくと素早い動きでパンチを入れていく。足、腰、胸、背中、尻。
それは軽いパンチである。カークも剣で追い払おうとするが、俺の動きのほうがはるかに速い。それもそのはず魔力強化で素早さが三倍となっているのだ。
『ハハハ、無駄だ。そんな軽いパンチでは俺は倒せないぞ!』
『そうかな。では打たれた所を見るとよい』
俺は少し距離を取りカークを見据える。そして俺のパンチの当たった所に魔方陣が現れたのを見て取る。
カークは何が起こったかしばらく解らなかったようだが、その魔方陣の術式を見て青ざめる。実際には体毛で色は解らなかったが、なんとなくそぶりで解る。
『は、計ったな! クソ!』
カークは一か八かで長剣を満身の力で俺に投げつける。
ビュンッ!
が、それはそれてシェリー大統領夫人の方へまっすぐ飛んでいく。
いけない。まずったか。俺はシェリー大統領夫を振り返る。が、こともなげにそれを近くにあった棒きれで弾き飛ばした。
「危ないわね。それより早くやっちゃいなさいよ」
およそ大統領夫人とは思えない言葉が俺に浴びせられた。ま、それはどうでもいい。
今はカークだ。
『お、おのれ。クソッ!』
カークは体表に現れた魔方陣を狂ったように掻きむしる。が、それは厳密には体表上に幻影として現れているのだ。いくら引っ掻いても取れない。
『カーク、残念だったな。もっとやりあいたかった』
俺はカークの体表に現れた魔方陣に魔力を送る。それは虚無の魔法。体表の魔方陣の場所がえぐられたように無くなる。直径は十五センチほどであるが内部の組織ごと無くなる。もちろん肉、血、骨をもだ。
「グ、グギャーーーーーーーーーーーーーー!」
カークの断末魔。
カークは体組織の半分が一瞬で無くなってしまったのだ。虚無の魔法は一分ほど続くのでカークは血をぶちまけることもなく干からびて半分ほどになって逝ってしまった。
それを見守っていたライカンの群れ。数に任せて俺たちを襲えばなんとかなるかもと考えているようだ。一斉に襲えるように一列に並び俺たちに少しずつ迫ってくる。
さすがに今の人間形態のままでは、ここにいる五人は守り切る自身がない。
・・・こうなったら顕現するしかないか
アリアには正体がばれてしまう。ま、これは仕方ないことだ。いずれ解る事だから。高田副総理やシェリー大統領夫人は人間なので俺の眷属とし、記憶操作すれば問題ない。
遙香はすでに眷属なので何も問題ない。麻衣子は俺の正体を知っているしな。
俺は体内のマナを集中させ、魔力を最大限に解放する。そして大魔王サタンの姿を顕現させる。
禍々しいその姿。骸骨の羊の頭。その上には長い二本の角。体は筋骨隆々であるが、うっすらと剛毛が生え、その下は鱗でびっしりと覆われている。トカゲとゴリラを併せ持ったような忌まわしき体。肩には蝙蝠を思わせる巨大な羽。そして尻尾は太く、長く鞭のようにしなっている。体高は優に三メートルを超える。ちなみに体のディテールや大きさはその時の気分によりある程度変えることが出来る。
・・・さっきのカークよりデカくないとかっこつかないしな
今回の俺の得物はロングソード。しかも長さは二メートル近い。
・・・が、これを使うこともあるまい
それを放り投げ、俺は摂氏一万度のファイアウォールをライカンたちにお見舞いすることにした。これでやつらは一瞬にして灰になるはずだ。
少しずつ迫ってくるライカン軍団。牙をむき、爪は長く研ぎ澄まされている。普通なら人間六人などあっという間にミンチにされるだろう。間合いから言って、あと五秒もすればやつらは一斉に襲ってくるはず。
俺のファイアウォールがもっとも効率良くライカンを焼き払うまで後、三秒。
三
二
い、
「ま、待ってくれーーーーーーーーーーーーー!」
突然の雄叫び。
ライカン軍団はその雄叫びに歩みを止める。
そして、俺もファイアウォールの発動を止める。
「ま、まってくれぇーーーーーーい!」
息を切らしながら一人の老人が走ってくる。
そして、月の光をあび、その姿をライカンへと変える。
全身、銀色の輝く毛並み。そしてそれは長く一部は地面に接している。
「待ってくれえーーい! アーク様! あ、今は大魔王さまでしたかぁーー!」
俺はその姿に見覚えがあった。今はその毛が伸びてふさふさになっているが、かつてはもっと短く筋肉も隆々で逞しくもあった。
名はレオン。ライカン族にして冒険者。ライカンでありながら月の光に関係なく変身でき、しかも理性を保ったまま敵を屠ることが出来る。
そう、かつての俺の冒険者時代の仲間だった。さすがに年老いてはいるが見間違えるはずもない。二千年来の盟友なのだ。
「レオンか。久しゅうな。元気であったか?」
「それよりも、うちの若い衆がとんでもないことをしでかしまして。も、申し訳ありませんーーーーー!」
レオンは俺の前で土下座する。
「そうか、ライカン族がアークランドから追放されたのが二千年前。あの、冒険のすぐ後だったな」
俺はなつかしく回想する。
二千年前、ライカン族がアークランドで人のみならず、見境無く魔物までも襲いだした。理性を失うとまったく手を着けられなくなったのだ。魔族の評議会で暴れたライカン族の追放が決定された。追放先は地球。なぜならちょうど地球とのゲートが開いていたからだ。この地球と繋がるゲートは百年ごとに開くことが確認されている。
そしてライカン族の半分近い三万頭が地球へと追放されたのだ。ライカン族を不憫に思った俺はレオンを監視役として同行させた。いずれ理性を取り戻せばアークランドへの帰還を許すことを託して。
「にしても、今回の件は見過ごすことが出来ない。この者たちを再び地球から追放せねばならない」
「ならば、ゲートを開きライムランドに追放しましょう」
言葉を発したのはシェリー大統領夫人。
そして俺が振り向くとシェリー大統領夫人はみるみるその姿を変える。
美しくも妖艶な女性。体には黒い革製のボディースーツがピタリと張り付き、その豊満なボディを浮かび上げさせる。黒いが途中から銀色に変色する腰まであるストレート髪が風もないのにゆらゆらと宙にうごめく。その頭には金色に輝く二本の角が。角はまっすぐで二の腕の長さほどある。顔は美しくもトライバル模様のような悪魔の文様が薄らと浮かび上がっては消えていく。
「こ、これは姉上様。まさか姉上様がシェリー大統領夫人だったとは!」
俺は驚愕に打ち震える。長らく生き別れになっていた姉。フルーレティがこんな側にいたとは。
「あなたもかなり鈍感ね。私はあなたが国連で演説をしていたときから気づいていたわよ。だから今回のアトレリア女学院での講演を企画したの。相変わらずのうつけね」
姉の手厳しい指摘に俺はなにも言い返せなかった。
「それよりも、ライカンたちは?」
「間もなくゲートが開くわ。レオン、久しゅうね。ライカンたちを頼むわ。ライムランドではせいぜい自重してね」
俺はかのライムランドのことを思い出す。人間達の世界だ。大丈夫なのだろうか。
俺の懸念を悟ったかのように、
「心配はいらないわ。ライムランドは今ではこの地球より発展しているわ。魔道工学もすすんでおり、ライカンなど魔道戦士の前では赤子も同然だわ。事前にライムランドの政府に連絡を入れておくわ」
かつて俺が平定したライムランド。どうやら俺の後、姉上であるフルーレティが介入して一大魔道国家を作ったらしい。
それにしてもライカン族を待つのは強制労働か隷属労働か。
「心配しないで。理性を持ったライカンはそれなりの使い道があるから。彼の地では極端な労働力不足が続いているらしいの。いわゆる3K職場ね。せいぜい頑張ってね」
「ならば問題なしか。ではレオン。暇があったら俺もベルを連れて様子を見に行くからな」
『ハッ、ハハッーー よしなにお願い奉りますーーー!』
レオンは土下座のまま再び頭を垂れた。
フルーレティの強大転移魔法でゲートを無理矢理開き、ライカンたちを転送した後。ようやくこの場はお開き?となる。俺たちは姉の転移魔法で無事に日本に戻ることが出来た。
日本ではすでに夕刻が近づいていた。シェリー大統領夫人の女学院退出の予定時刻をすでに一時間近くもオーバーしている。外のSPもやきもきしているだろう。今夜は宮中晩餐会の予定とのことで残された時間は少ない。
それにしても高田副総理はシェリー大統領夫人がフルーレティに変身しても眉一つ動かさず見守っていた。知っていたのか。
そのことを質すと、
「ええ、知っていたわ。シェリーが魔界の住人だと。女学院時代もいろいろ問題を起こしたから」
その問題とはの質問には、
「もう時効だから喋らないで」
とのシェリー大統領夫人から横やりが入る。ま、この際スルーしておこう。
俺は芽依の入れた日本茶を啜りながら、
「あーー、それにしても俺の魔力探知も衰えたものだな。姉上がこんな側にいることも解らないなんて」
姉上と言えば煎餅をパリパリ食べながら、
「私の隠蔽魔法は魔界広しといえど右に出る者はいないからね。でも、それとなくヒントは与えていたのよ」
俺は全く解らない。が、麻衣子がすっと右手を挙げる。
「解りました。でもアークには情報量が多すぎて返って解らなかったのかも。あのフルート演奏ですね」
「そう、あのフルート演奏です。みなさん、もう解りましたね」
俺はさっぱり解らず皆を見渡す。
すると麻衣子、高田副総理、遙香から一斉に、
「「「悪魔が来たりて笛を吹く、ですね!」」」
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