第35話 深い愛と罪の証
【水鳥 麗 最後】
二人がふざけあって笑い合っているところを、私と木村君はずっと見ていた。
「あっちの私も驚いていたけど、私も驚いたよ。結構大胆だね」
「……大胆なのは麗さんの方じゃないですか」
私が笑うと、木村君は長い髪の毛で横顔を隠していた。きっと恥ずかしがっているのだろう。昔から、そういうところは変わらない。
私たちが見守っていると、二人は名残惜しそうに別れの言葉を言い合っているのが見えた。
「もう、大丈夫そうだね。私たち、幸せそうだもの。今までの記憶は諦めるよ」
微笑ましい二人を見て、私はやっと諦めがついた。私は隣にいる、今にも泣きそうな顔をしている木村君を見つめる。
「そんな深刻そうな顔しないで」
私が困った顔で言うと、木村君は瞳に溜めた涙を流した。
そんな顔をされたら私まで悲しくなってしまう。今までの記憶が消えるだけなのに、どうしてこんなに辛いんだろう。
「泣かないで?」
木村君を抱きしめると、すがるように抱き返してきた。声を殺して泣く木村君の身体の震えが私にも伝わる。
「もういいの。私、幸せだから。生まれて、生きてきて良かった」
今まで生きてきた意味も見出すことができた。これ以上幸せなことはあるだろうか。私は木村君から身体を離した。そして自分の小指を差し出した。
「お互いが過去を忘れても、幸せになろう。必ず。約束だよ」
木村君は泣きながら私に小指を絡めてきた。
「誰よりも……君を愛している」
指切りをいつまでも終わらせることができない私たちは、そのままずっと小指を絡ませたまま待っていた。白蛇に向かって終わりの言葉を継げる。
「もういいよ。ありがとう」
そう白蛇に囁くと、白蛇は私から離れた。
これで契約終了。
私も木村君も、記憶が消える。と、言えば軟らかい言い方かもしれないが、死ぬと言っても差し支えない。
忘れたくなかった。
初めに逢ったあの時の胸のざわめきや、
何度も拘置所へ通ったこと、
手紙を書いたこと、
命をかけて助けに行ったこと、
何度も何度も私は非業の死を遂げた事、
それを助けに来てくれたこと、
そしてまた二人で私たちを助けに行ったこと……
これ以上ないくらい君を愛したこと。
――私は……ずっと幸せだった……
私が目を閉じると、意識がさざめいた。
自分の意識が阻害され、雑音が入ったように乱れる。今までの記憶が走馬灯のように想起された。木村君の姿が焼き付いて離れない。
――あぁ、こんなふうに死ぬのも悪くないかな……
そう思いながら覚悟を纏った。
……………数十秒程経っただろうか。
――あれ? おかしいな。まだ思考ができるなんて……
それにいつもと変わらない身体の感触。私は目を開けるとそこには先ほど見送った私の位置に私は経っていた。制服を着ている。
何も忘れていない。何もかも鮮明に思い出せる。戸惑っていると、頭の中に白蛇の声が聞こえる。
「気が変わった」
「え? まって……あなたは……」
「私の名はヤハウェルだ。忘れるな、小娘」
そう言い残し、声は聞こえなくなった。私は自分の身体を念入りに確認する。学生服を着ている自分の姿が上から見えた。
私は後ろを振り返った。
先ほど眺めていた木村君がこちらを見ている。木村君もまるで困惑しているように、自分の身体を確認していた。
私たちがいた木陰を見ると白蛇がこちらを一瞥する。
その白蛇……ヤハウェルは淡く白く光る身体をうねらせ、木陰に消えていった。自分の身に何が起こったのか、直観的に理解した。
「木村君……!」
気づいたら走り出していた。
木村君に駆け寄って抱きしめる。本物だ。嘘じゃない。感触がある。木村君の匂いもする。暖かさを感じる。
私たちは先ほど見ていた学生の私たちの意識と統合した。過去の記憶を残したまま、この二人が見てきた記憶も全て統合された。
それは同じ世界軸で記憶が倒錯する混沌とした記憶だったが、それでも構わない。
「……諦めていたのに……」
泣かないようにしていたのにも関わらず、私の目から涙が溢れてしまう。
「麗さん……」
木村君も肩が震えていた。そんな彼を強く抱きしめる。暫く、時間も忘れて抱き合っていた。これが偽りではないと確かめるように。
ずっと望んでいたものをやっと手に入れられた感動で、身体が動かなかった。
「麗さん……さっき、僕らが言っていた言葉、続行でいいですか……?」
木村君が震えた声でそう告げる。
「……なに? なんて言っていた?」
本当は解っていたけれど、私は知らないふりをした。直に私に言ってほしかったから。
「ですから……その……」
言いづらそうに、木村君が身体を離し、目を見て言葉を続ける。
「僕が18歳になったら、け……結婚してください」
まるで、これも幸せな夢なのではないかと、信じられない気持ちでいっぱいだった。今までの記憶が嘘のよう。誰も体験したことのない程の苦しい思いをしてきたのに。
最初は、抱きしめる事すら、話すことすらまともにできなかった木村君が私の腕の中にいる。
「うん……君に私の一生をあげるよ」
涙が頬を伝う。
木村君を抱きしめる私の手に、雪の華がとまったのが見えた。舞い散る雪の華は私の肌に落ちるとすぐに溶けて水になった。
まるで刹那を生きる私たちのよう。
自分の小指を見ると、深い傷痕が残っていた。
これが、私と彼の深い愛と罪の証。
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