魔王と勇者のディフィニッション

夏野しろっぷ

第1話 五代目

 薄暗い照明が空間を照らす。照明の光を遮るのは、誰かがくゆらせた紫煙だ。この穴倉と呼ぶべき建物は常に薄暗い。だが、そこがいい。大人しか立ち入ることができない場所。

 酒と煙草とアダルティな雰囲気。そこは所謂いわゆる、バーであった。


「んだよォ! なんで、皆、分かってくれねぇんだよ! バカか!」


 カウンターに突っ伏すのは、まだ若い男だ。

 しかし、彼の前に置かれている大量の酒瓶を見るに既に成人しているのだろう。成人でなければ、酒など飲めようハズもないのだから。だが、成人していたとしても、それが酒の強弱に繋がるかと言えば疑問が生じる。


 酔った青年は揺れる瞳で酒の瓶を捉える。震える右手をあちこちにぶつけながら、彼は酒瓶を持ち上げた。

 青年は酒瓶に入っている琥珀色の液体を嚥下し、胃の中に無理矢理に入れる。

 彼の様子から、彼が失意に溺れて酒に逃避していることは火を見るよりも明らかだ。だが、バーの中にいる人間は彼が酒を煽るのを一人として止めようとしない。


 ここはトランスペアレンス共和国、ダクロスという町。別名、“始まりの町”と呼ばれている場所だ。

 ある者が魔王の手から世界を取り戻し、早50年。その魔王を倒した者──勇者──が初めて訪れた町がダクロスである。

 そうであるから、勇者に憧れる者がこの地を訪れることは珍しくない。そして、勇者に憧れる若者が自分も冒険に出ようとダクロスで仲間を集めるのは、この町ではありふれた光景になった。

 だが、パーティを組む際にあぶれる者はどうしてもおり、今、酒を次から次へと飲む彼のような若者をこの町の人間が見る機会は多かった。


「随分と荒れているな」


 と、酒に溺れ、机に突っ伏す彼へと声が掛けられた。彼は顔を上げることもなく、感情を抑えることもなく、酒瓶をテーブルに叩き付けながら隣から掛けられた声に返事をする。


「荒れてるも何も……。今日で何と記念すべき100連敗目! ここまで誰もパーティに入ってくれなくちゃ、そりゃあ荒れますよ」

「パーティ?」

「そうッス。“冒険者”のパーティ。今日だけでも綺麗で強そうな女戦士からは『アンタからは覇気が感じられないねぇ……断る!』って言われたし、ちまたで有名な天才子ども魔法使いからは『ボク、自分よりも頭の出来が悪い人とは付き合うなって親から言われているんで』って言われたし、スッゲーかわいい女僧侶からは『ヒッ……嫌です』ってナメクジでも見つめるような目つきで断られた。ざっけんな!」

「まあ、落ち着け。マスター、彼に水を」

「要らねぇッス! マスター、強いの! もう喉が焼き爛れるぐらい強いの!」

「大丈夫か? お前は酒に強くないだろう?」

「オレは強いッスよ! 超強い! けど、誰もオレの強さを分かってくれないだけだ! マスター、強いのちょうだい! 早く!」


 青年に呼ばれたバーのマスターはカウンターの向こうから呆れた顔つきで彼を見る。これ以上、彼に飲ませていいのだろうかと自問自答したマスターであったが、判断を仰ぐかのように青年に話しかけたモノに視線を向ける。

 青年の隣の席に座るモノが頷くような仕草を確認した後、マスターは青年の要望通りに度数の高い酒を彼の前に置くのだった。

 彼の前に置かれたグラスの立てたコトンという音に反応したのだろう。青年は顔を上げないまま、音が鳴った方向へと手を向ける。


「ああ、聞き忘れた。名前は?」


 体を揺らしながら前に置かれた酒に手を伸ばしている青年だったが、隣からの声で体の動きを止める。


「オレッスか? オレはマシュー。マシュー・ローレンツです」


 やっと顔を上げた青年だったが、隣に目を向ける事もなく、茫洋とした顔つきでグラスに入った酒の中で溶けゆく氷を眺めながら声に答える。


「そうか。それじゃあ、マシュー。一つ聞くが、君は冒険者になって何がしたい?」

「オレはァ! 世界をォ! 救いたい!」


 青年、マシュー・ローレンツは大きく声を上げながら隣の質問に答える。


「大きな夢だな。それで、具体的にはどうするんだ?」

「それは……それは、まだ分かんないけど、とにかく! オレは世界を救いたい!」

「フッ……身の丈に合わない大きな夢を追いかけるというのか? 叶いもしないどころか、道筋も立てられない小坊主が?」

「それでも、オレはやる! やってやるんだ!」

「マシュー……いや、マー坊。大人たちは君を止めなかったか?」

「止められたよ。『無理だ、止めとけ』『お前になんてできっこない』『もういい歳でしょ?』散々、言われたさ。それこそ、耳にでっけェタコができるぐらいに。けどさ……けどな……」


 マシューは目を瞑り、再び机に頭を置く。

 机に額を擦り付けながら、奥歯を噛み締めながら、マシューは言葉を絞り出す。


「てめェらがオレの価値を勝手に決めんな!」


 バーのカウンターに沈黙が落ちる。彼の言葉を咀嚼し、考えを纏めるために動きを止めたのだろう。マシューの隣に座るモノは身動みじろぎ一つすることはない。


「……」


 ややあって、マシューの隣から声がした。


「フッ……悪くない」

「うんぅ?」


 それは肯定。

 今まで数多くの者に自分のパーティへの参加を募集し、断られ続けたマシューは否定に慣れすぎている。その上、酒精により判断力が低下している状態だ。

 自身が肯定されることを聞き間違いだと考えたマシューは訝し気いぶかしげに声を上げた。だが、隣の声はマシューの肯定を止めることはない。


「自分を貫き通す。それがどんなに難しいことかを大人ぶった奴らはサッパリ解っちゃいない。だが、お前は違う。難しいということを理解して、それでも尚、立ち向かう事ができる勇気ある若者だ」


 それはマシューを褒める言葉だった。

 今まで自分を褒めてくれる人などいなかった。どんなに努力しても見てくれる人などいなかった。結果を出すことができない自分と真摯に向き合ってくれる人などいなかった。

 思わず、涙が出そうになるのをなんとか堪え、マシューは擦れた声を出す。


「アンタ……いい人だな」


 机に突っ伏したまま会話をするのは、余りにも失礼だ。真摯に自分と話してくれている方ともっと話がしたい。


 やっと、マシューは顔を上げた。

 鼻を擦り、笑顔を隣に向けるが、そこにいるモノを見てマシューの目が丸くなった。


 ──人じゃ……ない?


 マシューは涙で滲んでいた目を擦る。隣に座るモノは想像以上に小さい。

 両手で簡単に抱え上げることができるほどの青い小さな体。その体は柔らかそうにプルプルと揺れている。その生き物のことをなんと呼ぶのかマシューは知っていた。


「スライムじゃねェか!」

「そうだな。君の言う通り、私はスライムだ」

「いや、『そうだな』じゃねーよ。訳、分かんねェよ。何でスライムがバーのカウンターに座っててバーボンを嗜んでんだよ? オレはてっきり隣に座っている人はサングラスとハットがよく似合うダンディな御方だと思っていたのに!」

「マー坊、よく覚えておけ。現実は常に君の想像の上をいく」

「確かにオレの想像の上をいったけど!」


 マシューの叫び声を取るに足らないものだと考えたのか、隣のスライムは火のついた葉巻を咥えた後、紫煙を吐き出す。それを見て、マシューは口が開くのを止めることができなかった。


「ていうか、アンタ、どうやって葉巻なんか買ってるんだよ、スライムなのにスライムなのに」

「マー坊。今の世の中、腕っぷしだけじゃ生きられないぞ。頭を使え」

「いや、それは分かってるけどさ。でも、どうやって稼いでる訳?」

「決まっているだろ……」


 スライムはニヒルに嗤う。


「……カジノだ」

「ダメ人間じゃねェか! いや、人間じゃねーし……ダメスライムじゃん!」

「仕事に貴賤はないぞ」

「ギャンブルで稼ぐのは仕事の内に入らないってのが常識ですけど!?」

「少し落ち着け。みっともない」

「でも! だけど! ですけれど!」

「ここは静かに酒と紫煙を愉しむ場だ。それを理解できない君ではないだろう?」


 隣に座るスライムの宥めでマシューは口を噤まざるを得なかった。マシューが周りを見渡すと、好意的でない視線の数々が彼の体に刺さる。居た堪れないと感じたマシューは隣を睨みつける。


 ──なんでスライムに正論を説かれなくちゃならねェんだよ!


 今度は心の中で叫んだお陰で周りの客から睨まれることはなかった。渋々といった様子でマシューは椅子に深々と座り直す。

 そして、スライムを睨みつけたが、当のスライムはどこ吹く風。マシューの強い視線を受け流し、会話を再開させる。


「さて、静かになった所で話を戻そう」

「話を戻す?」

「ああ。君は私の眼鏡に適った」


 スライムは厳かに頷き──正確にはプルンと体を震えさせただけだが──バーテンダーから差し出された灰皿に葉巻を押し付けて火を消した。

 煙がマシューとスライムの間に漂う一種、幻想的な風景の中、スライムは静かに語る。


「君のパーティに入ってやろう」

「お断りです」

「何故だ!?」

「何でオレのパーティに入ろうとしたのか訳わかんねーし!」

「お客様」


 バーテンダーが冷たい目でマシューとスライムを見つめる。スライムは『すまない』とバーテンダーに声を掛け、肩を竦めるかのように体を震わせた。


「少し騒ぎすぎたな。さて、マー坊。なぜ、私が君のパーティに入ることに決めたかという理由だが……」

「いや、別に理由とかならないし。スライムとかマジいらない」

「……理由だが、君は見所のある男だ。マー坊。君なら次代の勇者に成れる。私が導けば間違いなく、な」

「話を強引に進めた!?」


 マシューを放ってスライムは言葉を続ける。


「それに……」


 静かに言葉を紡ぐスライムの表情はどこか寂寥が滲んでいることをマシューは感じ取った。もっとも、スライムであるが故に表情、正確には顔すらもないのだが、言葉を挟むことができない雰囲気にマシューは口を噤む。


「マー坊。君のような夢しかない人間を応援したい気持ちなんだ。今の私は、な」


 夢しかない自分を顔すらないスライムが応援すると言う。

 スライムの言い様にカチンときたマシューは一つ舌打ちをしてスライムを拒絶した。


「うっせぇよ。とにかく、アンタは要らねェ」

「なら、どうするんだ?」

「……とにかく努力するしかねェよ。そうすりゃ、何とかなる」


 グラスを見つめながら、まるで自分に言い聞かせるようにマシューは言葉を口にする。だが、未来を想像することさえできない現状が彼の言葉から力を奪っている。


 マシューの現状はハッキリ言って、すこぶる悪い。

 始まりの町、ダクロスは50年前に勇者が初めて訪れた町ということが伝えられている町だ。その勇者伝説になぞらえて冒険者としての第一歩を踏み出そうと考える若者は後を絶たない。

 ダクロスで共に冒険の道を歩むパーティメンバーを見つけ、そして、冒険に旅立ち、ゆくゆくは勇者となり名を上げる。それが冒険者たちの栄光の道程スタンダード。優秀な者は多くのパーティからひっきりなしに声が掛かると同時に、光に照らされない者の数は少なくない。ただ、そのような者らは諦めずに数度、パーティを求めて成功するか、諦めて田舎に帰るかする。

 マシューのように諦めずに十度二十度、それどころか三桁に到達するまでパーティを組むことを拒まれるような者は過去、誰一人としていなかった。


 だからこそ、マシューの言葉には力──自信──がなかった。

 そして、それを見抜くことができないスライムではない。心を見透かすかのようにスライムは体の上半分を捻り、グラスに視線を落としてしまったマシューの顔を見つめる。


「昔、酒場でな……『努力は尊いものだと信じる』とのたまう夢追い人がいた。違う」


 その静かな声には自信があった。


「努力をすれば夢が叶うなんてのは絵空事だ。事実、『努力は尊いものだと信じる』と言っていた奴は次の日の仕事で死んでしまった」


 自分は多くの人間を見てきたのだという自信が。


「必要なこと、しなくてはならないことを“努力”という耳障りのいい言葉で誤魔化しているに過ぎない。それは“自分はこれだけ頑張ったんだ”と自分を誤魔化すためのアピールに過ぎない」


 自分は多くの成功者を見てきたのだという自信が。


「しなくてはならないことを努力という言葉で装飾するなど馬鹿のすることだ。その努力とか言うのは必要経費だ。経験、時間、工夫。全部ひっくるめて、その者がしなくてはならないことだ」


 自分はそれ以上に多くの失敗者を見てきたのだという自信が。


「マー坊。『努力しました、だから褒めてください』なんて言った日には……」


 その自信がマシューの心を穿つ……


「……私は君のパーティから抜けるぞ」

「アンタ、オレのパーティに入ってないし」


 ……ことにはならなかった。

 スライムという世界最弱と言える存在から語られる言葉は、どれほど正論だろが見た目からして説得力が全くないものである。それになびくようなマシューではなかった。


 マシューの言葉にスライムは小首を傾げるかのように体を捻る。


「そうなのか?」

「そうだよ! スライムと冒険して魔王を倒した勇者なんている訳ないし!」

「良かったな。先駆者になれるぞ」

「そんなダセェの嫌! つか、流行らねーって、そんなの!」


『いいか!』と叫びながら椅子から立ち上がるマシューはスライムに人差し指を向ける。


「スライムは魔物! オレは人間! この世界のどこかに隠れている魔王を倒す勇者になる人間だ! だから、魔物を連れて歩く訳にはいかないの! 三代目勇者じゃあるまいし!」

「しかし、君はパーティを組むのに100回も失敗したんだろう?」

「知ってる? 101回叩いて壊せる壁を100回で諦めるのが失敗者。101回叩けるのが成功者なんだぜ」


 自信満々に、どこかで聞きかじった誰かの名言を口にするマシュー。


「パーティを組む程度、普通ならば10回にも満たない回数で成功する。壁と言えるほどの困難ではないな」

「それを言っちゃあダメでしょ!」


 それをバッサリと切って捨てるスライムの襟首を掴もうとしたマシューだったが、スライムが服を着ていないことに気づき、指をわちゃわちゃと動かした後に項垂れる。


「フッ。私のパーフェクトボディに欲情したか。気持ちは解らんでもないが、少しは余裕を持て」

「どんな流れでオレがスライムにエロい目線を向けるような変態だと思ったの!?」

「辛抱溜らんというように指を動かしていたからな」

「それはアンタの物言いにイラついて、それを発散させることができなかったからだし!」

「フッ……マー坊」

「なに?」

「素直になれ」

「本音で語ってるよ! ……うッ」


 一際、大きく叫んだせいだろう。マシューの視界がこれまで以上に歪む。そして、体も。

 そもそも、彼は自らの許容量を知らなかった。正しい酒の飲み方を知らなかった。

 ならば、この結末は当然だろう。


「うえろろろろ!」

「ほう、吐瀉から始まる冒険譚か。これはなかなかに新しい」

「うるせェろろろろ!」

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魔王と勇者のディフィニッション 夏野しろっぷ @natsunosyrup

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