第2話 花菱財閥の令嬢として

2.花菱財閥の令嬢として



 俺はユリカが入院中、ベッドの中でこの世界の情報を吸収しまくった。俺には絶対記憶の能力がある。しかもその容量はこの世界の基準でいくと八百テラバイトほどになるようだ。さらに魔法パントリーにある記憶専用の魔石「覚え石」をつかえばその百倍程度を記憶することができる。「覚え石」は俺の脳とシンクロしており、その情報はいつでも出し入れできるすぐれものだ。

 情報の源となったのは剛毅が与えてくれたタブレットPC。


『電子書籍というのは便利がよいな 魔王城の図書室の数百倍の本がたった手の平にのる板に入っているのか すごいな それにこの地球上のあらゆる情報が瞬時に手に入る まるで神になったような気分だ』


 そして俺のこの世界、地球での目的というか目標もできた。


『俺の力なら、この世界を征服できる。いや、する。そして新たな肉体を手に入れる。これが俺の目標だ』


 魔王としての知識と絶対的な力。それがあれば可能だ。肉体も他人から奪うことも出来るのだが、精神上俺はよしとしない。他人のモノは他人のものだ。やはり自分オリジナルが欲しい。そして俺の思いは元ユリカにも伝わる。


『えっと、私の体に入ったのは魔王サタンなのね。なんと言ってよいか・・・ 中ではサタンは悪の象徴だし。それに地球を征服するなんてやはり悪なのかも・・・』


『心配するでない。俺は人殺しはしない主義だ。この地球の仕組みが解ったので考えてみたまでだ。政治的な支配はなんの意味もない。経済的に支配したものが勝者なのだ。俺の計算では四年で支配可能だ。そしてその資金力で新たな肉体を再生する。元のユリカよ勘違いしないでくれ。それよりこの計画には元のユリカの協力も必要だ。お願いする』


『まあ、そういうことならやぶさかでもないわ。それより明日は退院よ。準備をしなきゃ』


 俺は元ユリカに即されて退院の準備をする。といってもシャワーに入って髪の手入れだけだけどな。

 髪の手入れが半端ないってのはこの後知ったのでした。メイドの芽依がいてくれて大変助かったのは言うまでもない。


『それにしても、このワンピースというものは心許ない服だな。下がスースーするし。除かれると下着が丸見えだぞ。ドレスのようにもう少し裾が長いほうが良いのでは』


 俺はそのことをメイドの芽依に訪ねるが、


「お嬢様はまだ若いのですから。ドレスはそのうちに」


 とはぐらされてしまった。そのうちにとはどういうことだろう。おそらく花菱家はこの世界では貴族に属するものと思われるが、その令嬢がドレスを着ないというのは解せぬ。やはり俺の元いたアークランドとはだいぶ違う世界のようだ。


 そしていよいよ退院。

 豪華なリムジンで病院までお出迎え。なんとこの病院の院長までもお見送りだ。


『花菱ユリカは花菱財閥の長たる花菱倫太郎の娘。この世界の経済のすでに三分の一は父である倫太郎が握っているといっても過言ではないわ。なのであなた、つまり魔王サタンの野望を成就するにはもっとも適した場所に転移したと言えるわね』


 最近では元ユリカは一日八分程度、顕現する。それもある程度自分の意思で顕現できるようになってきた。今も退院というイベントで適切にアドバイスしながら花菱家の状況を説明してくれる。

 リムジンに乗り込み顕現した元ユリカと念話で会話する。


『でも、ユリカとしては財閥の資産を処分する権限なんてないだろう。俺の野望とどう結びつくんだ』


『あなたバカなの? 経済は情報をいかに持っているかが勝負なのよ。その情報を花菱財閥そのものが発信しているのよ。例えばあなたのタブレットPC。私の暗証コードを入れれば花菱財閥の重要な機密情報が八割方見ることができるわ。なんなら今から株でもやってみる?あっという間に元手が十倍は確実よ。ただしインサイダー取引になるので御法度だけど』


『株か。花菱以外なら良いのか。ならやってみるか』


『それなら、屋敷に戻ったらとりあえず私の部屋の書庫にあるこの本を読んで勉強してね』


 そして元ユリカから映像イメージで読むべき本が送られてきた。俺自身の脳にセーブするのはもったいないので記憶石にしまっておく。その映像を最後に元ユリカはまた眠ったようだ。次は明日の昼くらいかな。それまでに勉強しておこう。


 花菱の屋敷は魔王城に匹敵する豪華さであった。三階建てではあるがいわゆるロココ調の瀟洒なデザインの豪邸である。部屋数はおそらく五十をこえるであろう。執事やメイドも併せて三十人はいるみたいだ。内装も豪奢そのもの。分厚い絨毯は魔王城のものを超える。やはり経済を統べるものは世界を統べるのだろう。俺は俄然やる気がみなぎってきた。

 元ユリカの部屋は思ったより質素な感じだった。白が基調で華美な装飾はほとんどない。ま、部屋そのものは広く、リビング書斎、ベッドルーム、ユニットバス、洗面化粧室、書庫、クローゼットと一人が生活する空間としては十分すぎるものであった。


『魔王城の俺の部屋より広いとは・・・ 実はこの世界はとんでもないかもな』


 もちろん俺はこの世界のことをしっかり勉強した。人口はアークランドのおよそ百倍。人の住んでいる面積では千倍。経済規模は一万倍。いささか世界征服には不安になる数字ではあったが、乗りかかった船。元ユリカも賛同しているのでいまさらやめられない。


『今は覇道あるのみ。魔王城の百倍の城を建ててやるぞ』


『あの、言ってはなんですけど、新宿にある花菱ビルディングは世界一の高さで七百メートル。二百二十階建てでおそらく規模で言えば魔王城の百倍以上はあるかと思われますが』


 起きてたのかよ元ユリカ。それより俺は気になって部屋のデスクトップPCを立ち上げ、花菱ビルディングをウィキで開く。ありました。ビル本体と下部に広がるショッピングセンターなどを合わせると面積的には二百倍ちかくありました。なにげに凄いなこの世界。

 

 その後、お付きのメイドの猿飛芽依に着替えさせられたり、髪の手入れをされたりといろいろある。


『にしても、よくよく見ると抜群の美少女であるな。このユリカという少女。魔王城の側仕えであったサキュバス一と言われる少女よりも可愛いぞ』


 ま、サキュバスと比べる時点でどうかと思うが、可愛いものは可愛い。身長はこの世界での百六十を少し切る程度。輝く銀髪に透き通るような赤い目。肌は白いが健康的な赤みもある。顔つきはこの世界のヨーロッパ人が基本となっているようだが、高すぎない鼻とパッチリした目元がより可愛らしさを演出している。

 おそらく完全な地球のヨーロッパ人と日本人という地元のものの血が混じっているからだろうか。クローゼットの前でいろいろポーズを取ってみるが、思わず見とれてしまうレベルだ。

 そして俺はもう一つ確かめたいことがあった。メイドの芽依は幸いにしてクローゼットの外。今なら見られることはない。そこで俺は魔力を高めサタンへと変異を試みる。

 体に魔方陣が幾つも表れては消える。そして俺の体は大きくなり、身長は二メートルを超える魔物へと変化する。全身ヘビのような鱗を持ち、長い爪とシッポを持つ。顔は羊ではあるが強面。大きな角が二本、頭から生えている。力こぶを作るがいささかも体力等は衰えてはいない。


『うむ、まずまずだな。が、この世界のマナは意外と薄いな。この体を維持できるのはせいぜい一時間くらいか。なにかあった時は気をつけねば』


 元のユリカに戻ると何食わぬ顔でクローゼットを出る。しかし、そこには床にへたり込み、失禁している芽依がいた。


「ひぇっ、化け物! そばに寄らないで!」


 なぜかと思い、テーブルの上を見ると小型のテレビにクローゼットの状況が映っていた。つまり今の変身を芽依に見られたと言うわけだ。芽依は俺のお付きのメイド。いささかも目を離さないためにモニターテレビで見ていたのだろう。うかつだった。やはりこの世界にはまだまだ慣れないな。

 それより芽依だ。こうなったら仕方がない。すべてを話すことにした。


「ということは、本物のユリカ様はちゃんといるのですね。あなたの中に」


 しかたなく無理矢理、元のユリカを顕現させる。同時にマナを少しあやつり金髪碧眼の元ユリカを再現する。つい昨日発見したのだが、マナを操れば元ユリカを顕現させられ、体も少しの間ではあるが元に戻せるのだ。今のところ一二分が限界だが。


『ユリカ、芽依を説得するのだ』


『あなたの尻拭いばかりにならないといいわね。解ったわ』


「芽依、久しぶりね。今は少ししか意識が覚醒しないけど少しずつ長くなっているわ。完全に元に戻るまではあと四、五年はかかるは。それまではこのサタン、いえアークさんに守って貰うから。ちゃんとお世話してね」


「お嬢様。なんと不憫な。解りました。芽依はいつまでも待ちます!」


 芽依は元ユリカの両手をとり泣いていた。涙腺のゆるい女だなと思うが、すぐに元ユリカが意識の奥へと潜ってしまったので体は再び銀髪赤目へと戻る。戻ったとたんに芽依は汚いモノを触ったかのように俺から手を離す。アルコール消毒までしているのはさすがにやり過ぎだと思うのだが。

 剛毅と芽依。今のところ二人が俺の秘密を知ることとなった。


 しばらくしてようやく夕食の時間となる。今日は退院祝いということで家族一同が久しぶりにそろい、豪華な夕餉を取ることとなった。


「それにしてもユリカ。ずいぶん印象が変わったわね。でもその方が可愛いわ」


 事情を知らない母の花菱秋子がニッコリ微笑む。元ユリカの情報では実は花菱秋子は元ユリカの実の母ではない。元ユリカは正確には花菱倫太郎の姉の子供なのだ。姉の花菱聡子はヨーロッパの小国ライムランドの国王に嫁いだ。が、政変で国王もろとも殺されたそうだ。命からがら元ユリカは国を脱出し日本へと亡命したのだ。その当たりのことは覚醒した元ユリカが話してくれた。


『そのせいで金髪碧眼であったのか。本当の父親の容姿を引き継いだのだな』


 亡命してきたユリカを倫太郎が保護し自分の娘として養うこととなった。それが今から五年ほど前のことだそうだ。つまり剛毅とユリカは正確には従兄弟同士というわけだ。


 俺も秋子の言いようにあいそ笑いをするが、若干引きつり気味。


『これ以上、俺の正体を知る人数を増やすとまずいからな。これからはちゃんとユリカになりきろう』


 俺の決意とは裏腹に、今は目の前の料理が気になる。和食というものだ。鯛の尾頭付きに舟盛り。さらににぎり寿司の職人も来ており、お好みで握ってくれるそうだ。


『生の魚か。魔王的には問題ないか・・・』


 アークランドではサタンの姿で生のナマズやウナギをよく食べていたものだ。ちょっと泥臭くで閉口していたが。


『貢ぎ物なので、食べない訳にはいかなかったからな。にしても、もっと調理法に工夫があったろうに』


 目の前の魚たちは綺麗にさばかれ、見た目も美味しそうだ。俺は鯛の刺身を一口頬張る。


『うまい。この弾力とかみしめるほどに溢れるうま味。さらに醤油という調味料につけると絶品だな。さらにこれは、タコか。この世界では普通に食するのだな。これも旨い』


 タコはアークランドでも悪魔の魚とされ、悪魔でも食べない禁忌のものとなっていた。


 俺はあっという間に舟盛りを平らげてしまった。あっけに取られる家族。

 いや、俺の正体を知っている剛毅と猿飛芽依はジト目だけどな。


『いかん、お嬢様というものは小食なのかな。自重しないと。いや、でも魔法を使うと腹が減る。ここはあまり遠慮しないほうがいいかも』


 俺は自重しながらも、さらににぎり寿司を百貫近く食べたのだった。


 翌朝。

 

「失礼します。お嬢様。すでに七時を過ぎております。お起きになってください」


 芽依に起こされ朝支度。洗面して髪をとかされ、寝間着から普段着のワンピースへと着替えさせられる。

 朝食はコンチネンタル風。今日はメインにフレンチトーストというものが提供されていた。


「う、うま、いえ美味しい。このフワフワ感がとても美味しい」


 今日は両親、そして剛毅も早朝から用事があるからと一人だけの朝食ではあったが、大満足。こちらの世界の料理はとにかく旨い。魔王城にもコックがいたが、とにかく素材を煮るか焼くかで味付けは塩のみ。料理のレベルが根本的に違っている。


『朝食などは毎日、固いパンに塩味のきつい野菜スープ。芋の煮付けだけだったな』


 俺が食事に舌鼓を打っていると、


「お嬢様はフレンチトーストが大好物でしたものね。今日はおかわりもありますよ」


 ここにもいる専属コックが追加のフレンチトーストを運んでくる。いわゆるシェフ自らというやつか。ネットで見てはいたが本当にあるんだな。それにしても俺が魔王城に復帰したら是非この世界のコックを連れて帰りたいな。


『その前に魔王城の再建もすすめなくてはな』


 大魔女マーベラの「壊滅の矢」という最終兵器で魔王城は跡形もなく吹っ飛んだはず。今思うに直前警告で城に残っていた手下たちが無事に逃げおおせたのを祈るのみだ。


『マーベラ許しがたし!』


 いや、それより今は食事だ。俺が元ユリカに入っているとやたら魔力を消費するらしく、すぐに腹が減るのだ。それにしてもここの食事は旨い。


『このフレンチトーストとやらはユリカの大好物だとか言っていたな』


 ここは元ユリカにも味あわせてやりたいと周囲の芽依の目以外がないのを確認して、こっそり元ユリカを顕現させる。

 金髪碧眼に戻ったユリカを見て芽依はまたまた感涙。

 顕現したユリカは目の前のフレンチトーストを見て、


「うわっ、久しぶり。いつものやつね! 美味しそう!」


 元ユリカ自身も二枚を食す。俺と併せて結局四枚ものフレンチトーストをペロリと平らげてしまった。専属コックも目を点にしている。


「ううっ、食べ過ぎた。ちょっと食休み」


 元の俺ユリカに戻り自室に戻ろうとすると、


「お嬢様。この後、セントアトレリア女学院の高等部の制服の採寸がございます。この後、客間のほうへお越しください」


 ちょっと冷たい目の芽依に即されて客間へと移動した。

 今は三月の中旬。ユリカはセントアトレリア女学院の高等部へと進学することとなっていた。半年も休学していたのだが、ユリカは元々学年一位の学力の持ち主。芽依によると中等部の三年時にはすでに高等部の一年の学習範囲はすべて予習済みだったとのこと。出席日数の足りない分は高校進学後に朝課外で補うそうだ。


『うむ、元ユリカはかなり優秀なやからであるらしいな。元のスペックが高いことにこしたことはない。共に覇道を突き進むには申し分ない』


『えっと、魔王サタン。勝手に人の人生を決めないでよね。私としては普通の女の幸せで十分なのだけど』


『ところでユリカ、サタンは俺たち一族の名前だ。出来れば名前のアレクかアークでお願いしたい』


『解りましたわ。魔王アーク。それともう一つ。将来的に私の体を乗っ取らないでね』


『心配するな。五年後には必ずこの体はそなたに返す。それまでは俺の意向に付き合ってくれ』


『しかたないわね。期限付きなら許すわ』


 採寸はほどなく済み、俺は芽依と共に自室へと戻る。今日は特にすることもないので元ユリカに言われた経済書などを読みあさる。どうやら俺には速読のスキルもあるらしく二時間ほどで百冊近い蔵書をすべて読み終えていた。


『さすがに大富豪の娘だな。経済関係の本がこんなにあるなんて』


『まあ、大半が父のプレゼントなんだけどね。ほとんど読んでないけど』


 それはそれ。ここにこの手の本があったことが僥倖だ。俺の完全記憶能力と合わせれば無敵な経済学者が誕生した瞬間であった。



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