第十四話 炎獄の果て

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誠に恐ろしき言い回しがございます。文末にあらすじを設けましたゆえ、お厭い召されるお方は、そちらにお目通しくださればと存じます。


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 炎に追われ、乗り場から線路へ、線路から乗り場へと、我先に逃げる中に、峰の家族も居りました。


 飛び降り、じ登り致しまする峰には、嫁御ハルと我が子以外は見えませなんだ。


 峰だけではなく、恐怖に駆られた命がけの逃走で御座ります。


 粘りつく焼夷弾しょういだんの直撃を受け、転がり回る者が燃える様も、裂けた身体から溢れる腑を掻き抱きはらわたをかきいだき、なお生きようと足掻く様も、目には映れど心には残らぬので御座ります。

 

 それほどに空襲は、日本国の民から、心から、人としての情を刮ぎ落として、滅したので御座りました。


 街のどこもかしこも、炎の海で御座ります。

 燃え落ちる建物をすり抜け、焼ける空気に喉をやられ、それでも走るのは嫁御ハルと我が子を生かしたいが一心。。


 息は切れ、今にも膝を着きそうになりながら、峰の一家は防空壕に辿り着きました。が。。

 満杯に溢れそうな防空壕に、入れる余裕は御座りません。


 入れないならと、次を探して走ります峰の背後で、ひときわ激しい爆発が起こりました。

 爆風に背後から叩きつけられ、大きく踏鞴たたらを踏んだ峰が振り返りますれば、立ち去った防空壕が焼け崩れ、天をも焦がす勢いで、燃え上がっておりました。


 九死に一生などと、安堵する気さえ起こりません。

 地獄の釜の蓋が開き、手招きされる恐ろしさで御座ります。


 余りの事に、只ひたすら逃げるのみ。

 どこを走ったのやら、どう逃げ延びたのやら。。


 嬲られるように追われ、ほうほうの体で防空壕に辿り着き、生きていると我に返った峰の目が、やっとの事で嫁御ハルと娘を映した途端、心の臓が凍りついたので御座りました。


 炎に炙られ煤を被り、全身に焦げ跡をつけた長女は、しっかりと枕蚊帳まくらかやを抱えていたので御座ります。


「絶対に手放すな」と言いつけた父の言葉を、健気にも守ったので御座りました。


 あの炎の海で、線路に飛び降り攀じ登り、大人でも危うい時に、何をどうすれば身の丈ほどもある荷物枕蚊帳を持って、逃げたので御座りましょうや。


(わしは……鬼や)


 己の鬼畜な言いように慄き、情けないやら口惜しいやらで、身動きができません。

 不器用さゆえか、抱き寄せて慰める術も思いつかず、立ち尽くしたまま呆然と致しておりました。


 これより先。

 峰は生涯、「絶対に」と言う言葉を、封じたので御座りました。

 



***あらすじ***


 大阪駅より出立し、岡山駅まで参りました時。

 にわかの空襲にあった峰の一家は、街の中を逃げ惑いました。

 逃げて逃げて、やっと入れた防空壕で人心地がついた峰は、長女が抱えていた枕蚊帳まくらかやに、凍りついたので御座います。

「絶対に手放すな」と言いつけた、己の残酷さが己に跳ね返って、心を切り刻む刃となったので御座りました。

 これ以降、峰は「絶対」という言葉を、生涯、口に致しませんでした。

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久遠の先は、茜射す道 桜泉 @ousenn

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