井戸


「昔、田舎に井戸があったんだよ」

 子供の頃、新城さんの母方の実家の庭には、井戸があったのだという。

 盆周りの一週間くらいは、毎年田舎に帰省した新城さんは、都会の家には無い井戸に対して、ひどく興味を惹かれたのだという。

 覗き込んでみると、底が見えないほど井戸は深く、日中であるにも関わらずそこだけ闇が広がっているのだ。

 井戸とは言っても、もう使っていないので、落ちることにだけ気をつけたら、何をしても両親は何も言わなかったのだという。

「それでまぁ、子供だから、色々やったわけだ」

 意味もなく声をかけてみたり、小石を投げ入れてみたりしたのだという。

 声が反響する様子とか、小石がぽちゃんという音を立てるまでの時間から井戸の深さについて考えてみたりして、遊んでいた。

「でもまぁ、飽きてきたわけだ」

 新城さんが飽きたのも当然のことだろう。なにせ、向こうからは何の反応も返ってこないのだから。

「そんなときに、カエルがぴょんぴょん飛び跳ねてるのを見つけたんだ」

 げこげこ、げこげこ、と鳴きながら跳ね回るカエル。

 なんとなく思いついて、新城さんはそのカエルを捕まえると、それを井戸へと投げ込んだのだそうだ。

 ひゅー、と長い音を立てながら、カエルは井戸の中に落ちて、ぽちゃりと水音を立てた。

 落ちている最中も、着水した後も、カエルはずっとげこげこと鳴き声を上げていたという。

「まぁそれで、井戸に蓋をしたわけだ」

 不慮の事故で、誰かが落ちたりしないようにするための蓋が、井戸には有ったらしい。

 それに蓋をしても、カエルの鳴き声だけは、ずっと聞こえていたらしい。

 げこげこ、げこげこと。

 それを無視して、新城さんは家に帰ったのだそうだ。

 そのまま、家でスイカを食べたり、テレビを見たりして、夜となったのだという。新城さんは布団に入った。その時だった。

「そうしたらね、聞こえるんだよ」

 げこげこ、げこげこ、というカエルの鳴き声が、うるさいほどに聞こえたのだという。

 おかしいな、まさか、家の中にカエルが入ってきたのだろうか。そう思って、身体を起こした。

 でも、部屋の中を見回してみても、カエルの姿は無い。

 おかしいな、と思う間にも、カエルの鳴き声はどんどん大きくなる。

 げこげこ、げこげこ。

 げこげこ、げこげこ。

 カエルの合唱というわけでもなく、一匹の声がどんどん大きくなってきているのだ。

「だんだん、不気味に感じてきてな」

 でも、どこから聞こえてくるのか分からなくて、だから何処へ逃げてもいいかわからない。

 ぶるぶると震えながら、布団を被った新城さん。

 その背中に、げこげこ、げこげこ、と鳴き声は覆いかぶさってくる。

 その鳴き声が、だんだんと音色を変えたのだ、という。

 意味のわかる、人の言葉へと。

 どうして……どうして……

 帰らせてくれ……

 ここは暗い……何もない……

 カエルだ、あの時井戸に投げ込んだカエルが、自分に恨み言を言っているんだ。

 そう思った新城さんは、ごめんなさい、ごめんなさい、と謝り続けたのだという。

「朝には、声は聞こえなくなってたんだけどな」

 日が昇ってすぐ、急いで井戸まで行って、新城さんは蓋を開けたそうだ。

 けれども、カエルの鳴き声は聞こえなかったし、カエルが出てくることもなかったのだという。

 それから何事もなく、新城さんはまた都会に帰った。

 帰ったけれども、今でもカエルの恨み言が耳から離れないのだという。

 今は、新城さんの田舎の家の井戸は潰されている。

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