第五話 恋さんの片思い

 峰が丁稚から昇格し、アイロンの使い方を教えていただき、一人前の職人に成れますよう修行を始めて、五年目の夏で御座ります。

 二十歳を少々過ぎますれば、重たいアイロンを扱えるほどに体躯もできました。

 そうなりますれば、見め良い男振りに成長しました峯を、陰ながら伺いに来られる女子衆おなごしも居て、店では大層な噂となりました。

 仕事場は、一台ごとのアイロンに蒸気を起こすボイラーがついておりまして、冬でも汗の流れる過酷な場所で御座ります。

 夏とも成りますれば、それはもう筆舌に尽くし難く、袖無しの綿シャツが、べっとりと肌に吸いつきまして、玉のような汗が滴ります。

 仕事に没頭する男衆おとこしの上気したかんばせと、飛び散る汗が麗しく、所謂いわゆる若人わこうどが放つ仄かな色香と申しましょうか。生まれ持った気品と申しましょうか。妖しい気配を醸し出したので御座りました。

 おたなの開け放った窓越しに、電信柱の陰から見惚れる女子衆おなごしが、老舗の恋さんでなかったら、こうまで周りの者が、気を揉む事も御座りませなんだものを。。

 渦中に居ります峰が、泰然と構えて居りますのが、救いで御座ります。

 どちら様も、ほとほと頭の痛い出来事で御座りました。

 日にちが過ぎますごとに噂もおおきゅう大きくなりまして、親御様もご心配のあまり、大急ぎにて嫁ぎ先を整えられたご様子で。。

 ある日を境に、お姿が見えぬように成りました。

 そうして夏も過ぐる頃で御座りましょうか。

 仕事を終えた峰が、夕涼みに表へ出た時で御座ります。

 何処いづこからか峰に駆け寄った恋さんが、思いの丈を籠めて話しかけたので御座りました。

「うち……他所よそへ、嫁いで参ります」

 初心うぶな恋さんが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で口にした問いかけを、鈍ちん鈍感な峰は。。

「はぁ、さようですか……」

 急な事に、言葉が続きませなんだ。

 しばし切なげな恋さんで御座りましたが、可愛らしい下駄で一蹴り、地団駄を踏んだので御座ります。

「もぉ、好かんタコ! 」

 駆け去る恋さんに、意味も分からず首をかしげたのは、朴念仁の峰で御座りました。

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