第34話 男と女

 




【高校生三年卒業の日 水鳥 麗・木村 冬眞】


 卒業式は特に問題なく終わった。

 名前を呼ばれて壇上に上がる麗を、冬眞は遠くから見つめていた。麗が呼ばれたときに、クラスの友人に「お前の彼女呼ばれたぞ」と茶化されたりもした。

 麗と冬眞の関係性は、言葉で表現しがたい。

 恋人かと問われると、それは少し異なるような気がする。お互いに、どこか距離をとっているような関係。

 冬眞は卒業式が終わり、終礼が終わると麗のクラスへ行った。麗は友人らしき人と軽く挨拶し、冬眞の元へ卒業証書と鞄を持って歩いてくる。


「卒業おめでとうございます」

「別にめでたくないよ。さっさと行こう」


 後ろからの視線を感じながら、麗たちは二人並んで歩いた。


「冬眞、どこ行きたい?」

「どこでもいいですよ」

「あー、それ一番ズルいやつ!」


 冬眞と麗は笑いながら歩いて、ゲームセンターに行ったり、ダーツで勝負したり、食事をしたりした。

 気が付くともう夕方になってしまっていた。

 結局、最後は冬眞の家の近くのいつもの公園にきた。ブランコを漕ぐ。ブランコはギィ……ギィ……と軋みながら揺れる。


「この制服を着ることももうないや。冬眞にあげようか?」

「えっ……それは……ちょっと……」

「あはははは、冬眞、着てみたら結構似合うんじゃない?」

「嫌ですよ!」


 ふざけながら、笑って話ができる時間がかけがえのない時間に感じる。別に、もう二度と会えない訳では無いのにもかかわらず。冬眞はつらさを滲ませる。


「麗さん、大学は心理学科に行くんでしたっけ」

「うん。カウンセラーになりたくて」

「……麗さんなら、いいカウンセラーになりますよ」


 冬眞は少し暗い顔をした。それに気づきながらも、麗はあえてそれには触れなかった。


「冬眞は何になりたいの?」

「僕は――――……」


 ザッ……ザッ……


 後ろから、誰かが近づいてくる音が聞こえた。

 悪寒がして冬眞がふり返ると、脂の乗った清潔とは言えない養子の中年男性がこちらへ近づいてきているのが見えた。

 麗のストーカー男だ。眼鏡の奥から見える目は血走っているように見えた。

 そして、その手に握られている包丁に目が釘付けになった。


「麗さん!」


 冬眞は麗の手を掴み、走り出した。鞄をそのまま置き去りにしてとにかく全速力で走る。麗はその冬眞の様子を見て、後ろからの追いかけてくる足音を聞いて麗もそれを察した。


「はぁ……はぁ……!」


 この辺りに交番はない。

 民家はたくさんあるが、外に人はいない。助けを求めている間に追い付かれてしまう。冬眞は必死に麗の腕を引いて走ったが、麗の方が先に息切れを起こした。

 麗は体力がない。

 しかし走らなければ殺される。そう思い必死に走るが、限界がくる。


「冬眞……っはぁっ……はぁっ……迎え撃とう。警察……呼んで!」


 冬眞の手を振りほどき、麗は冬眞を庇う様に向き直った。

 中年男も息を切らしながら追いかけてきている。手にギラリと光る包丁が麗の目にも見えていた。


「麗さん駄目ですよ! 逃げましょう!」

「さっさと警察呼べ!」


 麗に強く言われ、冬眞は震える手で携帯のボタンを押す。しかし震えているせいで上手く打てない。それでも懸命に警察に電話をかけて繋がった。


「事件ですか、事故ですか?」

「事件です! 包丁持った男が追いかけて……助けてください!!」


 冬眞が必死に説明をしている矢先、中年男と麗は対峙していた。


「麗ちゃん……そいつは……麗ちゃんを騙してる……俺が一番麗ちゃんのこと愛してるのに……麗ちゃん! 目を覚まして!」


 気色の悪い声で必死に麗に自分がどれだけ麗を愛しているかについてねちゃねちゃとした口調で語る。


「いい加減に目を覚ませよ……私が惚れてるのはあんたじゃない。このエロトマニア野郎!」

「麗ちゃん……今、目を覚まさせてあげるからね……」


 中年男性は包丁を振り翳して麗に走ってきた。男が腕を振り下ろそうとするが、麗が手首を掴み、それを止める。

 いくらなんでも、体格差がありすぎる。痩せている麗にはそれを受けきれる力はなかった。


「早く! 早く来てください!」


 パニックになりながら冬眞は電話を切った。電話をその辺に投げ、中年男から麗を剥がそうとする。しかし、二人の力を以っても男の方が優勢だった。

 ポケットにある果物ナイフを麗は出したいが、力を抜くと手に持っている包丁が自分に刺さるか、冬眞に当たってしまう。

 男が力任せに振りほどくと、その刃は冬眞を狙った。

 バランスを崩して倒れた冬眞の上に馬乗りになり、首を左手で掴み右手に持っている包丁で冬眞を刺そうと大きく振りかぶる。

 麗は心臓を握りつぶされたような緊張感が、一気に身体を硬直させる。そのたった一秒に満たない時間、麗は最悪な状況をいくつも考えた。


「やめろ!!」


 麗の叫び声をかき消す様に、バチバチバチッ!! という耳をつんざくような爆音が聞こえた。

 三人ともその音に身体を震わせた。音がした方向を見ると『ソレら』はもう走り出していた。

 髪の長い男は麗を庇う様に男との間に入り、もう一方は力任せに男を馬乗りになっている冬眞から引きはがし、手に持っているスタンガンを男の顔面に当て、再度火花が散らした。


 バチバチバチバチバチッ!!


 すさまじい音がして、少し肉の焼けたような匂いがした。容赦のない攻撃。


「ぎゃああああああ!!」


 男が顔面を押さえ、転げまわる。

 冬眞はその人を見つめた。栗毛色の肩までの髪。顔はマスクで見えないが、そこから見える瞳は鋭く、髪と同じ淡い色をしている。

 服装は黒一色。黒のコートと黒のスキニー。無言で倒れている冬眞に手を差し伸べる。指が長く、細くて白い綺麗な指。その手を取って、冬眞は立ち上がった。


「立って、逃げてください」


 長髪の男もマスクと帽子をつけていて顔はよく見えない。服装的には二人とも同じような恰好をしていた。しかし、その聞き覚えのある声に麗はその長髪の男の目をまじまじと見つめる。


「ぼさっとするな、早く行け」


 乱暴な口調でそう指示したのは、スタンガンを当てた女だ。

 その女が左腕を振ると、シャランッと金属音を響かせた。冬眞と麗は、両者の聞き覚えのある声に、混乱を見せながらも指示された通りに再度走り出した。

 男は顔を押さえて立ち上がる。


「『自分』には背中だけしか見せてないし、これはセーフでしょ?」

「相変わらず、めちゃくちゃな理論で呆れます」


 バチバチバチバチバチッ!! と音を響かせると、男は恐怖で逃げようとしたが、容赦なくそのスタンガンの暴力に男は伏すしかなかった。

 5回程度当てると、男はようやく気絶したようで動かなくなった。脈拍があるかどうか、女は指紋が憑かないようにビニール手袋をつけて首の頸動脈のあたりに指をあてる。


「生きてるね。大丈夫そう」

「あまり、こういう……暴力に訴えることは好きではないのですが……相手がこれでは仕方がないですね」


 二人が話をしていると、麗と冬眞が恐る恐る戻ってきて、顔を見合わせ、背中から声をかけた。距離にして5m程。


「あの……助けてくださってありがとうございます」


 冬眞がそう言うと、ビクリと男女は身体を震わせる。そして麗と冬眞のように顔を見合わせる。横顔は横の髪で隠れて麗と冬眞からは見えない。


「失礼ですが……私たち、知り合いでしょうか……?」


 麗がそう尋ねると、二人は一瞬だけ振り返り、女は冬眞を、男は麗を見た。

 無言で数秒、言葉を発するわけでもなく見つめた後に、そこから走りだした。麗と冬眞が呼び止めるも、あっという間に転がっている男を残して姿を消してしまった。




 ◆◆◆




 警察の取り調べで結局遅くまで時間をとられてしまった。

 走り去った謎の男女のことを述べるも、あまり要領を得ないことしか言えなかった。メディアからの取材もあり、尚更時間がかかった。結局夜だ。三時間くらいはとられただろうか。

 疲れ果てた麗と冬眞は、鞄を放置したままにしていた公園に戻り、崩れるようにブランコに座った。街灯の光が後ろから二人を照らす。


「はぁ……大変な目にあった……あの二人、なんだったんだろうね」

「ほんまですね……」


 そうは言うものの、本当は麗も冬眞もあの二人が誰なのか、なんなのかは薄々気づいていた。


「ふふふ、あははははは」

「なにを笑っているんですか……」

「おかしくてさ……とんだ卒業式の日だと思って。まぁ、でもこれで安心して関東に行けるかな」


 麗の受けた大学は、関東の大学だった。

 麗は関東に引っ越すことになる。そうなればすぐには会えなくなってしまう。冬眞が暗い顔をしたのはそのせいだ。


「…………その……麗さんには……ずっと、助けてもらってばかりでしたね」

「大した事してないよ。むしろ、色々巻き込んじゃってごめんね」

「いや、色々助けてもらいました。感謝しています。ありがとうございました」


 その後、冬眞は黙り込んで何も言わない。

 目を逸らして、何か言いたげにしている様子は麗には解った。言いたいことも麗にはなんとなく解っていた。しかし、それを急かしたりからかったりはせずにじっと待つ。


「暫く……会えなくなってしまうんですね……」


 冬眞は苦笑いで気恥ずかしそうに言う。声が少し震えていた。


「卒業しても連絡するし、たまになら遊べるし、そんな根絶の別れみたいに言われる寂しいな」

「…………麗さん、その……」


 歯切れが悪く、冬眞が口を開いては言葉が途絶える。


「えっと……元気でいてくださいね」


 冬眞は中々、言いたいことが言えなかった。麗に告白するとずっと前から決めていたのに、いざその場になると、喉元から言葉が出てこない。


「そうね……」


 父親が心配して待っているので、麗は帰らないといけなかった。

 冬眞が歯切れが悪く、暗い顔をしているのを見て、冬眞が心配になる。本当に、離れても大丈夫なのだろうかと。しかし、いつまでも冬眞を自分の手の中で閉じ込めておくわけにもいかない。


「じゃあ……そろそろ帰るね。……また連絡する」


 歩き始めて十歩くらい。時間にすると五秒くらい。冬眞が声をあげた。


「麗さん!」


 引き留められた麗は冬眞の方を振り向く。普段彼が出さないような声量の声。暗い中に冬眞の姿が浮かぶ。


「僕と……」


 一度そこで少しの躊躇いを含み、そして


「僕と……」


 その先の言葉を、明確に何度も何度も連想した。その言葉を言う。


「結婚してください!!」


 あまりにも意外な言葉に、麗は面食らった。絶句して冬眞の方を見ると、冬眞は真剣な目で麗の方を見つめていている。麗は返答に困り、自然と笑ってしまう。


「あははは、ごめん。斜め上の告白に面食らってしまった」


 冬眞は恥ずかしそうに麗の方を見て不安そうな顔をしている。しばし笑っていた麗はそれを見て、笑っている場合ではないと悟って笑うのをやめ、冬眞と向き合った。


「あの……その…………」


 思ったよりも、それを口に出すのは気恥ずかしいものがあった。


「私で…………良ければ」


 自分でも歯切れの悪い言い方になったことで、麗は更に気恥ずかしさを感じる。


「本当ですか?」


 冬眞が明るいトーンで麗の真偽を問う。


「え、うん」


 気恥ずかしい気持ちで麗が答えると、冬眞は嬉しそうに笑った。無邪気さを残した、青年の姿が麗の目に焼き付く。


「まさか……プロポーズされるとは思わなかった。普通、付き合うのが先じゃないの?」


 笑顔で冬眞はこう返す。


「結婚してから長く付き合っていくんじゃないんですか?」

「確かに」


 麗は少し遠ざかっていた冬眞に再度近寄って、強引に顔を上げさせ、冬眞にキスした。

 あいている方の腕で冬眞の背中に回し、逃げられないように固定する。数秒程、そのまま時間が止まる。

 麗が唇を離すと、冬眞は今までで一番恥ずかしそうに顔を逸らした。それを見て麗は意地悪心が芽吹く。


「大胆なこと言うくせに、シャイだよね。冬眞」

「…………麗さんは、初めてじゃないんですか」

「えっ……そんなこと聞く?…………初めて……だけど……」

「……嘘つかなくてもいいですよ」

「はぁ? 私がそんなに遊んでいるように見えるわけ?」

「……正直、見えます。その……見た目だけの話ですけど」

「あー、もう、木村君と離婚だわ。結婚する前から離婚だわ」

「すみません。ごめんなさい。信じますから」

「絶対信じてないでしょ?」


 笑い声が誰もいない公園に響く。

 苦難を乗り越えた先に、本当の絆があるように感じた。それは錯覚でもなんでもなく、確かな感覚として二人の中にしっかりとした絆を作り上げていた。




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