第3話 一番のたからもの

 あれから数ヶ月。

 初めのうちは、うまく話せなかったりと大変な日々を送っていたが、それは既に乗りきった。


「いってくるね、お父さん!」


 何があったか、美姫は小学生に上がると同時に、パパ呼びからお父さん呼びへと変化した。

 それは俺としても感慨深い出来事なのだが……如何せん少しずつ大人びていく美姫に哀しくもある。俺は、元はもっと無愛想で、子供っぽくて、自分以外を見れない性格だった気がするのだが……今は親バカってやつだ。


「一人で大丈夫か? 知らない人には着いていくなよ? 車には気を付けるんだぞ?」


 ……少々度が過ぎるのではないかと、反省している。

 つい先日も桜井さんに「姉弟似るものね」と笑われてしまった。

 俺は大人らしく黒いスーツを身に纏い、出発の準備を淡々と進める。

 今日は初めての授業参観ともあって、他の子どもたちや親御さんに恥ずかしい姿は見せられない。念入りに髪を整え、歯磨きを済ませ、鏡を見たところでため息が漏れた。


「はぁ」


 緊張で表情がぎこちなくなっている。別に俺は何をするわけでもないのだが。

 鏡に向かって指で頬をこねたり、口角を引っ張ってつり上げたり。なんてことを色々と試していると、聞き慣れた玄関のチャイムが鳴った。


「おーい高広くん、準備できてる? きっと身だしなみでもたもたしてるんじゃないかと思って、迎えに来ちゃった」


 声の主は桜井さんだ。そして、彼女の予想も完璧だ。

 今日の授業参観はどうやら作文の発表らしく、タイトルも家族についてとのことなので、週に何度か様子を見に家を訪れる桜井さんも一緒に学校へ行くこととなっている。偽の父親に偽の母親……何を言われるのか、心配で仕方がない。


「すみません、今行きます!」


 俺は必要最低限の荷物を詰めた鞄を片手に、外へと踏み出した。


「それにしても、本当変わったわね」


「確かに、前よりずっとなついてくれました」


「いや、美姫ちゃんもだけど。高広くんのことよ」


 それを言えば、桜井さんも前より遠慮が無くなってきたというか何というか。決してそんなこと言える筈もないが。


「俺ですか? ちょっと親バカになった気はしていますが」


「ちょっとどころじゃないわよ、前とは別人じゃない! やっぱり優子ちゃんに似て、家族想いなのね……それとも」


「それとも?」


「ああいう子が好みとか……」


「俺をなんだと思ってるんですか」


 桜井さんは以前のように口を押さえて笑うのではなく、声を上げて笑った。

 お互いどこか他人行儀だった笑顔は無くなり、いつしか普通に笑いあえるようになっていた。

 それもこれも、姉さんのくれた宝物のおかげだな。


「うわ、人多いな」


 学校に着き、たくさんの親御さんを目にして気づいたのだが、スーツ姿の男性がいない。全くいない。

 桜井さんは髪を一つ結びにし、薄いレースの服に丈の長いスカートをはいて周りに溶け込んでいるのだが、俺も格好つけずに普段着で来ればよかったと後悔している。


「早速目立ってるわね」


 このことを予測していたかのように、彼女は上目遣いで笑った。途中で教えてくれたら引き返して着替えたのに……とも思ったが、今さらどうしようもない。


「恥ずかしいなぁ……」


 少々顔を赤らめつつ、美姫の待つ教室へと足を運んだ。俺を見たときの美姫の顔は一生忘れられないだろう。美姫は、一際目立ちながら入室する俺を見るなり目をそらし、茹で蛸のように真っ赤な顔で俯いてしまった。帰ったら何かお詫びをしなければな。


 教室の後ろの方で団子状に固まる俺たち。熱気で暑いのなんの……という所で、授業は開始した。


「保護者の皆様、本日はお集まり頂きまして、誠にありがとうございます」


 新米なのか、担任は慣れない口振りで固い言葉を口にした。「せーの」と言う掛け声に一拍おいて発せられた、子どもたちのぎこちない「よろしくおねがいします!」という声に、再び父親を実感する。


(姉さんにも見せてあげたかったな)


 俺の心の声が聞こえていたかのように、桜井さんは視線をこちらに向け、軽く微笑んだ。

 パンッと担任が拍手をうち、


「じゃあ名簿順で作文を読んでもらおうかな! 最初は1番の、ゆうき君の発表です!」


「ゆうきー、頑張ってー!」


 親御さんだろうか、ゆうきと呼ばれる子どもが立ち上がった所で、手を振りながら呼び掛けている。親子共々視線を浴びて、ゆうき君は恥ずかしそうに俯いてしまった。

 俺もこうならないよう気を付けなくては。


「……はい。素晴らしい発表、ありがとうございました!」


 ゆうき君の親御さんは発表が終わると同時に、一歩前に出て俺たち保護者集団へと、嬉しそうに頭を垂れた。


 その後も淡々と授業は進み、ついに美姫の番がやって来た。初めの反省を生かし、不安そうに振り向く美姫に向かって軽く手を振った。ゆうき君の親御さん、いい見本となってくれて感謝します。


 緊張に固唾を飲んでいると、桜井さんは俺の肩をとん、とつついた。


「そんなに硬くならなくても大丈夫よ。美姫ちゃんがどんな発表しても、しっかり受け止めましょ」


「そ、そうですね……」


 美姫は普段通りの声色で、それでも機械的にはならず、抑揚を付けて作文を読み始めた。


「私の、偽物のお父さんとお母さん」


 タイトルから既に不安が募る。周りの保護者達は動揺からざわつき始め、担任も少し青ざめているのがわかる。

 もしかしなくても、禁止ワードだったのだろう。

 そんな状況にまるで気が付かないかのよう、美姫は淡々と続ける。というか、本当に気づいてないのだろう。


「私のお母さんはちょっと前に、遠くにいっちゃいました。私は苦しそうなお母さんを見て、ずっと泣いてました。でも、お母さんは言いました」


 美姫が姉さんの口調を真似て、読み上げる。その声は俺の耳に、記憶にある姉さんの声で再生された。


『そんなに泣くなよ、美姫。あたしはちょっと疲れちまったから、お前の大好きなパパと交代するんだよ。全く、あたしは大切な宝を二つも置いていくなんて、最低だよな…………だから、お前はあたしの代わりにもう一つの宝を、パパを大切にして生きてほしい。それと……新しいママもな。二人が喧嘩してたら叱ってやれよ。みんないじっぱりで素直じゃないけど、優しい奴らなんだから』


 先程まで慌てていた担任も、保護者も、そして俺と桜井さんもみな、いつの間にか聞き入っていた。


「みんな、私に嘘をついています。でも、お母さんにはもう会えないことも、今のお母さんとお父さんが偽物だってことも全部知ってます。お母さんのことは、大好き。今のお母さんのことも、とっても好き。でもお父さんは」


 美姫は体を半周回転させ、俺に体を真っ直ぐ向けた。


「お父さんのことは、一番好き! 今まで泣いてばかりいてごめんなさい。避けてばかりいてごめんなさい」


 俺は周りの視線を気にせず、まるで二人だけの空間にいるかのように、美姫をしっかり見据えて言った。


「いいんだよ。ただちょっといじっぱりで、素直になれなかっただけだよな」


「うん……これからは大切にする」


「ああ、そうだな。俺も今よりずっと、大切にするよ。それが、俺やお母さん、美姫の合言葉だろ?」


「うん! "あなたが一番大切"!」


 駆け寄ってきた美姫を優しく抱き締める。周りからは、自然と拍手が零れ出していた。桜井さんも隣で目尻を赤くさせている。

 これでよかったのだろうか。いや、これでよかったんだ。


「はい、ではこれで発表は終わりです! みんな、お父さんお母さんに挨拶するよー? せーの!」


 やがて全員の発表が終わり、担任の掛け声と共に「ありがとうございました!」と感謝の言葉が述べられる。俺としてはこっちが感謝しているくらいだが……黙っておこう。

 そして俺たちは美姫を真ん中に手を繋ぎ、仲良く帰宅した。


 当たり前のように笑いあって、食卓を囲む。夜には川の字で寝て、毎日楽しい日々を過ごす。たまには泣いたり、怒ったりもするけど、それでもいいんだ。本物以上に、本当の家族になれたような気がするから。


 『あたしよりも美しくなってほしい』という思いと、『姫のように大切にされるように』という想いで姉さんによって名付けられた、美姫という名前。その願いは届いているよ、姉さん。


 桜井さん、沈んだ俺の心を取り返してくれてありがとう。

 姉さん、最高の贈り物を遺してくれて、ありがとう。

 そして美姫、俺に未来をくれて、幸せをくれてありがとう。

 俺はこれからもみんなへの感謝を背負って生きていくだろう。

 俺と姉さんの一番のたからものである、美姫と共に。

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一番のたからもの 一愛 @ai3

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