三 下向いて歩くなだとか言う前に、夏の日照りを殺しておくれ
― 下向いて歩くなだとか言う前に、夏の日照りを殺しておくれ ―
眩しいのだ。其の眩しさにいずれ勝たねばならぬと云うのは解っていても、いざ対峙せんと心構えを整えたところで、この身ひとつで相対するには眩しさが過ぎるのだ。正に生涯勝てぬ相手と云うものであろう。然し、其れに打ち克つことを強いられてゐる理不尽も、どう足掻いても其れに勝てぬという理不尽も、世の理と言って仕舞えば其れまでである。
私の矮小な財産を惜しみ無く奪い去ったのも、其のやうな眩しい人間であった。
彼は私にとって先生のやうな人だった。家の農作業の手伝いもままならず小学校を中退した落伍者の私に、彼は字も、言葉も、算術も、更には英語までも教えてくれた。名家の跡取りであった彼は華の帝大生であり、財産も家柄も優秀、頭脳明晰に加え、眉目も秀麗な美男子である。当然私と境遇の似た者からはひどく羨まれた。
やがて彼は勉強の世話を焼くに留まらず、自腹を切って私を高等学校まで通わせた。貧しい農家の末子に一体何を見出して其処までの面倒を引き受けたのかは知らぬが、私は其れに見合う人間にならねばならぬと奮起し、彼の後を追って帝大へと入学した。彼に帝大合格の旨を伝えると、彼は自分の事のように喜んだ。そして、うちに養子に来ないかと私に言った。
眩しさは、時に全てを捨てさせる。私は彼の眩しさを一身に受け、成功を手にし、其の外の全てを捨てた。帝大を卒業した後、一人前の財産を拵えて帰った生家はもぬけの殻と成り果ててゐた。近所の住人の噂で夜逃げしたらしいとは聞いたが、真相は知る由も無い。私は彼に付いて行き、金を手にした。そして、金を持ち帰るべき場所を失ったのである。もう僕達は兄弟なのだから、と私に良くする彼の隣で笑顔の面皮を張り付けながら思う。これでは無い、と。
私を其のやうに励ますことが出来るのは彼のみなのである。他の者が口を出すならば、其の者は彼を殺さねば話にならない。畢竟、其れを許さぬのが追随叶わぬ眩しさと云うものであるのだが。
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