傘の内
Suzunu
傘の内
僕は本庄和夫。都内の私立大学に通う大学四年生だ。今、僕の手元には一本の傘がある。これを大学の後輩の女子の誕生日に渡す事の是非を延々と考え続けていた。問題はいろいろあるが、一番の問題はプレゼントまで用意しておきながら僕が彼女のことを好きなのかどうか、分かっていないという事だ。
「何か一つでも取り柄があればねえ」
一生忘れられない母の言葉である。僕は忘れっぽく、大概の悪口は水に流してしまうのだが母は忘却曲線という物を知っていた。反復学習のおかげで忘れる事は無いだろう。僕は実の家族とあまり仲良くない。家はそこそこ裕福だったし、両親も僕にそこそこ裕福な家庭を持ってほしくて、勉強を頑張ってほしかったようだ。でも、そのための誘導というか、干渉というかが大学に入った頃から煩わしくてたまらなくなった。
世間的に見れば、自由にやらせてもらってた方だと思う。でも、僕は自分で自分の人生について責任をとろうとしなかった結果、高校生までは親の言いなりだった。他にやり方があったのかもしれないが、僕がその状況から脱するためにやった事は、両親の口出しに対する反抗だった。大人になってかかるおたふく風邪が幼年期にかかるそれよりも重症化するように(これは実はガセらしいが)、僕の遅すぎる反抗期は重症とまでは言わないまでも、大学四年になった今でもダラダラと続いている。
学費も払ってもらい、お小遣いも貰っているというのに何故親に対して素直になれないのだろう?直したくても直せない、持ち前の気障さとか、あまり順風満帆とは言えない人生のストレスが反抗期を伸ばしているのだろうか。まだ就職活動は始めたばかりだが、働き始めれば親のありがたみというのを真に実感できるんだろうか?きっと傍からみたら子供じみた悩みを持っているという感覚があるが、何か解決しないといけない問題が心の中にあって、それを見つけ出さなければいつまでも成長できないような気がしてしまうのだ。それとも、親に素直に感謝できない理由等を延々と考え続ける事自体が一番成長を妨げているのだろうか。
反抗期のはじまった理由については幾つか心当たりがあるが、一番の理由は今所属している写真部に入ったことで、精神的に親に頼らなくなった事だと思う。高校時代、僕は両親のことを恐れていた。高校はそれなりの進学校で、僕の母親は教育ママで周りの生徒と僕をいつも比べていた。で、僕は目に見えぬママ友ネットワークを恐れるあまり、勉強をしていない事や親の悪口等は同級生にも中々言えなかった。今ならそんなことを気にする必要は無かったとわかるが、あまりにも当時の僕の視野は狭すぎたのだ。その点大学生というのは自由だ。法律に触れさえしなければ何をしてもいいし、何を言ってもいい。ママ友ネットワークなんてものも存在しない。そうすると高校までは言えなかったことも言えてしまう。
僕の選んだ写真部ははぐれ物の集団のたまり場だった。大学の写真部はピンキリだと思うが、僕の入った写真部は向上心という言葉を置き去りにしていて、部室でダラダラと過ごしてたまに旅行しにいくという場所だった。そういう意味で、怠惰な高校生活の延長線のような気持ちで入れたのだ。本音を言えば、新入生の元気だった頃に色々見たり入ってみたりした結果、結果的に生き残れたコミュニティはそこだけだったのだ。そんな訳で、写真部は僕にとって第二の家族となった。
大学生活はキラキラとは言えないまでも、それなりに充実したものだった。しかし、ずっと不満だった事はある。彼女が出来なかった。斜に構えている僕は世間一般の普通の恋愛アプローチというものが嫌で面倒くさくて仕方がなかった。でも、いつか本気でアプローチしたくなるような素敵な人に出会えると逆シンデレラ願望みたいな事を考えていた結果、就活がはじまり大学生活も末期に突入してしまった。大学の三年間で、写真部の中に気になる子は何人か出来た。しかし、無様な恋愛をして第二の家族での居場所を失う事が、その子達が他の男と付き合う事よりも何倍も恐ろしかった。それでも、他のコミュニティや出会い系アプリを使うのも色々と言い訳をしてしまって乗り気になれなかった。
しかし、就職活動をはじめてみて実感したのは、いかに自分が自己アピールが苦手かという事だった。僕の売りは何なのか、僕自身が全く分かっていない。これでは就活どころではない。何と無くひねり出した言葉は人事には響かなかった。愚かしい事に、僕は、自己アピールの苦手さと恋愛経験のなさを結び付けてしまった。それなら恋愛経験を今から積めば自分を自分で褒める練習や、自分に対する自信が付くのではないか?正気も心の余裕も失った僕は、写真部の後輩に目を付けた。
僕の自分勝手な就活練習計画の犠牲になる木下 葵は二年生だった。写真部は基本的にあまり元気な人間の集まりではなかったのだが、毎年入ってくる新入生たちのキャラは、世代ごとに不思議と違ってくる。今の二年生の世代は比較的元気で、写真の好みも僕達上級生達とは何だか違ってキラキラしていた。僕や一つ下の世代はどちらかというと山とか海とかに出向いて広大な自然をただ撮るのが好きだった。しかし、現二年生はもっとキラキラした、オシャレな街並みやカフェを撮るのが好きだった。誤解を恐れずに例えるなら、TwitterとInstagramの違いみたいなものだ。彼ら、彼女らが語る言葉は同じ言葉のようで何だか違う言葉のような気がしていたが、それも時間が経つことで慣れていった。何よりも、TikTokのような現一年生達が入ってきたことで、現二年生達は比較的理解できる存在となった。彼ら、彼女らの世代は一年生と上級生達の橋渡し的な役割を担っていた。
木下も例外に漏れず、下級生と上級生間で、相手に対する意見を翻訳して相手に伝える存在の一人だった。部の人間関係や写真について語っていく内に、僕と木下は自然に話せる仲になっていた。
写真部では毎年のクリスマス、彼女がいない男子部員が大学に近い部員の家に集まり、映画を観て傷を舐め合うという習慣があった。僕が三年生の時の去年のクリスマスは、同期の市村の家に男三人で集まってコマンドー鑑賞会をする予定だった。しかし、去年は例外的に彼氏がいない女子が二人参加することになり、写真部の変化に驚かされた。木下はその二人の女子の内一人だった。僕は市村の家に何回か行った事があるので駅からの道には慣れていたが、木下は慣れていなかった。彼女は電車の遅延で鑑賞会がはじまってから一時間後に駅に付いたため、家主の市村以外の誰かが駅まで迎えに行くという話になった。じゃんけんの結果、僕が行くことになった。駅までの道のりは十分程度だったので、僕は木下と何を話すかを考えなければいけなかった。
木下は、部活動の話題以外に僕と同じく裕福な家庭に生まれながら両親と仲が良くないという共通点があり、意気投合することがあった。たまに何人かで映画や写真展に行ったりする時、一緒になることもあった。木下の顔は正直あまり好みではなかった。僕は大人な女性というものにまだ慣れていなかったからなのか、どちらかと言えばナチュラルメイクの方が好きだった。木下は割とオシャレな方で、服装や化粧に気を遣っていた。男のためというよりも、自分の好きで化粧をするタイプだったからかもしれない。個人的には彼女のメイクが濃すぎるなと思う事があった。しかし、その日はその印象がひっくり返ることになった。
市村の家を出ると、彼女からその日のグループLINEに、もう駅を出たという投稿があった。それで、僕は迎えに行く旨、駅で待っていて欲しい旨を伝えた。空を見上げると雪が降り始めて、寂れた街の午後七時半は薄暗かった。雪が降ってくれたおかげで、話題には困らないなと心の中で安心した。駅に着くと、彼女が待っていた。あいかわらずオシャレな恰好だったが、驚いたのはその化粧だった。オペラや舞台の演者達は近くで見ると濃すぎる化粧をする事があるが、観客席から見ると効果的となるらしい。夜の街で遠くから見た彼女の顔は、恐ろしく美しかったのだ。「夜目遠目傘の内」という言葉を思い出した。顔がよく見えない時にチラリと見える女性の顔は美しく見えるという意味らしい。傘が必要だと思った。そこから市村の家までは雪の中、二人で歩いていった。近くで見ると木下はいつもの木下だった。ただ薄暗いのと、雪が降っているからか、いつもよりも素敵に見えた。帰るまではとりとめもない会話をした。市村の家に帰ってからは書く必要は無かろう。ただの大学生の飲み会である。クリスマスなんて関係ない。そこで何かを起こす男たちはクリスマスにコマンドーなんて観ないのだ。
僕はきっと就職活動に追い詰められていたのだ。ただそれだけの思い出のせいで、彼女の四月二十三日の誕生日プレゼントに、京都の芸者が持っていそうな赤い和傘を買ってしまった。もちろん、付き合っている訳でもなければ二人で出掛けた事すら無い。考えてみればみるほど馬鹿らしい。そもそも調べてみたら「夜目遠目笠の内」だし。この笠は頭に被るやつだ。値段は一万円。写真部の水準では、下心のないプレゼントにしては高すぎる。しかも、傘を選んだ理由は「お前は特定の条件下では可愛くなる」だ。いくら大学の中でも特に言論の自由が保証されている我が写真部とはいえ、これは今の時代ちょっと厳しいものがある。しかし、僕は衝動的に赤い傘を買ってしまったし、彼女の誕生日会に参加すると伝えてしまった。
何よりも困ったのは、僕が本質的に悩んでいるのは写真部の中での僕の評価の変化であり、彼女が傘を貰った時にどう思うかではない。今コミュニティから排斥されるのはメンタルの落ち込みと就活の失敗を意味し、僕の人生に響く。要は、彼女が好きだから買ったのではなく、身勝手さから買ったのだ。こんな物を渡して誰が喜ぶというのか、仮に彼女が喜んでくれたとして、僕はその後の責任をとる事が出来るんだろうか。恐らくこの本音を全てぶちまけてO.K.と言う女の子はいないだろう。でも、これは就活の練習だ。それにここまで来て引き返すのは、逆にモヤモヤするかもしれない。
一人暮らしの彼女の家で行われる誕生日会は、写真部の八人くらいが集まる予定だった。その状況で、この派手な贈り物を渡すのは恥ずかしい。もっと人が少ない時にこっそりと渡したかった。丁度、写真部の何人かで話題の映画を観ようという話があった。その面子の中でも、その映画の前作を観ていない面子で集まって観賞会を開こうという流れを作った。当日は何故か木下の家で彼女と二人きりになった。
これは根回しではない。傘を買った後の僕は彼女を意識しすぎていたのかもしれない。そういう人間がいるとき、周囲の人間は気を利かせるものだ。でも、流石に当日に二人がドタキャンするのは驚いた。最初から二人で会おうとしたのと、人が減って二人になったのとは天と地の差がある。そう肝に命じた結果、僕はあまりにも無難な振る舞いをしていた。ただ、普段使いより大きい鞄に赤い傘を忍ばせていたので、どうしてもそこに眼が行ってしまい、常に心ここにあらずといった感じだった。
結局、傘は渡せずに映画を観終わって、近所に夕飯を食べに行って、二時間ほど彼女の家で宅飲みをした。その間、恋愛に関する話は全くしなかった。むしろ、気を付けてしなかったと言ってもいいかもしれない。
仲良くなりすぎるのは怖い。僕は家族に何か嫌なものを見出しているが、それは距離が近すぎるからだという感じがしていた。写真部の人にそれを感じたくない。でも、深い話をしても意外と自分の中に、彼女への拒絶反応は出なかった
映画の事や、写真の事、家族、近況について二人で色々な事を話した。お互いに相手は仲のいい友達と認識している、という雰囲気だった。別に距離が近づくこともなく、夜の十時頃に僕が帰ることになった。
「駅まで送っていきます」と木下が言ってくれたので、すこし仲良くなれたなと嬉しくなった。
駅までは徒歩五分程だったが、帰り際にした写真の話が盛り上がり、少し遠回りをして帰ることになった。小雨が降っていたが、傘を出すほどではなかった。駅の周りの住宅街を特にあてもなくふらつく。刺激的ではないが、穏やかで満たされた気持ちになる。彼女がいる人たちはいつもこんな思いをしているんだろうか。そりゃ心も安定するし、就活も上手くいくだろう。その時、雨が強くなってきた。四月の上旬の夜は心地よい気温だったが、強い雨が降るとなると流石に肌寒くなってくる。なんだか、僕の自分勝手で彼女を雨に打たせるのは申し訳ない気がしてしまって、鞄から例の和傘を取り出して、それを差し出した。
「めっちゃ風流な傘ですね、ちょっと意外でした」彼女は心底驚いたような顔をしていた。
「この前に浅草行った時に気になっちゃって」
気障な嘘だ。僕が最近少し薄汚れたビニール傘を使っている姿は、彼女も見ていたはずだ。とりあえず、駅まで相合傘で帰ることにした。
「私、この町は雨の日の夜が一番好きなんです」と木下。
「そうなんだー」
言われてみて気付いたが、暗い街の道路には白い灯が整列している。雨に濡れたアスファルトがその光を反射して、一歩進むごとにキラキラと輝いて、眩しさすら感じる。星空が地上に降りてきたみたいだ。傘を傾けて空を見上げる。空は黒い雲に覆われているものと思っていたが、都市の光でかすかに白んでいる。何だか落ち着かない気分になる。雨が傘に当たる音、僕らの足音だけが人気のない住宅街に響いている。隣に木下がいて、その息遣いまで分かるのに、水たまりに雨の波紋が出来ては消え、出来ては消えていくのを見ていると、不思議とひどく孤独な気がしてくる。
僕は木下達、二年生の好きな写真の良さは内心あまり共感できなかったが、今なら本心から分かる気がする。この発見だけでも、今日ここに来た価値があると思った。彼女は、街並みを見つめる僕に満足したようだった。彼女の顔を見ようとしたが、前を向いていたし、暗くて良く見えなかった。でも、その横顔は綺麗だと思った。僕は案外雰囲気に弱いのかもしれない。僕らはそのまま、駅まで歩いて行った。会話は一言もなかった。駅に着くと、改札の前で僕は赤い傘を木下に渡した。
「誕生日に渡そうと思ってたんだけど、当日に就活の予定が入っちゃって……」
「その傘私へのプレゼントだったの!?嬉しいです! でも来れないのは残念です……。就職活動頑張ってください!」
出来の悪いドラマみたいなやり取りが続いてから、傘のない僕を心配する木下に僕は傘を押し付けた。僕らは解散した。一人電車で帰り、自宅の最寄り駅から降りて、傘を差さずに歩いて帰った。雨は止んでいたが、僕の町でも道路は濡れて輝いていた。並木のある道では、春の雨の匂いがしている。どうして今まで気づかなかったんだろうと思った。今日の出来事を歩きながら振り返っていた。おままごとみたいなやり取りだったなと思ったけど、良い経験だと思った。
親しい人に物をあげるのは、それだけで嬉しいもので、打算とは限らないのかもしれない。別にそんなことは知っていたはずだったのだが。何だか親に対して感謝していない自分が物凄く小さい存在な気がしてきた。この小さな達成感を糧に、後ちょっと頑張ろうと思って夜道を歩いていた。
傘の内 Suzunu @Suzunu
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