第十一話 洗濯機器の供出と徴用

 昭和十四年に制定されました国民徴用令で、兵役以外の男衆おとこしが、お国の決めた仕事に振り分けされる事態となりました。


 昭和十八年の事で御座ります。

 峰が三十八を迎えた年に、呉の海軍工廠かいぐんこうしょうへ徴用が決まりまして、生活が一変致しました。


 商売も納め時と、店の機械類は御国に供出し、身重のハルを残し、峰はひとり、呉へと発ったので御座ります。


 明けて十九年。

 次女が生まれました折には、側に居てやりたくとも叶わず、呉から無事を祈った峰で御座りました。


 その頃の逢坂おおざかは、頻繁になった空襲で、おちおち住んでおられぬ様相となりまして、残された一家は実家を頼り、堺へと居を移したので御座ります。


 堺に移ったのが功を奏したと、申し上げれば宜しいのやら。。

 さらに明けて二十年の大阪大空襲で、立売堀は焼け野原となってしまいました。


「欲しがりません。勝つまでは」


 御国の教え。日の本の国の、民の心構えで御座ります。


 家族は無事でも、周りには焼け出され、身内を亡くし、悲嘆に暮れる大勢の方も居られます。


 綺麗事を申し上げるつもりは御座りませんが、御国の舵を取られるお偉い方々に、この惨状を何と思し召されるのか、問い質しとう御座ります。


 さて、一報を受け取りました峰では御座りまするが、家族の安否を確かめる術もなく、破損した軍艦の修理に明け暮れる毎日で御座りました。


 不眠不休で御国の為に身を捧げよ。

 矢玉に立って戦う尊い兵士を支える為、身を削るのは国民の務めであると、巡回する兵士に命じられ、一睡もせずに作業するなど、どだい無理と言うもの。。


 仲間内で相談して、巡回の兵が来ぬ間に、鉋屑かんなくずに潜って仮眠をとった次第で御座ります。

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